旅の空色
2015年 8月号
真山(しんざん)
真山に着いた時、正直私はがっかりした。
はるばる半日掛けて、やっと辿り着いた目的地の真山は、うっそうとした森の中に、
小さな社(やしろ)と、平屋のちょっとした公民館のような展示施設、そして茅葺き屋根の
曲がり屋が1軒といった案配で、想像していたよりも随分とこぢんまりと感じたからである。
しかもこの曲がり屋で行われるはずのイベントも、その気配は無く、入り口の木戸や雨戸は
しっかりと閉ざされていた。イベントは人の来場の多い休日だけかもと考えた。
こんな遠くまで友人と息子を引っ張ってきて、ちょっとした展示物だけの見学かと思うと
気も滅入った。まあそんなこんな考えていても仕方の無いことだと気を取り直し、
せめてその小さな展示でも見学しようと入場チケットを窓口で求めると、
「入場料とセットで講座の方は受講されますか?」と返ってきた。「講座?講座って
何ですか?」と改めて問い直すと、曲がり屋で行われる伝統行事の習俗講座だという。
私の気持ちはいっぺんに晴れ渡った。期待していたイベントはやはり行われるのだ。
そのイベントとは、この土地の神様に会う体験であった。
騒々しい神様
この土地の神様は、あの「なまはげ」である。あまりにも有名なので、「ああ、あれ!」と
すぐに思い浮かばれるのではないだろうか?しかしこの真山のなまはげはちと違うらしい。
ツノがないのである。神様だからツノがないという。ツノのある他の土地のなまはげは
鬼や妖怪の部類に属するらしい。
「なまはげ」とは「なもみ(火斑)」を「剥ぐ(はぐ=はがす)」というのが語源の一説
だそうだ。「なもみ」とは冬場にいろり火にあたっていると手足にできる火型のことで、
火にあたってばかりいて怠けていることの象徴である。そのなまけ心を引っ剥がすのが
なまはげの役目である。まず最初にそんな前置きを曲がり屋の囲炉裏(いろり)の間に
担当の女性がちょこんと座って話してくれる。受講生というかお客はその囲炉裏間の隣室、
20畳ほどある畳の広間に座って受講するのであるが、気が付けば山のどん詰まりの
寂しい場所と思っていたこの地に、20畳では入りきれない人々が、余り余って
さらに隣室の6畳間まではみ出した形となる大盛況振りであった。
バーン!と両開きの引き戸が勢いよく開けられると、腹の底から響くような
うおぉぉぉぉぉーという唸り声を上げながら、2体のなまはげが大きく手足を上げ上げ
ドタバタと家に上がり込んでくる。まずは習わしとして上がったところで7回大きくシコを
踏んだ後、例の「悪い子はいねえが」、「なまけものはいねえが」と言いながら、
家の隅々まで家宅捜査が始まるのである。会場の受講生の中には20人程だろうか、
小さな子供たちがいたので、それらなまはげの形相やしぐさに、さぞや大騒ぎになるだろう
と私は期待していた。ところが意外や意外、子供たちのほとんどはキョトンとした顔で、
平然となまはげを眺めている。最近の妖怪キャラクターの影響で、なまはげもその1キャラ
として見慣れていて、珍しいものではないのだろうか?
