旅の空色


2016年 7月号


短編 『山寺』 第四弾

 駅舎に入ると、先客がひとり居た。
待合室の中央にあるストーブの近くに陣取って、しきりにカメラをいじくり回していた。
大きな体躯の男性で、髪は肩まで長く、ウエーブの掛かった茶色で、
やはりこちらもストーブ近くに腰を掛けながら横目で顔をちらりと確認すると、30才くらい
だろうか、鼻は高めで目は緑色をしている。どう見ても外国人に間違いないようだ。
山寺の登山途中ですれ違った記憶はないが、おそらくは山頂の境内辺りで、間合が合わずに
上手い具合に入れ違って、顔を合わせる機会がなかったようだ。ちらちらと観察すると、
カメラに納めた景色を確認しているらしく、指先でカメラを操作しては、その成果に
満足げに口元が少し緩むのがわかった。この冬の山寺に、お世辞にも観光向きとは言い難い
この時期に、わざわざ足を運ぶ物好きは、この地の冬の雪深さを知らない呑気者か、
何かしらのこだわりを持った曲者ぐらいだろうと思っていたところに、今度はわざわざを
さらに重ねて遠方から、空を飛んで海を越えて来る者が目の前に居ることに驚くと共に、
ふつふつと好奇心も湧いてきた。
 いや、もしかしたら日本在住の日本通の人かもしれない。しかし、それにしては
大きなリュックサックで、まるで全財産を持って歩いているような大仰さで不自然だし、
靴も登山用のしっかりしたもので、我々のようなちょっとした物見遊山といった様子ではない。
近年、外国人観光客が年間2000万人に迫る勢いと聞くが、やはりその一派だろうか。
にしても今日はたまたま雪が少なくて、山寺参拝にさほど支障はなかったが、
もしも大雪だったならば、信心深い人でも山頂参拝はきっと二の足を踏むであろう
そんな場所にあえて挑もうという覚悟の上での訪問なのだろうか。
時間つぶしに友人が投げかけてくる世間話もうわの空で、そんな疑問や憶測が頭の中を
ぐるぐると巡り巡っていた。やがていつ果てることの無い回し車のような思考の状態に
ついに我慢が出来なくなり、終止符を打つべく、意を決してその男性に声を掛けた。

「Can you speak English?」
日本語で「こんにちは」と声掛けしてもよかったのであろうが、アメリカ人かヨーロッパ人
であろうという見た目の先入観が、自然とそんな言葉となっていた。
「Yes! I can」というであろう答えを8割方は信じていた問い掛けに、
その男性はややはにかみながら「I can’t English」と応えた。
ええー!その風貌で英語できないの?一体あんた何人よ!と腹の中で意外な答えに驚きつつ、
「Where did you come from?」と続けて尋ねると、
「Italy.I’m Italian」との応え。アメリカかヨーロッパの人という
推測は当たるには当たってはいたが、よくよく考えてみれば、ヨーロッパは様々な民族と
言語が飛び交う多民族地帯。イタリア人がイタリア語しか話せなくても何の不思議はない
ものだ。しかしイタリア語は映画で覚えた”ボンジョールノ”くらいしか知らない。
思い切って声を掛けたがいいが、たちまちにして会話に行き詰まってしまった。

