旅の空色


2015年 6月号


中1ショック(ちゅういちしょっく)

 「中1ショック」は造語である。派生造語と言った方が正しいかもしれない。
世間では「中1ギャップ」という表現が一般的である。
 その「中1ギャップ」とは、小学校から中学校へ進学した子供達が直面する学校生活の差、
正にギャップのことである。勉強しなければならない量や部活動に関わる時間、
またそれらの結果当然少なくなってしまう遊ぶ時間、そして極めつけは中間や期末といった
学年試験と、その度に成績をランク付けされてしまう階層化である。これまでのほほんと
みんな仲良く過ごしてきた小学校生活とは打って変わり、義務や競争、序列が課される、
大人の階段を登り始める厳しい現実である。

 久しくこのエッセイではご無沙汰していた息子・錬の従兄弟のたっくん。
無事高校受験も終わって、報告方々久しぶりにお店に顔を出した。すでに背も体つきも
一端の大人であり、今春から高校1年生なのだ。そんなたっくんが今春中学1年生となった
息子・錬に忠告したのが「中1ショック」であった。「中学になるといろいろ大変だよ。
中1ショックだよ」といった具合。たっくんは「ギャップ」を「ショック」と
間違えたのかもしれないが、「ショック」と言う表現もなかなか的を得ていると言える。
客観的にその環境差を現したのが「ギャップ」なのに対し、当事者たる新中学1年生の
立場となれば、正にカルチャー「ショック」といった主観的な表現にぴったりとなる。
そんな忠告にも関わらず、息子・錬も「中1ショック」の洗礼を受けることとなった。

 中学生ともなるとまず荷物の量が違う。確かに小学6年生の時も、ランドセルに
ぎゅうぎゅうに教材を詰めて、重荷を背負って通学していたが、中学では積載オーバーの
肩下げカバンの他に、入りきらない参考書等をボストンバックに詰め込んで、
おそらくはそれぞれ10kg超ずつ、合わせて20kg超の荷物を両肩に下げて、
毎日学校を往復する荒行となる。1日の授業でこんなに教材が必要なのかと端からは
疑問に見えるが、学校に置いておくことは許されないそうなので仕方が無い。
思い返せば我々の中学時代は、いかにカバンを薄く、ぺったんこの状態で持ち歩くことが
流行であったので、なんたる時代の違いであろうか?あの時代、教科書はどこにあったのか?
 また一日の生活もなんとも慌ただしくなる。とりわけスポーツのクラブに入ると尚更だ。
始業前の朝のクラブ活動、通称「朝練(あされん)」に出るために朝6時半には家を出て、
放課後のクラブ活動にも参加すると帰宅は夕方6時半過ぎである。風呂に入って
夕飯を食べてほっと一息ついたらすでに夜8時ころ。そんな気持ちもつかの間で、その後
本日の宿題と授業の復習が待っている。さらに最近は「育眠(いくみん)」なるものも
大事とされている。つまりは十分な睡眠、8時間は寝て体を十分休ませようという話だ。
となると夜10時には就寝しなければならないことになる。
平日に加えて休日もクラブ活動がある。息子は毎土日、半日程のクラブ練習であるが、
クラブによっては休日も丸1日といったところもある。ということで滅多に1日丸々
お休みという日はない。

 正に「蟹工船(かにこうせん)」といった労働奴隷のような生活である。
さらに週末もクラブ活動があるので、「月月火水木金金」、いや息子の場合休日は
半ドンだから、「月月火水木土土」といった具合であろう。そんな忙しい生活に息子は
『俺たちはいつ遊んだらいいんだ!』と時々爆発している。

 そしてさらに息子・錬の苦難は続く。5月に行われた中間テストの結果が悪かったのだ。
期待したレベルとかけ離れていた。こぢんまりした小学校と違い、競う相手が大勢になった
ことに加えて、出題範囲も広く、また応用が求められるテスト、いわゆる知識が試される
本格的な「試験」の洗礼を受けたのだった。その結果が悪かったということは、
次回の期末テストでの挽回を求められる流れとなる。しかして期待レベルになるまで、
勉強を繰り返すスパイラル地獄に陥るのだった。

 聞くも涙、語るも涙。ああ無情、針のむしろ、渡る世間は鬼ばかり、嵐の中の小舟、
重き荷を背に険しい道のり、じっと手を見る、七転八倒、総じて無間地獄といった
息子・錬の毎日である。親として側で見ていて、気の毒になることもしばしばであるが、
うっかり「そんなに勉強しなくていいよ」なんては言えない。同級生=競争相手も
同じ環境で四苦八苦しているのだ。遊びほうけていたらたちまちおいて行かれてしまう。
息子には「もう小学生じゃないんだ。中学生はたっくんが言った通り忙しいんだ。
遊ぶ時間は限られている」と度々諭している。我々の中学時代も、確かにクラブ活動は
忙しくきつかったけれど、今のように勉強はうるさくなかったような気がするが‥、
それは息子には秘密である。「誰でも通る道だ!」とも諭している。
 ただ救いは、そんな逆境にも関わらず、また不満をぶちまけながらも、息子の持つ
楽天家の天分で、毎日なんとか歩みを止めないで前へ進んでいることである。
その明るく元気で素直に過ごしている姿には、「成績はともかく、お前はがんばっている」
と時折賞賛を贈っている。

 そんな「中1ショック」と日々奮闘している息子・錬が、また反抗期にも差し掛かった
息子が、私に変に反抗しない理由がふたつあると思われる。ひとつは私が息子と同じ
中学の先輩であると同時に、同じ卓球部の先輩でもあるのだ。つまりはダブルで大先輩なわけ。
クラブに行き始めた当初も、私が昔使っていたラケットを持って行ったりしていて、
クラブ担当の先生には、「このラケットから察すると、君のお父さんはカットマンだった
ようだね」とか言われ、私の在りし日の勇姿を息子は勝手に想像していたらしい。
本当はたいして強くなかったのだが‥。これも秘密である。
あともうひとつの理由は、私とふたり、父子二人旅を今でも行きたいからである。
その旅をエサに、しっかり期末試験に望むよう、そつなく息子の尻を叩いたりしている。

トンビが鷹を産むじゃなし。息子の不出来は私の責任とも感じている。
しかしそんな親の引け目や不出来は隠しつつ、今日もまた、息子を叱咤激励する。
その努力が形となって報われるまで。その前にグレなきゃいいが‥。


■ 執筆後記 ■

トンビもトンビなりに羽ばたいてもらわなければならない。
いずれトンビなりに自由に空を飛べるように。

成績の振るわなかった1学期を挽回するチャンスは
夏休みをおいて他にはない。
夏休みもほぼ毎日といっていい程クラブ活動があるが、
それも半日で、残りの半日は時間が作れるからである。
また学校が始まってしまうと蟹工船生活となり、
毎日の課題をこなすのに手一杯で、
過去の復習まで手が回らないのも現実である。

そこで私は息子に、夏休み中に塾へ行くか、
または通信教育を受けるかで
1学期の復習と補強をするように強く命じた。
私としてはマンツーマンの塾でしっかり指導を受けるよう
望んでいたのだが、息子は通信教育をやると
自分で決めたので、今回はそれを尊重した。
ただ今回の通信教育で結果が伴わなければ、
冬期や春期は塾通いを条件とした。

学校で1番になれとは言っていない。
10番以内に入れとも言っていない。
しかしせめて200人中30番くらいを目指して
がんばれとは言っている。
ぼーっと過ごして3年生になった時に
慌てて高校受験に臨まないようにだけは
してほしいものだ。

ローマは一日にして成らず

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