越谷市/せしゅうや店主のエッセイ集
旅の空色
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2017年 9月号

神、降りる、地 = 上高地

 「今年こそはゆっくり休暇を楽しみたい」そう心に決めていた。
毎年恒例の夏の家族旅行のことだ。昨年は「熊野三社詣で」、その前は息子のテニスに
付き合って「裏磐梯で3日間のテニス合宿」、そしてさらにその前は「お伊勢参り」と、
近年の暑さ厳しい真夏の中で、汗をかく行事ばかりこなしてきた。
いつも旅行で感じてきた疑問であるが、家族旅行にしても、友人との旅にしても、
なんでこんなに忙しく名所だ旧跡だレジャーだと回らなければならないのか。
そうは思いながらも結局は、せっかくはるばるここまで来たのだからと、
旅人の悲しい性ゆえに、蒸し風呂のような暑さの中でも、精力的にスケジュールを
こなしてしまうのである。少しはフランス人を見習って、バカンスに突入するないなや、
まるで生まれ変わったように生活を切り替えて、のんびり休暇を楽しみたいものだと、
その試みの機会も探っていた。どうせのんびり過ごすなら、涼しい避暑地でと考えたところで、
まずは軽井沢が浮かんできた。しかし軽井沢は冬にスキーに行ったばかりだし、
身近で人気の地であり、レジャー施設も揃っているゆえに、人々の喧騒から逃れることは
できないだろうと考えた。真夏に涼を楽しむとともに、第二の条件として心静かに過ごしたい
とも考えたわけだ。涼しくて、静かで、大自然に囲まれて、空気がおいしくて、
適度に運動ができるところ、それらの条件を満たすだろうと考えた末に決めたのが、
長野県松本市に属する「上高地」であった。

 上高地って、こんなに緑の深いところだったかなあ?
タクシーを降りた後、宿へと続く小径を歩きながら、そんな第一印象が浮かんだ。
黒々とした幹と深緑の葉が所狭しと生い茂りる木々が辺りを覆い、時折見かける
爽爽(すがすが)しい白樺の白い幹や薄緑の葉のアクセントも、こんもりとした深い緑の森に
埋没してしまう気がした。上高地は環境保全、とりわけ自然保護の規制が厳しいことで
知られているので、手つかずの自然の結果が、盛り上がるような木々の生長を促しているの
かもしれないとその理由に思いを馳せた。そう言えばタクシーの運ちゃんに、20年振りの
訪問なんですと告げた時に、それなら大正池(たいしょういけ)名物の白い枯れ木も、
随分と少なくなったと思いますよと返されたので、私の印象の変化は歳月の成せる技かも
しれない。また記憶を遡れば、前に来た時は11月の閉山間近の晩秋であり、葉の茂り方も、
色も、印象が違うのは当然かもしれないとも思った。
 避暑地としてここ上高地を選んだのは、どうやら正解だったようだ。
途中の松本市・安曇野(あずみの)の観光農園では、ワサビのアイスクリームが飛ぶように
売れるうだるような暑さであったのが、上高地では24〜5度の気温ながらも、
森が作り出す冷気という恵みの賜物だろう、空気がやさしい湿り気を含んでいて、
汗をかくという感覚さえ忘れてしまう心持ちとなる。また今回初めて上高地に宿をとって
知ったことなのだが、上高地では冷房機=クーラーの設置は禁止されているそうで、
どんな宿でも扇風機で対応しているらしい。もっとも部屋の空気を扇風機でかき回せば、
外の空気と混じり合って、たちまち涼が獲れるといった案配である。

 テレビの旅番組で「神、降りる、地」が転じて「上高地」になったと
最近初めて聞いたが、後付けの当て字だろうと疑っていたところ、今回の旅では
どうやら本当らしいということが分かった。標高1500mにある上高地は、
山の谷間に周りの土砂が流れ込んで出来た堆積平野で、南北10km、東西の最大幅1kmの
広さは日本でもここだけのようで、山奥に隠された秘密の森という趣きの地だ。
本来は”隠された”という表現も的を得ていて、今でこそ街道と上高地を結ぶ1kmほどの
トンネル(釜トンネル)があるので、タクシーで30分足らずで上高地の中心に楽々着けるが、
もともとは街道から3km程の山道を、峠を越えて歩かなければ辿り着けない別天地であった。
それをウォルター・ウェストンというイギリス人の宣教師兼登山家が、1896年に
世界に紹介したのがきっかけで、以来今の賑わいをもたらしたのだそうだ。
上高地と言えば、吊り橋の通称”河童橋”に、その下を流れる清流の梓川(あずさがわ)、
そしてそれらの奥に雄大にそびえる穂高連峰の景色が定番となろうが、私達のような
物見遊山の観光客にとっては、大まかに”8”の字のイメージでこの地を捉えるのが
適当と思われる。すなわち”8”の字の真ん中の交差点を河童橋として、”8”の頭に
明神池があり、”8”の底が大正池に位置して、それら上から順に明神池、河童橋、大正池の
3地点を”8”の字状の散策路が結ぶのである。この8の字状のハイキングコースは、
およそ6時間ほどでゆっくりと回れて、高低差も少なく、健脚ならば誰でも楽しめる道である。
20年前の訪問時には、朝一番の路線バスで上高地入りして、半日歩いて過ごし、
お昼過ぎにはここを出て、次の目的地の飛騨高山に向かったのであった。
そんな風に慌ただしい、その日限りの訪問客が意外に多いのも上高地の特徴でもある。
というのも、自然散策以外にはこれと言った遊びがないからでもある。
それも承知で、今回はゆっくりと時間を過ごすべく、上高地に2泊予約した私達でもあった。

