旅の空色
2016年 1月号
正月の華
今年は正月早々二日から素晴らしく華やかな三輪の花を眺めた。
一輪は凛として慎ましく、威厳も見え隠れする薄曙色の花。その隣に控える若い二輪は、
青緑色と瑠璃色の明るく清々しい色合いで、躍動を秘めつつも控え目に凛々しく並んで
咲いていた。
毎年のことながら、人の波に流されて、落ち着く場所の定まらないイベントであるが、
今年はたまたま幸運にもその三輪の真正面近くに陣取ることができた。
本来なら主役たる天皇陛下のお姿とお言葉に目と耳を向けなければならないところで
あろうが、5分少々のお出ましの間、私の目は不真面目にもその花々に魅了されつつ、
手前勝手な思索を巡らせていた。
[シンプルな色形のドレスながら、母娘三人三色で立ち並ぶと、優雅さも際立って圧巻だなあ。
でもこの絵のような華やかさの裏では、女三人寄れば、家ではいろいろなことがあるんだ
ろうな。とりわけ瑠璃色の花は父親に似て、導火線が短いってご自身でおっしゃられて
いたから(なんか随分と年下の女性に向かって使う敬語がおかしいと感じつつ)、
父娘が喧嘩した時などは、仲裁に入る母や姉は大変なのかもしれないなあ。
でもなんだかんだと過ごしながら、1年の始めに天皇陛下の新年のお言葉を求めて集まった
聴衆の前に、父母娘と家族揃って立つことは素敵なことだなあ]などと。
ここまで思索を巡らして私はあることに気が付いた。これまで皇居一般参賀に来ることは、
ただただ正月らしい雰囲気を求めてのことと考えたいた。しかし今回”家族揃って”という
キーワードが出てきた途端、これも大事な要素であることに気が付かされたのだった。
我が家でもほんの数年前までお正月は家族全員が揃ったものだった。
私の父と母、妹とその家族、そして我が家族と、皇居のテラスに居並ぶ皇族の方々同様に、
お正月はみんな揃って歓談するのがならわしだった。しかし母が病気になって入院し、
仕切り屋が不在となると、一見簡単そうに見えたそのならわしはあっという間に難しく
なってしまった。思い返せば母のお母さん、おばあちゃんが生きていた時もそうだった。
その時は母の姉妹弟を始め、その家族と私の従兄弟達が狭い家に全員集合するのが
正月の決まりだった。でもおばあちゃんの死後、皆ばらばらになってしまった。
天皇皇后両陛下の内廷(天皇の本家家族をそう呼ぶらしい)を中心に、左手に東宮家、
右手に秋篠宮家と、三家のご家族を仰ぎ見ながら、私は毎年”家族が揃う”ことを
ここに確認しに来ていることに今回気が付いたのだった。
「象徴」とか、「万世一系」とか、それも大切なことなのだろうけれども、私にとっての
皇居一般参賀は、家族が元気に一同に揃って新年を迎える、その幾久しい微笑ましさを
見届けて、本年も平安であることを日本を代表するその家族とともに祈るという
年中行事であることを確信したのであった。
病院にいる母は半身麻痺ながらも元気ではっきりしている。一度、島倉千代子の歌のように、
「これがこれが二重橋だよ。おっかさん」と車椅子で渡りつつ、この正月の華やかさを
見せてあげることができたらと考えてはいるが、そんな提案をしたらきっと母は、
「あたしゃ神田は淡路町生まれだよ。皇居なんて鼻先、庭みたいなもんだよ。
お登りさんじゃないよ。」なんて粋がるかもしれない。
珍事
正月二日の皇居一般参賀は判で押したような流れで毎年進められている。
皇居外苑の二重橋前で手荷物検査と身体検査を受け、二重橋を渡って長和殿で天皇陛下の
お出ましを見た後に、急な坂を降りて坂下門もしくは桔梗門から丸の内方面に出るか、
乾門を抜けて靖国神社方面に行く流れである。毎年全く決まり切った人の動きで、
借りてきた猫の如く行儀の良い人々の集いなのだが、さすがに20年も通っていると
時折ちょっとした珍事もあるものだ。今年もそんな小事件に遭遇した。
いざお出ましの時間ともなると、人々は少しでも近くで見ようと、前の人との間合いを
詰めるといったささやかな努力をし始めて、結果みんな身動きがとれなくなる。
