旅の空色
おばけの出る宿
これも中傷記事となるのでその宿の名は秘匿とする。
私が出張でよく使っていた或るビジネスホテルの話である。
その部屋は最上階にあった。
最上階は大きなツインルームが並ぶ階なのだが、
その部屋だけは廊下の隅に、余ったスペースで作ったような
シングルルームだった。
このビジネスホテルでは通常シングルルーム1泊素泊まりで
6千円であったが、広さの変わらぬその最上階のシングルルームは
なぜか5千2百円であった。
当時定められた出張費を日割りで渡されていた私は、
少しでも宿などの経費を節約して、余ったお金を貯めていた。
2泊3日の出張で8千〜1万円ほどの別収入になるのだから、
結構馬鹿にはならなかった。
そんな流れで自然とその最上階のシングルを使っていた。
しかも必ずと言っていいほど、毎度予約が簡単に取れた部屋だった。
ただ、その部屋にはひとつ問題があった。
毎回必ず重い金縛りにかかるのだ。
大抵は身動きがとれない一般的?なやつで、
しばらく懸命に格闘するとやがて体は静かに解放された。
しかし時たま最悪のパターンがあった。
体が硬直したまま目だけが覚めるのだ。
そこには黄緑色の明かりで満たされた部屋の景色があり、
やがて足元の方にある扉が静かに開いて、
人がどやどやと入ってきて、
みんなで囲うようにして私の顔を覗き込むのだ。
時たまある最悪のパターンは毎度これの繰り返しだった。
その時の恐怖たるや、その末にやっと体は汗だくとなって解放された。
実は5千2百円の格安の部屋はもうひとつあった。
その部屋は極端に狭い部屋で、
狭いシングルベットにその幅分のスペース、
そして狭いユニットバスといった具合で、
おまけにエレベータのすぐ脇でちょっとうるさいという
特典付きだった。
こっちの部屋は狭っ苦しくて息が詰まりそうな環境だったし、
金縛りの部屋は静かだが怖いという案配で、
毎度今回はどちらにしようか迷ったものだった。
ただその頃の私は筋金入りの倹約家で、
余計に800円払って普通のシングルに泊まる気は
さらさらなかった。
やがて金縛りの部屋の対策を編みだした。
それは簡単なことだった。
部屋の明かりを消さずに眠るのである。
そうするときまって金縛りにはならなかった。
ただ明かりがまぶしくて
夜中何度も起きることにはなったが‥。
あの怖い思いをするよりはマシだった。
そんな曰く付きの安宿を毎週2泊、3年間利用した。
その反動で、今の私は
とりわけ宿においては、よくよく厳選し、
贅沢するようになったと言える。
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