旅の空色


藤井荘 ふじいそう


 長野県長野市より、国道県道と真東に走ること1時間ほど、
山田温泉にある高級旅館。

宿ホームページ→(外部リンク)http://www.fujiiso.co.jp/index.php

[筆者評]
離れ風棟、月見縁台付き部屋を夫婦で利用。
大人一泊二食付き4万2千円。

一般的な客室の本館と
部屋が広く、離れ風造られた離れ風棟がある。
離れ風棟は2階建てで、1本廊下より枝分かれに
階段が上下に伸びて、部屋に入る構造になっている。

ともかく部屋の廊下が広いのに驚かされた。
幅2mはあるだろうか?今までで廊下の広さは一番である。
(平成26年現在)
12畳の和室本間に渓谷に出た3畳ほどの
月見縁台があって、川向かいの斜面に生える
木々の緑を眺めながら、くつろぐことができる。
縁台とは、簡素な造りの床(とこ)というか、
バルコニーで、床が簀の子(すのこ)状になっていて
風通りがよく、特に涼を取るには最適な造りである。
材質は鉄製(ステンレス?)で、強度に不安はない。
縁台には赤い敷物に丸御座がふたつ並んでいて、
風情があり、早速にこれを気に入った私は、
よく冷えたビールをゆっくりやりながら、
秋の渓谷美とひとり対話した。
また本間の隣には6畳ほどの和室が並び、
部屋の奥には別に茶室風の4畳半の和室が控えていた。

大浴場の名は「五万石風呂」とあった。
石高表示としては小大名規模というか、
控えめなものとでも言おうか、
そんな感じで浴室もこぢんまりとまとまっている。
シンプルな長方形の内風呂に、
外のベランダ部に小さな露天風呂がある。
たまたまであろうが、夕方と晩、そして早朝と入浴時には
お一人様使用で、貸し切りのようにゆったりと浸かれた。
規模は小さめだが、静かで落ち着く風呂であった。
また旅館の道路向かいには
小さな地元の共同浴場もある。

食事は料亭風の造りの個室であった。
入り口に本日の食材があり、かごに盛られた秋の山の幸を
ひとつひとつ仲居が説明してくれて、
料理への期待が膨らんだ。
その後私たちが案内されたのは
さっぱりとしたきれいな8畳の広い個室で、
外にはちょっとした枯山水の庭が見えて、
食事を楽しむ最高の空間となっていた。
やがて出された懐石風料理も丁寧な造りのものばかりで、
また彩りも鮮やかで、五感で美食を堪能できた。
季節の大きな松茸の炭火焼きに
秋の山菜たちの天麩羅など、
季節を中心に配した食事は見事であった。
あとこの旅館の名物のぽんぽん鍋も楽しかった。
串で刺した食材を自分で油で揚げる串揚げで、
そのうちのひと串の肉が何の肉かは教えてくれなかった。
ただ仲居は「化かされないでくださいね」と言うだけだった。
ぽんぽん鍋と言うし、化かすとも語るので、
山の宿であり狸の肉かと思ったが、
今のホームページを見るとポークとあるので、
豚だったのかもしれない。
でも形状から豚とは違っていた記憶もある。
まー、今思い出しても微妙である。

それと日本酒党の私にとって
この宿で『竹酒(たけざけ)』と出会えたのは
また至上の喜びであった。
この宿の竹酒は、口をななめに切った竹に、
地元の酒を注ぎ込み、火で炙ってお燗酒にしたものである。
なんなんだろう?元の酒の味は知らないが、
竹のエキスが酒に加わって、
得も言えぬ美酒となる。
確か値段は1合が1600円、2合が2200円、
3合が2800円といった案配で
1本の竹に酒を多く入れればお得になる。
つまりは竹の器が高いということ。
おそらく竹筒はワンウエイ、1回きりで使い捨て。
でなければあの味はでないのであろう。
宮崎県の高千穂で竹筒に酒を入れて呑む風習があると
テレビで見たが、それは基本あくまでも冷や酒で、
やはり竹のエキスの効果を十分に発揮するには
竹を炙ってお燗酒にするのが一番と私は見た。
ただ、通常のお燗酒もそうだが、
ちょうどよい温度のお燗酒に仕上げるには、
手間とそれなりの経験が要ると思う。
兎にも角にも、新しい形の日本酒との出会いであった。
(ちなみにとても人気のあったNHKの朝ドラ『あまちゃん』でも
天野家での宴会のシーンであまちゃんの祖父・忠兵衛
(蟹江敬三)がさりげなく井戸端で竹酒を炙って
呑んでいたので、原作者・宮藤官九郎(くどうかんくろう)先生も
なかなかの日本酒通かもしれない)

施設は売店や喫茶の他には特にない。
また渓谷の宿であるので、夜出掛けるところもない。
海山の恵みを食し、湯で身を清め、闇の静粛に耳を傾ける、
自然と一体となり、身を委ね、楽しむ大人の宿である。