私は拍子抜けしてしまった。
ただそんな淡泊な子供たちの中にふたりだけ、異常に恐怖の反応を示して、
「怖いよ〜」「おうち帰りたいよ〜」と泣き叫ぶ姿があって、
私も、そして多分なまはげも救われた体となった。
この真山のなまはげの見所は、なまはげと家の主人との問答である。
一通り家の中を見回ったなまはげは主人に勧められるままにもてなしの御膳に着く
(御膳に着く前に習わしとして5回シコを踏む)。そして天気やお米の作柄などの
世間話から始まり、話題はいよいよ家族のことに移る。家族の話では主人は守勢、
なまはげは攻勢である。ここで主人はなんだかんだと話をごまかしたり、すっとぼけたり、
酒を勧めたりしながら、あくまでも家族を守りきらなければならない。
なまはげが「坊主はいいごにしているか?」と聞けば、「毎日元気に学校に行っては
しっかり勉強しています」と答え、「嫁は義父や義母に尽くしているか?」と尋ねれば、
「働き者のいい嫁でがす」と返すといった感じ。こんな太刀を下ろせば受け、差せば避ける
といった会話がのらりくらりと続くと、なまはげはやがて業を煮やし、
「さっきからいいことばかり抜かして、これを見ればなんでもお見通しだ」と
腰にぶら下げていた『なまはげ台帳』なる閻魔帳をぺらぺらとめくり出す。
「なんだ、童子(わらし)は元気は元気だが、先生の言うことをひとっつも聞かねえし、
ゲームばかりで勉強しないと書いてあるぞ」「嫁ごも嫁ごで、毎朝毎朝朝寝坊。
飯の支度は婆っさまがしているそうだな。毎晩遅くまでカラオケ三昧ともあるぞ」
これを聞かされた主人はただただ平謝り。そこら辺は家族に言い含めますからと、
閻魔帳を収めさせ、酒と膳を勧めてなまはげのご機嫌を取ることになる。
何でもお山の上からお見通しだとなまはげは裁断を下して、どれもう一回り家の中を見るべか
と立ち上がって唸り声とともに3回シコを踏み、怠け者はいねえがとまた探し回るのである。
まあこの家宅捜査が賑やかなこと。どっしどっしと歩き回り、開き戸は思いっ切りバーンと
ばかりに開ける始末(普段あんな扉の開け方したら、嫁にどやされるといった乱暴さだ)。
正にねずみも逃げ出すといった騒々しさで、不幸のあった家と、産後の女性がいる家は
なまはげを断るきまりもあるくらいだ。最後に主人がおみやげに大きな丸餅を持たせると、
「なんだ、また餅かあ。来年はもっといいもの用意しておけよ」と文句を垂れながらも
受け取り、「来年もまたきっと来るからな」と捨て台詞を残してこの行事は終了となる。
素敵なハプニング
ところで2回目になまはげが家の中を歩き回った時、ハプニングが起こった。
先になまはげをとても怖がっている子供がいたと紹介したが、その子がまたわんわんと
泣き出した末に、「ぼくおしっこもらしちゃった」と叫んだのである。
これに会場はどっと大笑いの渦となった。笑いといっても滑稽を笑う笑いではない。
赤ちゃんの笑顔に自然と笑い合うといった温かく見守る笑い。そんな笑いに会場は包まれた。
当事者の親は慌てたであろうが、その子供には祝福するような笑いが降り注ぎ、
人生における大きな思い出となったに違いない。よくよく回りを見渡せば、
我が子の行く末の幸福を願う親子連れで満たされている会場でもあった。
秋田県男鹿半島真山、子供たちの幸せを願う親の聖地でもある。
■ 執筆後記 ■
坊やのおかげで、さらに盛り上がったイベントとなり、
今回の旅で一番印象深い思い出となった。
一連の様子は息子・錬がビデオにも収めていたので、
「ぼくおしっこもらしちゃった〜」のシーンは
何度も見直しては、大笑いしている。
私が一番好きな言葉が「素敵」という言葉である。
めったにない偶然性も加わって、感銘や感動を受けた時に、
その場に居合わせた幸運と、最上級の賛辞を合わせて
「素敵」という言葉を用いる。
だから私にとって「素敵」という言葉は、
そう易々とは使わない言葉でもある。
この「素敵」をこのように別格に扱うようになったのは、
アメリカの名女優・ジョディ・フォスターが
少女時代に出演した映画、「白い家の少女」を見て、
その台詞を聞いて以来である。
もちろん日本語版で見たので、
英語では何と言っているのかはわからないが、
確か感謝祭のチキンが当たるクジを、
馴染みの警官が売りに来た時に、
少女が笑顔と共に、OKの返事代わりに発したこの言葉が、
正に余りにも”素敵”で、それ以来、
目の前の事象に対する心から賛意を、
素直に、そっくりそのまま讃辞として表現する
言葉として、私は大事にしている。
講座は毎日頻繁に催されているようだ。
(雪の多い冬期は週末だけのようだ)
大勢で見た方が楽しいだろう。
我々も参加した昼休み後の回が、待っている客も多く、
賑やかに見れるだろう。
真山/なまはげ館の情報は下記まで
→https://www.namahage.co.jp/namahagekan/information.php
秋田市から男鹿半島に至る海沿いの国号101号線途中に立つ
有名ななまはげの巨像。
地元のドライブインが客寄せのため建てたようだ。
見学および撮影はタダなので、思い出の1枚に必修だろう。
ところでこの国道101号線。道幅が広く、一直線なので、
ついついアクセルを踏み込んでしまう道である。
そんな道はまたネズミ盗り(スピード違反車取り締まり)の常道でもあるので
注意が必要だ。
実際、我が嫁は昔、友人と男鹿半島に観光に来た際に、
見事にお縄に掛かっている(=捕まって罰金のキップを切られた)。
そんな現場確認も含んだ、今回の秋田旅であった。
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