 とにもかくにも今回は”ゆっくり過ごす”が大テーマの家族旅行であったので、
早々に宿にチェックインして、一杯引っ掛けて、のんびりと羽を伸ばした。
しかし人間はそう易々とは生活のリズムを変えられないものである。ゴロゴロと寛ぐのも
最初ばかりで、すぐに飽きが来るのも分かっていた。そこで持ち込んだアイテムが
”クレパス”と”スケッチブック”であった。窓からの景色が自慢の宿との触れ込みで
あったので、せっかくだから家族で風景画を描こうというわけだ。
 この企画のそもそもの発想は、テレビで”クレヨン”と”クレパス”の違いを説明して
いたことだった。いずれも同じようなチョーク状の画材であるが、幼稚園などで使う
”クレヨン”はその硬さゆえに線描向きであるのに対して(線のみで形を表現する)、
やわらかい素材の”クレパス”は、混色、重ね塗り、面描など、使い方によって
多才な表現ができると知ったのであった。そしてマルマン製のスケッチブック。
一見ただの厚紙を束ねただけのように見えるが、実は紙の表面は本格的なスケッチ用に
研究し尽くされていて、絶妙な凹凸を付けられていると聞いて驚いた。
上高地に持ち込んだ50色詰めのサクラクレパスと大きめのA3版のマルマン製の
スケッチブックは、安価ながらも家族の旅の思い出を色鮮やかに
描き残すための特別なものでもあったのだ。

 絵を描くなど何十年ぶりであろうか。高校の授業が最後と思われるので、
ふた回り半はあるだろう。クレヨンの親戚のクレパスと軽く考えていたが、
これが実際にやってみると構図から色付けからなかなか難しい。
ただずぶの初心者なので、あまり真剣に考えても時間の無駄とも思われ、
とりあえずは風景の一部を切り取って、自分の見たまま感じたままをささっと15分程ずつ、
息子と代わり番こで描いてみた。回を重ねる毎に描写は少しずつ前進しているように
思われてきて、結構夢中になれる。そこへ嫁が顔を出して覗き込み、「へったくそだなあ。
どこを描いているんだ」とせっかくの高揚感にちゃちゃを入れた。
「印象派の画風だよ。分からないのか?」と返したが、確かに絵の才能は幼稚園児と
いい勝負であることはうすうす感じてもいた。私は息子に「クレパスも馴染んできた
ようだし、外に、河童橋の辺りにでも写生に行くか」と提案すると、嫁は慌てて、
「頼むから、恥ずかしいから、止めてくれ」と制された。
 上高地では、そこかしこで写生をしている人を見かける。そして通り過ぎる人々も
よく足を止めては絵を覗き込んで、感心した顔をしたり、上手ですねと声を掛けたりしている。
おそらくは写生している人も、そんな応援や雰囲気も楽しんでいると思われる。
風景画に少しでも心得のある方にもおすすめしたい上高地だ。

