旅の空色
2015年12月号
ある妖怪の死
今年2015年、世界でも日本でも善きこと悪しきこといろいろあった。
そんな中でも私が一番びっくりしたのは漫画家の水木しげるが死んだことであった。
その訃報を聞いた時、ただただ驚きとともに、「あの人が死ぬのか?」と言ってしまった。
水木しげるの近親者には大変失礼な物言いであるが、悲しみなどみじんもなく、
驚きのみの私の心境であった。私にとって水木しげるは、彼の描いた数々の妖怪たちと一緒で、
もはや妖怪の域の存在であったのだ。客商売上、毎年多くの人の訃報を耳にし、
死は避けられないという自然の摂理は重々承知している私であるが、
この世で水木しげるだけは別格であった。こんな馬鹿げた考えをしているのは私だけかと
思ったら、訃報を知らせるニュース番組でインタビューに答える人々の中に、
「え!?あの人死ぬんですか?」と答える人があったので、どうやら私と同じ感覚の人は
多いらしいとほっとした。生きとし生けるもの、いつか死ぬのは当たり前という概念さえ
曲げることのできる人だったと今更ながら感心し、また呆れてもいる。
私が水木しげると出会ったのは、子供の頃に見た『妖怪大百科』という本である。
日本全国津々浦々、各地に伝わる妖怪が水木しげるの挿絵を中心に解説されていた。
埼玉を代表する妖怪は「ひたひた小僧」。夜道をひとりで歩いていると、後からヒタヒタと
後をつけてくる足跡がする。気になって立ち止まり後を振り返ると薄暗い一本道には
誰も居ない。気のせいかと再び歩を進めるとやはりヒタヒタと音がする。
背筋がぞっと冷たくなり、また振り返るべきか、それとも走り出すべきか考えることになる。
今から考えればたわいのない話であるが、この話が子供だった私に与えた影響は大きい。
なにせ今でも、ちょっとした暗がりにも気を付けるような癖がついてしまったからだ。
暗闇には何か居る!という感覚が私の骨の髄まで根付いてしまっている。
水木しげるが自らの戦争体験を元に書いた漫画『総員玉砕せよ』の最初の何ページかを
読んだ時、私は大笑いしてしまった。なんと最初は従軍慰安婦の話から始まるのだ。
慰安婦宿に長い列を作る軍人たち。早くしろと怒号が交わる。やがて夕暮れとともに無情にも
営業時間が終了。明日には地獄の最前線に向かうという軍人が列に多く取り残されている。
そんな気の毒な姿を見かねたひとりの慰安婦が歌を歌い出す。すると他の慰安婦たちも
歌に加わり、やがて軍人たちも歌い出してみんなで大合唱。ほんの一時、そこに居た
すべての人々の心が救われる。戦場の真実を赤裸々に、でも滑稽に、人間味溢れる話として
描いた作品に感動さえ覚えると同時に、慰安婦たちは日本人なのか、外国人なのかは定か
ではないが、隣の国のあの団体が見たら卒倒するに違いないと冷や冷やさせる漫画でもある。
1973年に発表された作品であるが、当時例の従軍慰安婦の問題はなかったのだろうか?
戦争で片腕を失い、命からがら帰国できた水木しげるは、その後20年ほどは、
日本で世界でどんな事件や事故が起ころうとも、何の感傷にも浸れなかったと語っていた。
精神医学的には何らかの名前の付く心の病気だったと思うが、そんな思いをくぐり抜けてきた
からこそ、多くの人に慕われる今の水木しげるができたのだろう。まったく屈託の無い、
自然人を思わせる、人を食ったような水木しげるだった。
私の大好きな妖怪に「ぬらりひょん」というやつがいる。
姿形はまるで人間で、仕立てのいい和装をして、どこかの大店(おおだな=大きな商家)の
主人といった出で立ちだが、妖怪の一種である。水木しげるのゲゲゲの鬼太郎の世界では、
このぬらりひょんは妖怪の総元締めで、黒幕といった役回りであった。
これはゲゲゲの鬼太郎という漫画が、元々の作者の思いとは別に、世間受けを重視して
改められ、毎度悪い妖怪を鬼太郎がやっつけるという、勧善懲悪の活劇に変更させられた
過程で、悪玉の親分に担ぎ上げられた結果であった。しかし『妖怪大百科』によれば、
実はもともとは大人しい妖怪で、人畜無害な妖怪であった。本来のぬらりひょんは
どこからともなくやって来て、裏口から家に上がり込み、家人にお客だと間違われて
お茶を出されたり、または自分で勝手にお茶を入れたりして他人の家でひとときを過ごし、
いつの間にかいなくなるという、何だか分からない妖怪なのである。
今、この妖怪を思い起こして、私は有名な芸術家・岡本太郎の母であり、小説家であった
岡本かの子の短編「みちのく」を思い出した。宮城県の仙台の街並みを歩くと、