そんな中にあって私と嫁とは人ひとりを隔てて、嫁がやや斜め前に出る形で収まって
しまった。まあ不可抗力の結果なので、別段気にもしない配置であったのだが、
お出まし後にしばらくすると嫁に向かって、後の方から白い棒がにょきにょきと伸びてきた。
この棒は何なんだ?と私が当惑していると、その棒、よく見るとボーイスカウトが作って
配っている小さな日本の旗を逆にしたものだと気が付いたのだが、嫁の被っている
帽子の縁の後の部分に引っ掛けて、帽子を落としにかかり始めたのだ。
天皇陛下の前で帽子を被っているのが不敬になるとの警告かとも思ったが、
周りにも帽子の人がいるので、どうもそうでもないらしい。
ではそんな悪戯をするのは誰かと、恐る恐る横目で棒の持ち主を確かめると、
小柄でかなりご年配のご婦人が、腕をあらん限り伸ばしてえいえいと棒を操っていた。
時たま棒の先が上手い具合に引っ掛かって、嫁の帽子が前に傾くが、その度に嫁は帽子を
直している。帽子がぽんと飛ぶようなクリティカル・ヒットには至らなかったが、
この異常事態に嫁も気が付きつつも、密度の高い人混みの中で、帽子を直す以外の動きは
出来かねるようであった。(うちの嫁になにか不手際でも‥)とそのご婦人に声を掛けよう
かと考えたが、攻撃相手の身内が側に居たとなるとご婦人もバツが悪いかもしれないし、
逆に私が何かしらの不始末の文句を言われるかもしれないとも恐れて、あえて他人の顔で
「その女性になにか?」とややこわばる口調でご婦人に訪ねてみた。するとそのご婦人は
「帽子の縁で前が見えないんだよね」と不機嫌に答え、また棒をエイエイとやっている。
(なんだ!そんなことか)とやや安心しつつ、そのご婦人の必死の努力と、そんな事情を
露程も知らない嫁の必死の防御とのイタチごっこに、私は吹き出しそうになってしまった。
(おばさん!だいたいこの皇居一般参賀は背の低い人にはもともと不利なんだって!)
帽子云々に限らず、背の高い外国人たちに前を陣取られでもしたら、私でさえご拝顔が
叶わぬのだから、生まれながらの背の低さは致命的でもあるイベントなのだ。
やがて皇室の方々が順に奥に下がり、名残を惜しみつつも、群衆の外側から人々が
解散し始めて、人と人との間合いが緩むと、嫁はくるりと向きを変え、私に寄って来て、
「私の帽子をいたずらしている人いなかった?」と怒気を含んだ声で尋ねた。
私は事の顛末を簡単に述べると、「そのおばさんどこ行った!」と嫁は鋭い目付きで
犯人探し始めるが、すでに加害者は人の渦中で判別がつかない。
そして今年もまた、あちらこちらから「ぜんぜん見えなかった」という嘆きの声が
漏れ聞こえてくるのだった。
■ 執筆後記 ■
「君んちが毎年、正月の皇居一般参賀に行っているって親に話したら
うちの二人の親びっくり仰天していたよ」
近くの同業者であり同級生でもある友人にそんなこと言われた。
かなり意外であったようだ。
無神論者と見えるのか、ノンポリと見えるのか、
はたまたリアリストと見えるのか、いずれも当たりであるが、
熱い想いはなくとも、こだわりの正月行事がひとつくらいあっても
いいじゃないかと心の中で反論した。
ところで今年2016年1月、天皇皇后両陛下は54年ぶりに
フィリピンを訪問されたとテレビニュースで見た。
訪問先でのご様子をニュースの度に映像で見ていたが、
フィリピンにある日本人戦没者記念碑に
ヘリコプターで向かうという映像で、先に乗り込まれた天皇陛下が
振り返って皇后陛下にさっと手を差し伸べられた様子に
「さすが〜。やられた〜」と感服してしまった。
皇后陛下を案じて、自然に出る支え手の優しさは
”さすが”と敬服するばかり。
そして”やられた〜”はその優しさが私の心を打ち抜いて
参った〜という意味である。
象徴天皇とはいうけれど、
あんな風に優しい自然な立ち振る舞いができる男に
なりたいものである。
そしてまた正月の皇居一般参賀に行くことが楽しみになりそうだ。
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