 この後なんと話を続けたらいいのか、考えあぐねていると、
どうやらそのイタリア人は声を掛けてくれたことがとてもうれしかったらしく
片言の英語で、自分は今回が13回目の日本訪問であること、日本が大好きなこと、
これから山形の天童温泉に行くこと、日本の温泉も大好きなことなどなどを語ってくれた。
たどたどしい片言の英語で、一方的にI Love Japanを熱く語るそのイタリア人の
話を聞く内に、やがて自らの心の中に葛藤とも無念ともいえる思いがどんどん膨らんでゆく
のを感じ始めた。ああ、このイタリア人の青年に自らが知る限りの山寺の伝承を伝えたい。
創建の年を、開山した僧侶を、その僧侶の遺骸の一部が山奥に納められている伝説を、
岩山に無数に空く岩窟のいにしえを、お堂に灯る何気ない燈籠の曰くを、
この山寺もかつて武士に焼き討ちされた事実を、受け継がれる日々の写経のことも、
御山全体が地獄と極楽から成っていることも、芭蕉の俳句が意味する現実と心の世界も、
それらすべてをこの目に前にいる外国の青年にうまく伝えることができたならば、
ここでの彼の冒険はきっと忘れがたい、一生に一度の輝かしい思い出になるに違いない。
今日、自らが体感した山寺の感動を、このイタリア人にお土産として持たせてあげられたら、
お互いにどんなに晴れ晴れしい心持ちとなれるであろうことか。

 が、勢い心掛けは良いが、ボキャブラリー(語彙。ごい。適切な英単語)が一切浮かんで
来なかった。創建は?僧侶は?遺骸は?いにしえは?燈籠は?焼き討ちは?写経は?
地獄は?俳句は?相手も片言英語なので、簡単な表現でもあれば良いのだが、それすらも
全く思い浮かばずに、頭の中にある古いほこりまみれの英単語ボックスを、ただただ
ガシャガシャとみっともなくかき回すだけであった。学校を出たばかりであったならば、
もう少しはマシな英会話もできたかもしれないが、卒業してから30年近く、
英単語ボックスは頭の隅に放りっぱなしだったのだ。しかも思い返せばreadingと
writing(読み書き)の英語はまずまずの成績ではあったが、hearingと
speaking(聞く話す)の英語はまるで駄目だったではないか。
典型的な受験英語という仕上がりなのだ。きっと当時の英語教育体制に問題があったに
相違ない。お金ばかり掛かって、大して身になってないと言う嫁の冷ややかな顔も
頭をかすめた。
 せめて和英辞書でも持っていれば、キーワードとなる英単語を探して、そこから話を
膨らますこともできたかもしれない。もしも万が一のお守りにその備えがあったならばと
想像し、その時はきっと初っ端お互いに打ち解けるために、”ことわざ”という単語を
探したであろう。調べてみると”ことざわ”の英単語は”saying”で、
イタリア人にも通じ易そうな英単語であり、きっとこんな会話ができたはずだ。
「I know one saying of Italian.
”See Naples and dei.”Your case,see Japan??」
(イタリアのことわざのひとつを知っていますよ。”ナポリを見てから死ね”ってね。
貴方の場合は日本ってところかな?)[ナポリの美しさを知らずして死んではならない
というイタリアの格言。”人生楽しんでから死ね”という意味も内包しているようにも
見てとれる]

 長く英語を勉強した割には、それこそ10年掛かりで学んだ割には、
今やこの程度の体たらくではあるが、お互い片言英語の者同士なので、これでも十分であった
だろう。内容が通じればきっと青年は大笑いしてくれたはずだ。
しかしそんな空想も後の祭り。山寺の魅力を目の前の一期一会のイタリア人には
一切発信できずに、ただただ口惜しい限りの念で心は一杯であった。

 そんなこんなとしているうちに、電車の入線時刻となった。
イタリア人と一緒にホームへ昇ると、ホームの左右に上り下りの両方から正に申し合わせた
通りにほぼ同じタイミングで電車が入ってくる。この仙山線は、仙台市と山形市の
両市街地以外は線路が1本しかない単線の運行で、この山寺駅で上下線がすれ違うのだ。
山形行きの電車に片足を掛けながら、イタリア人は振り返って「アリガトウ」と日本語で
別れの挨拶を投げてきた。それに応えて「See you‥」と言いかけて、言葉を止めた。
See you again(=またね)はこの場合似つかわしくない。
もう再び出会うことはないのだ。「さようなら。いい旅を」と手を振りながら返すと、
イタリア人も片手を大きく挙げて応えてくれた。
 どちらともなく電車がピッと短く警笛を鳴らすと、もう片方の電車もピッと応えて
両方の電車は正反対の方向に動き出す。片や仙台を、片や山形を目指して。

