旅の空色
2015年11月号
藪蛇 (やぶへび) その2〜私の大蛇〜
CASE その1
嫁「ニュースでやってたけど、おもちゃのピストルで警察が出る大騒ぎだったんだって」
私「ふ〜ん。でもおもちゃのピストルって言っても侮れないんだぜ。
超硬質のプラスチックがあって、1発くらいなら鉄製の銃と同じように
発砲の熱に耐えて普通に撃てるんだよ」
嫁「それって‥もしかして‥」
CASE その2
嫁「あっ!この曲知ってる。G線上のアリアだ」
私「この曲って、バイオリンの4本の弦の内、1本しか、G線しか使わないで弾くから
G線上のアリアって呼ばれているの知ってた?でもバイオリニストに恥をかかすために、
演奏中にこのG線を切るよう頼まれた話があるんだぜ。」
嫁「それって‥もしかして‥」
CASE その3
嫁「健康診断の案内が来てるよ」
私「そろそろ簡単な検診じゃなくて、徹底的に診てもらう頃合いかもしれないな。
そう言えば、彼って自分の健康診断専用の医療設備を備えた大型の帆船を持って
いるんだよ。定期的に一流の医者を呼んで、体の隅々まで異常がないか調べているんだ」
嫁「それって‥もしかして‥」
『藪蛇』とは「余計なことをしてかえって悪い結果を招く」意味のことわざである。
しかしここでの『藪蛇』とは「相手にちょっと聞いたばかりに、本来は全く興味がないのに、
長々と話に付き合わされる泥沼の状態に陥る」ことを意味する。
不用意にも話をちょいと切り出したばかりに、お呼びでないのに蛇が顔を出して、
その後にょろにょろにょろにょろといつ果てることの無い蛇のお出ましに
付き合わなければならない様、さらに蛇には余計な足やひれまで付いているといった
目も当てられない有様である。これは「藪から蛇足蛇」と言った方が正確かもしれない。
前回のエッセイでは、私が話し出したら止まらない話題として、『藪蛇』の一例として、
太宰治の小説「斜陽」を取り上げた。確かに太宰治は一時期、私が熱心に研究した対象であり、
また小説「斜陽」の成り立ちも、太宰の周りの人間関係や、偶然性も折り重なって、
他の小説では見られない、厚く面白い伏線を有していので、紹介のし甲斐があったと言える。
しかし太宰治ネタは言うなれば私にとって『藪蛇』二の丸であって、本丸ではない。
私の飼っている『藪蛇』の大蛇、それは漫画「ゴルゴ13」ネタである。
漫画の原作者であるさいとう・たかを氏(79才)はゴルゴ13のキャラクターについて
開口一番に「あんな荒唐無稽(こうとうむけい)な、でたらめな人物はいない」と言い切る。
と同時に「だからこそ背景はしっかりと描いている」と付け加える。ここでいう背景とは
ストーリーの世界観である。ゴルゴ13においては私たちの現実世界とほぼ変わらない、
リアリティーを持った世界が描かれていることが大きな特徴なのだ。
漫画「ゴルゴ13(サーティーン)」は、あまりにも有名な漫画であるので、
いまさら説明の必要はないかもしれないが、1968年11月より、小学館の漫画雑誌
「ビックコミック」で連載が始まった世界を股に掛けたプロのスナイパー(狙撃手)、
暗殺者を描いた話で、2015年11月現在、発表総数557話、そして今も連載中の
超ロングラン掲載漫画であり、さらに休載したことがないという驚くべき実績も誇っている。
世界の国々を舞台に、実在する政治家や思想・宗教団体、各地の地理や歴史、
経済や金融事情、環境破壊や紛争問題、資源エネルギー抗争、ネット社会や遺伝子組み換え、
テロリズム、ナチズム、人身売買などを扱い、正に現実世界を生き写した話となっている。
あまりのリアリティーさに、政治家の麻生太郎現副総理兼財務大臣に「生き馬の目を抜く
(=油断も隙もない、出し抜き合い騙し合いの)国際政治の舞台裏はゴルゴ13に学んだ」
と言わしめたほどである。このリアリティーが荒唐無稽な人物の後から光を放つと、
そのでたらめな人物まで、まるで実在しているように思わせる仕掛けとなっているのだ。
いや、私にとって、また多くのゴルゴ13ファンにとって、もはや彼は実在の人物に
他ならないのである。大所高所に立つ国際事情や問題はもちろん、ささいな日常の
人間ドラマも数多く描いてきたゴルゴ13は、日々のニュースを始め、日常生活においても、
ゴルゴ13に繋がる話の切り込みに事欠かないのだ。まあちょっと強引な引っ張り時も
あるが、半ば嫁への嫌がらせも込めて、冒頭のCASE1〜3で紹介したように
私の大蛇は日々藪から顔を出しては、嫁に絡みつくチャンスをうかがっているのである。
読者諸君にはあまり興味がないかもしれないが、CASE1〜3について簡単に説明すると、
プラスチックの銃は金属探知機に引っかからないことと、おもちゃみたいで油断すること、
