旅の空色


あさば


 静岡県、伊豆・修善寺にある高級旅館。
高級旅館の世界では、日本三大高級旅館のひとつと言われているとか?

宿ホームページ→(外部リンク)http://www.shuzenji.info/ryokan/asaba.html
 ※「あさば」のオリジナルホームページがないので
  伊豆修善寺温泉旅館協同組合のサイトよりの表示となっています。

[筆者評]
 日本には素晴らしい旅館がたくさんあるので、
日本三大高級旅館のひとつと「あさば」が評されるのが
適切であるかはどうかは分からない。
しかし少なくとも私たち夫婦にとっては、
日本の旅館の良さを深く再認識させられて、
その後、新しい旅行のスタイルを確立することになる
きっかけを作った旅館であった。
正に名旅館の冠に相応しい、素晴らしい宿であった。
またこの旅館を訪れたのは
幸運に重なる幸運の賜でもあった。 

能楽舞台正面、広縁付き一般客室、
大人一泊二食付き(観劇付き)3万5千円。

まず私たちが訪れた頃の「あさば」は安かった?と言えるだろう。
その意味でも幸運であったと言える。
この頃、通常の一般客室は平日で1泊2万5千円。
年に十数回ある観劇イベント時で1万円プラスであったと
私は記憶している。
(だから私たちの宿泊料も3万5千円となる計算)
最近は普通に4万円近く取るみたいだから、
そー比較すれば安く見えるかな?

この「あさば」を知ったのはテレビでの紹介であった。
ちょうどどこか行こうかと夫婦で考えていた時で、
幸運にも手元に5万円の旅行券があったので、
一生に一度はこんな宿に泊まってみようと
決めた流れであった。
そのテレビ番組では時期によって観劇もある
との話だったので、「あさば」に問い合わせて
その日程選んだのだった。
この選択も結果的に幸運だったと言えるだろう。

「あさば」は修善寺の町の中心たる修禅寺前、
桂川にある有名な露天風呂、とっこの湯を望む虎渓橋を渡り、
桂川沿いに300mほど上流に歩いた左手にある。
門を潜り、母屋の大きなのれんに分け入ると
エントランスロビーで、正面の大きなガラス窓より、
大きな池とその対岸に能楽堂を望む。
(「あさば」は公式ホームページがなく、
すべて筆者の古い記憶を頼りとして書いているので、
間違いは記憶違いとご容赦願いたい)

「あさば」の大きな特徴はこの寝殿造り風庭園と言えるだろう。
”寝殿(しんでん)造り”とは、平安時代に上級貴族が暮らした
大きな屋敷のことで、母屋(寝殿)の前に大きな池があり、
その池に沿うように、建物が並ぶ大きな邸宅のことである。
私は「あさば」の庭の配置を見て、学校で習った
その邸宅の風景を連想した。
違うのは池の対岸の木々の斜面に前に
能楽堂が配されていることである。

エントランスロビーより左手には、
少し池に掛かる形でナイトバーの棟があり、
ロビーより右手に長く池に沿って客室棟が伸びて、
長い客室棟の中程に浴場がある構図となっていた。
私たちの部屋はロビーからすぐで、
10畳の和室と2畳ほどの池に面した広縁のある部屋で、
いまから思えばあまり大きいとは言えないが、
広縁の正面に能楽堂があって、
観劇には特等席であった。
確かこのタイプの部屋は8つあり、
二階建てに4部屋が上下に並んであったと思う。

浴場は円形の湯船をもつ小規模の内風呂と、
その廊下向かいに露天岩風呂が別にあり、
また内風呂に並んで、2つの小さな貸し切り風呂が
並んであったと記憶している。
(貸し切り風呂は内側から簡単な鍵を掛けるだけのもの)

夕食は懐石風料理で、温かい物、冷たい物を
食べ時に出す饗応料理である。
正直、初めてこの手の料理に触れたので、
何を食べたかはよく覚えていないが、
当時は珍しかった黒米がこの地の名物ということで、
あなごをネタに黒米で握った握り寿司を食したのは
よく覚えている。
あと感心した演出として、
デザートの段になった時、
部屋付きの仲居に伴われて若い板前が3人現れ、
「僕たちがそれぞれ作ったアイスクリームです。
お口に合うかどうかわかりませんが、
食べてみて下さい」と言って、
それぞれが持つアイスの桶から、
好きな味を選べるサービスがあり、とても感心したものだ。
おそらくはひとつの演出であろうが、
にきび跡の残る若人たちが一生懸命に作った作品とあっては
味も違ってくるものである。
アイスとは別にフルーツ盛りのデザートも出たと記憶している。

夕食の食事出しはいつもより早いとのことであった。
それというのも観劇のためである。
当時「あさば」では、能楽堂を使った観劇が
年間に十数回催されていた。
能楽堂らしく「能」もしくは「狂言」、
それに「三味線」の公演がそれぞれ組まれていた。
「能」はもちろん、比較的分かりやすいといわれる「狂言」も
私たちには文化的素養がなかったので、
無難な「三味線」の日程を選らんだ。
ここからはその観劇風景を
気障な文体で紹介したいと思う。

『その日は天候に恵まれたとは言えない曇り空であった。
私たち夫婦は2畳ほどの広縁にふたり並んで
池に望む窓を開け放ち、その時を待っていた。
仲居が用意してくれた厚手の羽織を着込んではいるが、
2月の寒気は開け放たれた窓から
遠慮なくどっと部屋に入ってきて、
手首や首筋から寒さが伝わり、
ふたりは凍えていた。
すると今度は追い打ちを掛けるように
雪がちらほらと水面に落ち始める。
寒さとの戦い。それでも辛抱強く待った。