 しばらくすると、奥羽山脈の一部、南面白山を貫く長いトンネルに入る。
古いトンネルで縦横の幅が狭く、電車はぎりぎりで通り抜けているといった感じで、
トンネル通過音のごうごうとした音がひどく、とても会話などできない状態となる。
自然、友人との会話も途絶えて、瞑目し、今日一日のことを振り返る。
朝8時半に仙台駅で友人と合流し、10時に山寺に着き、雪景色の期待を裏切られつつ
仕方なく山寺登山を始め、慰めに見知らぬ夫婦者に不滅の法灯の曰くを語り、
途中で幸運にも下見に来ていた山寺のガイドに出会して見識を深め、
一番奥の本殿では一面の雪に雲上の極楽浄土を拝み、展望台からは予想外の新世界を発見し、
若い女の子たちには要らぬ写真撮影をさせられ、背中越しに友人の悲しみの度合いを推量し、
たくさんの小さな慰霊碑に気が付いては積年の供養に思いを馳せ、
そして遠方からの訪問客、イタリア人とも出会った。たった半日でなんと稔り多い体験
だったことか。時季外れの、閑散とした、静寂が漂う山寺で、人と人との運命の糸だけは
偶然にも絡み合い、彩りの豊かな組紐のような思い出を作ったのであった。
ただ、そんな風に感慨深く思うのも、手前味噌の拡大解釈の賜かもしれない。
確かに人出のほとんどなかった割には、偶然とは言え、それぞれの絡みは深かったように思う。
でも、それらすべての出来事への思いはこちらの勝手な思い込みであって、
先方からしたら、ただの通りすがり、旅の景色のほんの一部といった具合かもしれない。
しかしながら、さらに逆に考えれば、そんなささいな出来事にも、直感的に感じたままに
自らの様々な思いを重ね馳せれば、旅の思い出もさらに深化する。そしてそれらの思いを、
感動を記したくもなるというものだ。

 それにしても返す返すも悔しいのは、あのイタリア人に十分なおみやげ話を、
自分なりのおもてなしの心を渡せなかったことだ。

 トンネルを抜けると太平洋の温暖な気候の影響を受けた宮城県に入る。
列車が進めば進むほどに人家も増えて、旅の終わりを、そして日常への帰還を否応なしに
知らしめてくる。この友人とは仙台駅でお別れとなるが、きっとまた1年と経たないうちに
どちらからともなく誘って出掛けることになると思うので、「じゃあね」とか「またね」と
言って別れるだろう。そう言えば、亡くなった友人の息子さんのお墓には毎年通っているが、
残された家族を見守るようにと手を合わせるまでで、自分ですらまだ「さよなら」は
言えていない。もう二度と会うことはないであろうあのイタリア人に「さよなら」と
言えただけは救いなのかも知れないと思った。
「If you go to Roma,you must do like
Romans.」も通じたかも。流れゆく車窓の景色をぼんやりと見送りながら、
まだ下手な英語を考えていた。

(もしあなたがローマに行ったならば、ローマ人のように振る舞わなければならない。
「郷に入っては郷に従え」ということわざのイタリア版。後で調べたら正確には
「When in Rome,do as the Romans do」だそうだ)

(最終回。終わり。)


■ 執筆後記 ■


山寺の下山時に改めて確認した、登り口近くにある「姥堂(うばどう)」。
小さなほこらだし、中は真っ暗なので、気にも止めなかったようだ。


「姥堂」の中の地獄のばあさんの像。なかなか恐ろしい形相をしている。
くまのプーさんと縁があるのかは不明。


別れ際に、JR山寺駅から山寺を撮影。
2011年2月に山寺駅を通過時に撮影した下の写真と比べると、
いかに雪が少ないかが分かるだろう。
そう、あの東日本大震災の1ヶ月前にも、山寺こそ登らなかったが、
ここら辺をうろうろしていた私であった。


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