 2日目はハイキングに出掛けた。例の”8”の字の頭の方、河童橋から明神池を回るルート
である。前に歩いたことがあるので大体様子は分かっていたが、このルートの見所は、
河童橋より梓川を挟んで左側のルート(上高地のハイキングマップでは梓川”右岸”と
なっている)と折り返し地点の明神池である。河童橋より15分程歩いて森を抜けると、
やがて視界が開けて「岳沢湿原」に至る。上高地では名所中の名所と言える美しい湿原だ。
豊かに水を湛(たた)える池は透き通って水面を抜けて浅い底が見渡せ、池の立木や枯れ木は
物寂しくも光る水に映え、背景の緑の木々と相まって、どこを切り取っても神の造りし
自然たる美景の湿原である。湿地に注ぐ沢の冷たく純粋な水は手を清め、
くねる流水のお音は耳に心地よく、沢より立ち上がる冷気は呼吸を通して心を洗う。
加えてうっそうとした森独特の深い臭いは脳に快適な刺激をもたらす。
ここは五感で感じられる数少ない景勝地でもある。足に自信がない人でも、
ここまで来れば十分な上高地体感となろう。
そしてもう小一時間ほど、森を抜けて、多少のアップダウンを乗り越えれば、明神池に着く。
ここの広く静かに佇(たたず)む青色の水面の池も一見の価値ある景色である。
池の側には穂高神社の奥宮があり、穂高に降りたという神様を祀っている。
この明神池の神秘さに触れれば、「神、降りる、地」が語源という上高地の由来に
納得がゆくに違いない。
 以前歩いた時は、”8”の字の下のルート、大正池も巡って6時間程歩き回っても
そんなに疲れを覚えた記憶は無かったが、今回は4時間程の行程で最後は足が棒のようになり、
20年という歳月に、若さが遠のいた現実を知らしめられた気がした。
ただ、普段は健脚な息子もだいぶお疲れモードであったので、汗こそかかなかったが、
気温の影響もあるのかもしれない。

 3日目は残念ながら朝から土砂降りの雨となった。
午前中は”8”の字ルートの下の方、大正池の散策を予定していたが、とても歩けるような
状態ではないので、早々に上高地を引き上げて、松本城や善光寺参りに向かった。
このように天候によっては、せっかくの上高地も手持ち無沙汰になってしまうこともあるので
その心づもりも必要であろう。
 このような上高地での体験を友人の集まりで話したら、トレッキング(山登りほどは
ハードではない山歩き)好きの友人が、今度夫婦で涸沢(からさわ)に行く予定だという。
涸沢は上高地を出発して6時間ほど登ったところにある、穂高連峰の裾野にあるとても
有名な場所である。登山道はよく整備されていて、小さい子供でも登りやすく、
涸沢からは、眼下に上高地の箱庭のような様子や辺り一面に北アルプスの峰峰を一望でき、
その友人の話では、手に届きそうな星空の美しさや、とりわけ日の出の時の
刻々と変わる朝焼けの様子が神々しく、登り甲斐があるとのことだった。
立派なヒュッテ(山小屋)もあるので、その雲上テラスから下界を眺めながらビールを1杯
やってみたいと私も考えたことがあったが、片道6時間、往復12時間、山歩きにおいては
常識的に日帰りはできないとのことだったので、そこまでの気概はなく断念したのだった。
ただ、そんな整備された場所でもあるので、近年はテントを背負って泊まりに行く、
老若男女に孫連れも珍しくはないらしい。今や夜な夜な色とりどりのテントにあかりが灯る
色鮮やかな夜景の場所としても有名になったと聞いた。

 今回の旅行では、私達家族は自家用車を使ったので、松本から高山市に繋がる
国道158号線の沢渡(さわんど)駐車場に車を預けて、タクシーで上高地入りした
(タクシーは片道一律4200円で、4人で乗れば路線バスより早くて安い。
また雨に降られた時も、自家用車の近くで送り迎えしてくれるので助かる)。
これはよく知られたことであるが、上高地にはマイカー規制があって、自家用車は
入れず、沢渡か高山市側の平湯温泉に車を預けて、路線バスかタクシーで入山しなければ
ならない。ちなみに夜行バスや観光バスはそのまま入れるので、乗り換えの必要はない。
東京から電車でなら、中央線で松本まで行き、松本電鉄上高地線に乗り換えて終点の
新島々駅(しんしましま)から上高地まで路線バスが出ているし、北陸新幹線では
長野駅で降りて、上高地行きの高速バスもある。人気の観光地であるので、
このように交通の便もよく整備されているが、夜間行できる自家用車や夜行バス以外は
上高地への入山は昼過ぎになってしまう遠路でもある(友人の話では、夜行バスも
朝一番に、早朝6時頃に入山できるのはいいが、お店は閉まっているし、時間を持て余す
との評だ)。河童橋近辺でちょいと上高地の景色を楽しむなら2〜3時間、
ハイキングで上高地を満喫するのなら4〜6時間を要するので、どのように上高地を
楽しむのか、それに合わせてツアーや夜行バス行などの使い方を考えるべきだろう。
また上高地に泊まらなくも、周りには平湯温泉や白骨温泉などの温泉地があるし、
高山市までは車で1時間30分程で行ける。山登り好きとまではいかないが、山が好きなら、
自然が好きなら、そして歩くのが好きなら、おすすめしたい上高地だ。


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