と、突然、じゃ〜んと大きく響き渡ったかと思うと、
続いてじゃんじゃらんと三味からポロポロと落ちる
二つの旋律が、らせん状に時に大きく、時に小さく絡み合いながら、
ひとつの太い音になったり、また離れたりと戯れ、
池いっぱいにアンサンブルの輪を広げた。
やがて窓の左手より、細長い小舟が現れる。
着物に身を包んだ男女二人の三味の奏者と船頭の
3人を乗せたその小舟は、白い雪の降る黒い池の上を
音も無く、つつつっと通り過ぎる。
全くの偶然の産物であった。
白雪の散る黒幕に浮かび上がった二人の三味奏者の景色は
まるで夢まぼろしの世界であった。
三味の旋律を耳で追いながら、
夫婦ふたり偶然がもたらした夢幻に酔いしれた。

ただやはり現実は寒かった。
心は目の前の景色に陶酔しつつも
口から出る白い息までは拭えなかった。
と、そこへ仲居が茶碗に甘酒を入れて持ってきてくれた。
普段は飲み慣れない甘酒だが、
手で覆う茶碗からぬくもりが伝わり、
そして飲んでは体の中からもあたたかさ広がった。
この心遣い、素直に嬉しかった。
雪の悪天候が転じて幻想的な観劇となり、
そこにもてなしの心が身をあたたかく包んで
何もかもが満たされた世界となった。

その後ふたりの奏者は、対岸の能楽堂の一室で
障子窓を開け放っての演奏に移った。
当初は池に突き出た石造りの舞台での演奏予定だったが、
雪の降りが激しく、そのように変更となった。
公演後、ロビーにて演奏者との懇談会も催された。
まずはお客側から悪天候の中での演奏に
ねぎらいの声があり、そののち奏者から
三味線についての講演があった。
ふたりは石川県の人で、柳川流の奏者であったと記憶している。
談笑に湧いた締めくくりであった。』

「あさば」は高級旅館としての素質に加え、
いくつもの幸運が重なった宿であった。
5万円の旅行券は以前居た会社の福利厚生で
たまたま当たったものが残っていたという始まりであり、
そこへテレビでたまたま「あさば」が紹介されて訪れ、
そして雪の悪天候がたまたま観劇に花を添えた形となった。
もちろん「あさば」の素地が最高のものであったればこその
私たちにとって最高の思い出となった結果でもある。

「名刀、名器を見極めるには、その最高のものを基とすべし」
そんな風に言われるが、私たちはこの時の「あさば」の体験が、
高級旅館といわれる宿の善し悪しを決める基準となった。
そしてこの後、名旅館の真髄を見極めようと
夫婦でその手の旅館を巡る新しい旅の形が始まる。

「あさば」の去り際、玄関で預けてあった靴を履くと
思わずフフフと小さく笑ってしまった。
「靴あったかいね」と嫁に問い掛けると
嫁も笑った目でうなずいていた。
門を潜り、敷地を出てから
「きっと仲居さんが懐であたためていたんだよ」
などと言って大きく笑い合った。
厳寒の2月、「あさば」のおもてなしは
最後まで行き届いていた。

(良い印象)
◇寝殿造り風の庭園、昔造りの建物といった静かな名旅館である。
◇極まった懐石料理で演出も憎い。
◇心づくしも行き届いている。
◇観劇にはもってこいのシチュエーションの庭だ。
 (今はどうか知らないが、この宿を訪れるなら
  観劇のある時の方が、より魅力を増すだろう)
(悪い印象)
◆今から考えれば部屋が手狭かも(大部屋も別にあるようだが)。
◆浴場も雰囲気はいいが、ちょっと狭めかな。
◆大人向けの宿で、子供には向かない
 (子供に良さがわかったら生意気だ)。
 悪い印象の上2点は、古い趣きのある建物の関係で
 仕方が無いかもしれない。

食わず嫌いの多い息子には、もったいなくて泊まれない宿だ。
「あさば」を始め修善寺は大人の雰囲気の温泉地なので
賑やかな施設を好む子供には物足りないだろう。
私たち夫婦にとって「あさば」はもちろん最高評価の
『もう一度訪れたい宿』のひとつである。

今一度注意しておきたいのは、上記の記事と感想はすべて、
今から18年前の平成8年に宿泊した時のものである。
下記にあるように今は当時とは内容が違うかもしれないので
一応お断りしておく。

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「あさば」はリピーターが多いとも聞いたので、
オリジナルホームページがないのは
それらファン層を持つ自信の現れかもしれない。

ただちょっと気になるのは、「あさば」を検索すると
批判記事がトップページにあり、
代替わりしてから宿の質が落ちたと言われていることだ。
真実は分からないが、まあ人によって感じ方は様々だろう。
そもそも書き手はせっかくの新婚旅行なのに
あえて汚点を記すのも如何なものかとも思う。
また代が変われば、やり方も多少変わるのも自然の道理で、
それが進歩的で、革新的ないい方向に行くよう
多少縁があった者として願うばかりである。
少なくとも宿代=品質、できれば宿代<品質と
お客が感じるようになってほしいものだ。
その成否は今後のお客が決めるだろう。


蛇足だが、馴染みの魚屋のあんちゃんは
修善寺では一番の料金を取る「あさば」とは別の
某高級旅館に子供の頃から泊まっていたという。
そのあんちゃんも近頃その某旅館は
味が落ちたと評していた。
これは慣れからくる「飽き」なのか、
より高みを求めすぎる「欲く」なのか、
板場が代わったための「変質」なのか、
それとも本当に質が落ちたためなのか、
それとも別の原因があるのかはわからないが、
逆に言えば、不変が如何に難しいかを
物語っているのかもしれない。

修禅寺の鐘の声、諸行無常の響きあり。
(合掌)