旅の空色


2015年 9月号


私が秋田を目指した5つの理由

 『距離の暴虐(ぼうぎゃく)』、秋田にはそんな言葉がふさわしいと私は思う。
「距離の暴虐」とは、経済学用語で、”埋めきれない距離のコスト”のことを言う。
どんなに物流の技術開発が進んでも、距離の遠近からくるコスト差は如何ともしがたい、
そんな残酷さをこの言葉は表している。例えあのドラえもんの「どこでもドア」が
開発されても、この言葉の悲しき比喩は変わらないだろう。空間をねじ曲げてワープさせる
には莫大なエネルギーコストが掛かるだろうし、もし低コストで実現しても
独占技術で且つ商用利用ならば、他の物流手段よりもちょっと安いくらいの通行料で
十分商売が成り立つからである。同じ技術を持つ競争相手がいない限り、安売りをする
必要はないのだ。うはうはの儲けである。企業の目的のひとつは利益の最大化である。
 東北6県というくくりで見ても、なんと秋田の不遇なることか。
東北の人の往来の大動脈、東北新幹線の路線を地図で眺めれば誰でもすぐに気が付くだろう。
福島の福島市、宮城の仙台市、岩手の盛岡市、青森の青森市の4県の県庁所在地はほぼ
一直線に繋がっている。山形の山形市は福島市より新幹線が枝分かれする形となるが、
福島より1時間ほどの乗車時間と苦にならない(東京駅発新幹線でおよそ2時間50分)。
しかし秋田は‥。東京から盛岡までは2時間ちょいで着くのだが、盛岡から秋田市まで
残りおよそ100kmに1時間半以上を要するのだ(東京駅発でおよそ4時間近く掛かる)。
岩手県と秋田県の間によこたわる奥羽山脈の谷間を抜けるその姿が象徴的といえるだろう。
谷のくねりに沿ってのらりくらりと走る赤い新幹線の姿は、超高速鉄道という呼称には
ほど遠い姿である。
(私はこの谷間をゆっくりと走る秋田新幹線の勇姿を初めて見た時、伝説の大蛇に出会った
ような心持ちとなった。そういう意味では、外にはない貴重な光景なのかもしれない。
本来は奥羽山脈をトンネルで貫いて軌道を確保するのが超高速鉄道の王道なのであろうが、
費用対効果の問題なのだろう、在来線の線路をそのまま使うことにしたのでこの体たらくと
なっている。この秋田新幹線のいいところをあげるとすれば、途中の大曲駅(おおまがり)で
スイッチバックすることか。鉄道ファンにとって新幹線によるこの体験は、稀少で必修なもの
かもしれない。秋田新幹線は秋田駅より後ろ向きに動き出して、この大曲駅で前向きに
向きを変えるのである。常人にはただそれだけのことではあるが‥)。
 随分とひどく秋田県をこき下ろしてしまったが、よくよく考えて見ると私はそんな秋田県を
よく訪問している事実に気が付いた。東北六県では、嫁の実家がある宮城県は別格として、
その次に訪問回数が多いのが、実は上記にこき下ろした僻地と言える秋田県なのである。
宮城にいる頃に嫁と初めて訪れたのを皮切りに、お米の仕入れの関係で訪れるようになり、
やがて友人とも観光したりして、北は北秋田市から、南は湯沢町、田沢湖、角館、横手市、
秋田市、にかほ市と秋田県内はほとんど見て回ったと言ってもいいかもしれない。
そして今年7月、満を持して息子と友人の三人でまたまた秋田県を訪問する機会を得た。
この旅の目的は5つ。「自動販売機」、「なまはげ」、「不老ふ死温泉」、「青池」、
そして「国際教養大学」であった。秋田ってそんな魅力的なところがたくさんあるのか?
と思いつつも、実績がそれを物語っているとも言える。(注:「不老ふ不死温泉」と「青池」は
秋田県境の青森県の深浦町になります)