商店の軒先や店内に座布団の上で和装に腕組みをしてあぐらをかき、笑顔でこちらを
見ている人物の写真や模した置物に出会うことが多々あるが、その人物を仙台四郎という
(別称・四郎ばか)。言うなれば大黒様や招き猫と同様に、千客万来の願いを込めて
飾られている。私は四年間仙台に居て、その人物の意味は知ってはいたが、その由来は
知らなかった。なぜ何の変哲も無いその男が商売繁盛の象徴として飾られるように
なったのか?その経緯を教えてくれたのが岡本かの子であった。
岡本かの子も縁あって仙台を訪れた際に、この見慣れぬ人物の写真がそこかしこに
飾られていることに疑問を持って、地元の人にその由来を聞いたという始まりでその短編を
書いている。仙台四郎は実在した人物で(本名・芳賀四郎)、別称「四郎ばか」とあるように、
常人と違ってちょっと頭の足りない人だったそうだ。ところが何がきっかけか、
神様の啓示でも受けたのか、ある時以来、商家の店先をきれいに掃き清めることを
自らの生業にし出したのだった。当初お店の方も、おかしなヤツが来たぞとばかりに
追い返していた。ところがバカにしつつも、仕事っぷりがいいのでしばらく様子を見る
こととなり、お金のお恵み目当てかとその男に聞いてみると、少しばかりのご飯のおこぼれに
与れればいいという。そんなものでいいのならと、やがて頼む商家も増えて、
さらに変わった男がいるぞと噂が噂を呼んで、男の周りには常に人集りができるようになり、
いつしかその男は客を大勢呼ぶと、商家に崇められるようになったのだった。
もし死んだ常人が墓場から生き返ったら、鉄砲で撃たれるか、もしくは心の臓を杭で
打ち抜かれるかして、きっと墓場に戻されるであろう。でももし水木しげるが
墓場から出て来たら、人に噛み付かない限り、肉体は少々朽ちていても、または
全く別の姿でも、それが生前の水木しげると分かれば、案外社会は素直に受け入れるかも
しれない、ましてや妖怪漫画など描き出したらなおさらだろうと想像してみて
おかしくなってしまった。仙台四郎は商売の神様になった。ぬらりひょんは得体の知れない
大人に子供がつけた呼び名が始まりかもしれない。水木しげるには、ひょっこり生き返って
妖怪となり、自らその存在を証明してほしいと願っている。
■ 執筆後記 ■
エッセイの最後に水木しげるにはひょっこり生き返ってきて妖怪となり
自らその存在を証明して欲しいと書いた。
以前書いたように河童の存在を信じる筆者において
その願いは本当であるが、同時にそれは水木しげるにとっては
非常に残酷なことであるとも思っている。
なにせゲゲゲの鬼太郎の主題歌にあるように
「おばけは死なない」のだから。
中国・秦の始皇帝を代表に、人類の歴史において人は不老不死を願ってきた。
しかし本当に永遠に生き続けることは、人の幸せに繋がるのだろうか?
真面目に論理的に考察した資料を私はこれまで目にしたことはない。
けれども映画や物語において、永遠の命はほとんど悲劇と捉えられているので、
おそらくはきっと不幸に繋がるのではないかと私は確信している。
例えば名女優、メリル・ストリープの映画『永久に美しく』。
今の美しいままの姿で生きられる秘薬を手にしたが、
その体を壊れないように維持するのに
常に気を付けなければならない喜劇となっている。
最後は体がバラバラになってもなお生きているという滑稽な結末だった。
高橋留美子の漫画『人魚シリーズ』においては
人魚の肉を食らって首を切り落とさない限り死なない、
それ以外はどんな重体になっても自然治癒してしまう
体になった主人公・湧太が、散々と生き死にを繰り返した末に
普通に死ねる体に戻るためにさすらう話となっている。
自分以外の周りの人々が、年月と共に年老いて死んで行くのを
見送るのに疲れ果てての決意でもあった。
みんなが不老不死になれたのに、やがてはみんなが死を望むようになる
という話もある。名優、ショーン・コネリー主演の映画『未来惑星ザルドス』。
快適に長く生きても最後は退屈なだけで、やがて生きるのが辛くなっての結果だった。
野蛮人に殺してくれとすがり懇願する不老不死の人々の姿が
印象的なラストシーンである。
大ゲーテ曰く、「もっとも耐えがたいのは天国での平穏な日々」。
限られた命、限られた資質、限られた資力の中で、
知恵と勇気を持って、そして運を賭けて挑むからこそ、
この世は面白いと言えるのだろう。
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