ああ、あとさすが朝食にもぬかりはなかった。
朝から普通の旅館の夕食並の賑やかさの食膳であった。
特に風呂釜に見立てた木造りの器で出て来た
自家製の豆腐が印象に残っている。

(良い印象)
◇季節を大事にした山海の懐石風料理が極上であった。
◇食事処の演出と雰囲気、給仕などもとてもよかった。
◇部屋も遊びのある大きさで、特に月見縁台に風情があった。
◇まわりも静かでしっとりとした大自然の環境である。
(悪い印象)
◆私にはほぼ満点の宿であるが、
 あえて上げるなら交通の便が悪いところか。

息子とは、大人向きの宿なので行かないかなあ。
子供には料理の内容はもったいないだろう。
だいたいうちの子は食わず嫌いが多すぎる。

私たち夫婦にとっては数少ない『もう一度行きたい宿』となった。

ひとつ戻る

この宿では素敵な出会いがふたつあった。
ひとつはムササビ。
部屋の前の木を上る小動物を見かけたと思ったら、
ぱっと体を広げて滑空し、少し離れた木の下の方に
しがみつき、姿を消した。
もうひとつはおそらくはイノシシだろう。
月見縁台の下の方から
ふがふがと鼻を鳴らす音が聞こえた。
恐る恐る縁台から下を覗いたが、
その姿を確認することはできなかった。
まあそれだけ自然の側にある宿ということだろう。


この時の一泊二日の旅行は、
朝6時に長野県上田市の別所温泉に到着し、
(この頃はせっかくの旅行を目一杯楽しもうと、
夜間走行、早朝着という元気があった)
共同浴場でひとっ風呂浴びた(私だけ)後、
早朝の温泉街を散策しつつ、
北向観音の愛染カツラや夫婦杉、
安楽寺の国宝・八角三重塔などを見て回った。
その後上田市街にある上田城跡を観光。
城の名残をつぶさに観察しつつ、
市立博物館で城主・真田氏の足跡を追った。
そして近くの真田氏発祥の地、真田の庄を訪れた後、
あえてよく整備された千曲川沿いの国道18号線は使わずに、
山道の県道35号線を通り、地蔵峠を確認しながら抜け、
長野市松代に入った。
松代では真田宝物館を見学し、
今に残る真田氏代々の武器や調度品を鑑賞した。
(初日は正に真田漬けの1日であった。
というのもその頃の私は池波正太郎の
小説「真田太平記」にはまっていて、
小説に出てくる真田氏ゆかりのものを、
温泉から、城から、峠道まで
実際に自分の目で足で確認したかったからである。
嫁には少々退屈だったかもしれないが、
私は真田を満喫した1日であった)
そして今宵の宿「藤井荘」に向かった。

二日目は長野市の善光寺に詣でた。
が‥、有名な縁の下は潜ってこなかった。
なんかお金取られるゾーンがあるなあ?とは
気が付いていたのだが、本堂に参拝したし、
わざわざお金払って他まで見る事ないと
ケチった結果、逃したのだった。
下調べ不足でもあった。
ただ、うちのお客さんに善光寺参りの熱心な方がいて、
その話をしたら、自分も潜ったことはないというので、
そー有名でもないかもしれない。
ちなみに暗い床下の通路の先に
参拝所があって、縁結びの御利益があるという。
恋人同士には暗い中でお化け屋敷のような
二人の距離が縮まる効果があるのかもしれない。
(いよいよ我が夫婦には無縁かも。
もはやそんな新鮮さはない)

ランチはたまたまテレビで紹介していた洋食屋を訪れた。
今や遠い記憶なので「なぜか人気のわかめスープ」とかいう
キーワードしか覚えていなくて、
それを頼りに検索してみると、どうやら
『フランス料理屋 ビストロ クエルド クエル』という
長野市では有名な店だったようだ。
1976年創業で「なぜか人気のポタージュ”ラ わかめ”」という
人気メニューがあり、私たちもそれを食べたようだった。
あと秋篠宮ご一家の写真が飾られていて、
宮家お気に入りの店であったという記憶がある。
わかめスープに加えてドリアだかリゾットだか
やはり人気があるというものも食べた。
いずれもとても美味しかったのだが、
昨晩と今朝、藤井荘でご馳走を腹一杯食べてしまった後で、
さすがに美食疲れというか、
せっかくの美味しさも感動が薄れてしまう
という体験をした。
「ご馳走もたまに食べるからご馳走であって、
続けて食べたらもはやご馳走でなくなる」
という教訓を得る貴重な機会となった。
これ以来、我が家では旅館でご馳走のある時には、
その他の食事は粗食とするよう努めている。

その後軽井沢プリンスのショッピングモールに
嫁の買い物に付き合って、帰路に着いた。
(この頃我が家では旅行2日間のうち、
1日は私のため、もう1日は嫁のためという
暗黙の棲み分けをしていた)