加えてその軽さで用いられた。狙撃場所が野球場だったため、狙撃とともに逃げ場が無くなり
ゴルゴ13は簡単に警察に捕まるのだが、肝心の凶器が出てこない。実は警察に捕まるのも
計算の内で、アリバイ工作と時間稼ぎが彼の目的だった。G線上のアリアは演奏中に
たまたま弦が切れて恥をかいたバイオリニストが、同じ恥を同業にかかせようとゴルゴ13に
依頼した話である。演奏者と共に縦横無尽に動くバイオリンを、さらにその弦1本だけを
打ち抜くなんて実際にはあり得ないことであるが、ゴルゴ13は見事に狙撃に成功。
演奏者は驚いて一瞬立ち尽くすものの、すぐにひとつ上の弦を調整してG線の音調とし、
何事も無かったように演奏を続けるのであった。恥をかくか、かかないかは彼の仕事とは
関係のないことだった。健康診断の話は見慣れぬ大型帆船の停泊に疑念持った地元の刑事が
船に乗り込み調べてみると、船内は見たこともない立派な施設をもつ病院船であった。
船から引き上げてきた医者たちに中で何が行われていたのか刑事が話を聞くと、
たったひとりの男の精密検査をするためにわざわざ呼ばれたのだという。後でその男、
ゴルゴ13の素性を知った刑事は、プライベートでも油断の無いそのプロ意識に驚くとともに、
もしちょっとでも異常があったら、生きて帰れない医者がいたことにぞっとするのだった。
紙面の関係で実に簡潔にCASE1〜3について話の続きを述べたが、嫁は「それって‥、
もしかして‥、ゴルゴ13の話‥」と話の出所を言い当てた後に、太く長い大蛇の登場を
延々と見送らなければならない運命となる。これが私のストレス解消法のひとつでもあるし、
仮にも一緒に暮らしている嫁の義務でもある。
■ 執筆後記 ■
笑われてしまうだろうが、あえて言うと
ゴルゴ13の生き様は私の人生のお手本であり、憧れである。
物語の中心であるハードボイルドや
おまけのエロチックなところも面白いが、
私がもっとも惹かれるのは真の『自由人』であるところだ。
国籍も人種も社会も思想も人間関係も
彼の生き様には一切関係ない。
彼を束縛するものは何もないのだ。
いや、その束縛と戦い続けているのが彼の人生であると
言ってもいいのかもしれない。
いかなる組織にも属さないからこそ、
思想というものがないというか、見えないからこそ、
社会の敵と、テロリストと見られる時もあり、
その偏見と彼は度々命を賭けて戦っている。
そんな属さない生き様だからゆえに、孤独とも戦い、友ともしている。
私が日々小さな商店を切り盛りして、
大資本の時代にあって四苦八苦とがんばっていられるのは、
この『自由人』たる権利を守るためだと
このゴルゴ13が教えてくれたと考えている。
しかし『自由人』と言ってもまるで自由というわけではない。
毎朝決まった時間にお店を開けなければならないし、
お店が開いている間は店番をしなければならないし、
店が閉まる時間まで、それこそ自由などあったものではない。
定休日は週に一度、月曜日の1日で、
時間的に言えば、勤め人の方が週休2日と
自由な時間が多いだろう。
にもかかわらず、この労働環境で『自由人』を標榜するのは、
自分がこのお店の主でいるうちは、
誰の指図も受けることはない、
自らの自由意思で物事を決められるからである。
まあしかし『自由人』に憧れつつも、
完全な自由などあり得ないのも事実である。
ゴルゴ13においても、狙撃を依頼する顧客を始め、
彼の持つ情報や資産管理のネットワークにおいても
他人との関わり合いは必要であるし、
ゴルゴ13は孤独下でのサバイバル術を体得しつつも、
文明の果実の享受に十二分に与っているのも確かである。
車や飛行機などの移動手段を始め、
パソコン、ホテル、病院に商店、そして歓楽街と、
彼の仕事=狙撃のためには必要不可欠なものなのだ。
ただひとつ、彼にとって譲れないのは、
自分の意思に反した行動は決してしない、
決して誰の命令にも従わないということ。
それが例えアメリカの大統領からの忠告でもだ。
その点で『自由人』と言えるのだ。
彼が自らの自由意思をもっとも尊重する話として
代表的なのが1994年4月発表の第363話、
「G資金異聞 潮流激る南沙」だと私は思う。
裏の世界で生きる自分の存在が世に知られて、
自由な活動を制限されそうになった時、
彼にとって生きながらの死に近い状態に
追い込まれそうになった時、
彼はあえてすべてを捨てて自分を守ったのだった。
私においても、現代の社会にあって
いつまで自分の世界を守り続けられるかはわからない。
しかし同志・ゴルゴ13と共に
行けるところまで戦って行きたい‥と誓う。
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