それは自販機に会いたくて始まった

 地吹雪が吹きすさむ秋田市の海の玄関口・秋田港、そんなシーンから始まる。
その港のすぐ側にさびれた商店があって、タバコやジュースの自販機と並んで
その自販機はある。温かいそばとうどんを提供する自販機。昔、ロードサイドの休憩所で
よく見かけた美味しいんだかなんだかあやしいあの自販機だ。しかもこの悪天候の中にあって
開店休業かと思いきや、雪の嵐の中を車を寄せてはそばやうどんを買い求める客が
ぽつりぽつりと現れる。すぐ近くにコンビニエンスストアーがあるにも関わらず、
なかなかの盛況ぶりなのだ。中には雪を被った休憩スペースで雪と寒さに耐えながら
食する強者も現れた。なぜ変哲もない自販機のそばやうどんに人々が惹きつけられるのか?
インタビューが試みられる。多くはその安さと即席さに利便性を感じているようだが、
中には昔友達や恋人と来た思い出や、今の自分と向き合うといった特別な場として
訪れる者も少なくない。そんな人たちは時折無性にここのうどんやそばが食べたくなって
立ち寄るのだそうだ。通りすがりのよそ者ならば、気にも止めずに過ぎて行く港の一角。
しかしそこには地元の多くの人の特別な思いがに堆積して、さらに今も新しい思いが
積もり続けて、見えない黄金郷となっていると私には思えたのであった。
NHKの番組に「ドキュメント72時間」というドキュメンタリー番組がある。
毎度ある場所にスポットをあてて、72時間撮り続けた映像を編集して放送する番組
なのだが、この秋田の回、タイトル名「秋田・真冬の自販機の前で」を見た時に、
秋田までの遠い距離が一瞬で縮まって、今回の秋田行きの決意が固まったのだった。
私の旅の始まりの多くは、観光地を訪れたという気持ちよりも、その土地の人間ドラマに
惹きつけられて始まるといったパターンの好例である。そして私たち親子と古い友人との
小さな思い出も、この黄金郷にそっと重ねることができたのだった。

恥ずかしながら、私も親バカのひとり。

 今回の秋田訪問の最後の大きな目的地、それは「国際教養大学」であった。
秋田市の中心地より東南へおよそ15km、車で一般道を走ること40分、秋田空港の
すぐ側にその小さな大学はある。周りは自然に囲まれた丘陵地で、言い換えれば何にも無い
陸の孤島のようなキャンパスだ。日本に大学は数あれど、わざわざ秋田の人里離れた
この小さな大学を訪れたのは、私自身が自分の目でこの大学の雰囲気を確かめたかったことと、
このような大学を目指して勉強に励むようにとの想いで息子に見せたかったからである。
「国際教養大学」と聞いて”はてな?”と思う人も多いかと思うが、この大学こそ、
昨今の日本の大学の国際化の魁となった優秀な大学であるのだ。この大学のシンボル的な
存在の図書館も拝見したが、秋田杉をふんだんに使い、半円形に階段状に配させた本棚は、
蔵書が一望の下に見渡せるようになっていて、さらに学生のために24時間営業と、
その知識の砦の勇姿にただただ感嘆の息が出るばかりの凄さであった。
私にとってこの大学における問題点はただひとつ。我が息子に入る実力がないことだけである。
「お前の中学校で成績一番であっても、この大学に入るのはとても難しいだろう」と言うと、
息子は目を丸くして改めて大学を眺めていた。あーあ、こんな身の丈に合わないところに
子供を連れてきて親バカ丸出しの我が身でもある。
しかしそんな存在があることを知るのも、勉強のひとつであろう。


■ 執筆後記 ■


これが今回の秋田旅のきっかけとなった自動販売機。
ただ残念なことに、NHKでの放映後、自販機は取り替えられて、
放送時のちょっと薄い味付けのものではなくなってしまっていた。
(コイン投入口の側に、「この自動販売機はNHK放送時のものと異なり、
調子の良い機械に取り替えました」という様な但し書きが書いてあった。
放送時の自販機はたいぶ古いもので、湯量の調整が不調のため、
つゆがだんだん薄くなってきていたという個性を持っていた。
たぶん放送を見た業者が、要らぬ世話(?)をしたのだろう)

自動販売機の裏にあるイートイン・テラス。
上からぶら下がっているのは、気が利くサービスの七味唐辛子。
品物は‥、なんてことのないうどんやそばである。
我々の滞在時にも、大学生らしき団体が来て、
自動販売機を写真に収めていたので、
ちょっとした観光名所になっているらしい。

ちゃんとした食事が取りたいのなら、道路向こう、
写真左上に赤いテントが見える「ラーメン海王」がお勧めである。
清潔感のある店内で、昼時は地元の人で賑わっていた。

また目の前に「秋田ポートタワーセリオン」というマリンタワーがあって、
無料で地上100mの高さからの眺めを楽しむことができる。
この高さは秋田では最高峰の建造物である。
日本海の水平線、男鹿半島の海に突出する様、
秋田港、秋田市、太平山と周りの峰々と
360度の絶景を楽しむことができる。
ここまで来たら、登らない手は無い。

自販機のある商店の目の前に建つ「秋田ポートタワーセリオン」。
with 息子と友人K

「秋田ポートタワーセリオン」から自販機のある商店を望む。
写真左下、水色屋根の大きな建物の右隣にある建物が、
今回訪問した自販機のある商店である。

一つ戻る