旅の空色
2014年12月号
「シリーズ 誰がために金はある @」
私もお金がほしい。お金がたくさんあったら随分と楽だろうとしばしば考える。
お金があれば豊かになれる。確かに買えないものもあるけれど、少なくとも物質的には
豊かになって生きて行く上で困ることはほとんどなくなるはずである。
そんな豊かさの象徴たるお金であるが、お金がたくさんあるのに、とても数え切れないくらい
あるのに、人々を豊かにできないとしたら、正に本末転倒である。
この「誰がために金はある」のシリーズでは、そんなお金について少し高い場所から、
筆者の持ち得る経済の視点から気ままな掲載で考えてゆきたい。
『デフレの正体』
今、世の中はお金で溢れているという。じゃっぶじゃぶらしい。
およそ20年前のバブル経済崩壊以来、景気を刺激するため良くするため、
お金を借りやすくしようと世の中にお金を注ぐ蛇口は徐々に緩められて、数年前よりすでに
お金は溢れかえっていた。今から1年8ヶ月前の2013年3月、銀行の銀行たる
中央銀行「日本銀行」のトップに任命された黒田東彦(くろだ・はるひこ)総裁は翌月の4月、
さらにお金を前例のないほど大胆に世に送り出す宣言をした。「黒田バズーカ(大砲)」と
言われている宣言である。「今後2年間でお金の量を2倍にして物価を2%上げる」と
強い決意を語ったのだった。「2」が3つ並んだ分かりやすいシンプルな説明は
40年前に力士、高見山(高砂部屋)が布団の丸八真綿のCMで「2倍!2倍!」と
綿の増量を宣伝して以来のインパクトのある「2」の数字であった。
この大量のお金の供給は、さらなる景気刺激に加えて、新たに「デフレ」を退治するために
行われた思い切った一手であった。
「デフレ」とは、随分日本人にはお馴染みとなった言葉であるが、
正式に「デフレーション」とは、モノの値段が継続的に下がって行く経済状態を言う。
一見消費者にとってはとても良いことのように見えるが、大きくふたつの理由を持って
悪いとされている。ひとつはお金を使わなくなることである。先々値段が下がるという期待
(=デフレ期待)が一般的になると、生きて行くのに必要な食料品や消耗品は別として、
特に家や車などの高額品は、「もうちょっと待てばさらに安くなる」という期待が先行して
購入に大きくブレーキが掛かるのである。つまりは景気に必要な金回りが悪くなるということ。
もうひとつの「デフレ」の弊害は、お金を使わなくなった結果、事業者の売り上げが
”減少”し、事業者が自衛手段としてコストや人件費を”減少”させて、人々の全体での
所得も”減少”。所得が減少した人々は、さらに安いモノを求めて値段の下落に拍車を掛けて
事業者はさらに売り上げを落とし、経費を切り詰め、人員を整理し、またまた人々の所得を
押し下げるといった具合に”減少”が”減少”を呼ぶ無限地獄に陥ると言われている点である。
これをデフレの連鎖=「デフレ・スパイラル」という。
日本銀行は大量にお金を供給することにより、「先々モノの値段は安くなる」という
人々の気持ちを、「これからはモノの値段は毎年高くなる」という逆の気持ちに変えて、
お金を使うように、お金が回るように仕向けたいのである。
まあこれらの事柄は新聞やテレビのニュースで度々取り上げられているので
読者諸君には退屈な話だったかもしれない。ところで「デフレ」の意味は一般的によく
知れ渡っていると思うが、その結果たる状態を生み出した「原因」は何なんであろうか?
そう問われるとこの解説は意外に少ない。ここ数年、私はその答えを求めて機会ある毎に
本に新聞にと様々な仮説に目を通してきたが、結論から言えば「デフレの原因」は
実ははっきりとしていないのである。
そんな中で、もっともらしい優等生的な説明は「需給バランスの問題」である。
需要(買い手)以上に供給(作り手)が多く、モノが余った結果として価格が下がっている
という理屈だ。またこの他にも経済のグローバル化に伴い、物価の安い国々からの輸入品で
溢れているのも一因だろうし、大資本による絨毯爆撃のような低価格攻勢もデフレを
後押ししていると思われるし、工場の海外移転による国内の仕事の減少と、
それに伴う所得の減少もあるだろし、収入の固定された年金生活者の増加による
購買の縮小も原因だとも思われる。そんな中で私が最もしっくりと納得した原因、
それは人口による説明であった。人口の増減によって特に需要(=消費)が左右される
という考え方である。人口がどんどん増えていれば、人の生活に必要な衣・食・住を
始めとする消費も必然的に増えて、供給(=事業体)も拡大する。
このような好循環を経済学では「人口ボーナス」という。代表的なのは隣国・中国であり、
増えすぎた人口に規制をかけてはいるものの、人口を武器にしているのも事実である。
またアメリカ合衆国も高い出生率(2を越えている)と移民受け入れ政策が相まって、
私が30年前に地理で習った2億4千万の人口が、現在では3億1千万超に増えていた。
これとは逆に人口の減少とともに消費が縮小する経済構造を「人口オーナス」という。
日本は1億3千万弱の人口で頭打ちといった具合だが、日本の場合、人口の構成内容も
重要で、若い人を中心に働き盛りの人口は減少傾向にあり、高齢化によりリタイア者が
増えている現状は周知の通りであろう。とりわけ若い人や働き盛りの人は本来消費意欲も
旺盛で、この人口層が経済に果たす役割は大きい。加えてグローバル化による仕事の
海外移転は、結果この人口層の働く場と賃金を奪っていると言っていいだろう。
「デフレ」はモノとお金の関係で見た時に、モノの値段が下がっただけお金の価値が
上がったことを意味する。だからたくさんのお金を世に出してお金の価値が下がれば、
「デフレ」は解消し、今度は「インフレ」に向かうという日本銀行のやり方は正攻法である。
しかし正常なインフレは好景気の結果であって、先にインフレあっての好景気ではない。
実際、日本銀行が世に送り出したはずのお金は実は日本銀行内にそのほとんどが滞留している。
ただただお金を唸るほど用意しても、景気の果実は育たないのである。確かにやっと
デフレから抜け出つつあるように見えるが、日本銀行のやり方に外国為替市場が反応した
「円安」がもたらした輸入物価の上昇によるものであって、お金の好循環によるものではない。
しかしこんな少々乱暴なやり方をしなければならないほど、我が日本には『時間』がないのだ。
「デフレ対策」を始め、「景気対策」、「消費税」、「社会福祉」、「少子化対策」、
「女性活用」、「財政再建」などなどいろいろと論じられるが、本当はそれらのことは
この国の抱えるある大きな問題を解決するための過程に過ぎない。
次の機会ではその問題の本丸について熱く語ろう。
■ 執筆後記 ■
私の趣味のひとつは経済や金融について学ぶことである。
これは趣味の読書から始まり、やがて自然分離して
ひとつの独立した趣味に発展したものだ。
基本純粋に知的好奇心から出発した好学であると同時に
現代の錬金術であることも心得ている。
『金持ち父さん 貧乏父さん』の著者、ロバート・キヨサキの提唱する
「F・I」=フィナンシャル・インテリジェンス(金融知識修得)を
実践しているものでもある。
私がエッセイに経済や金融について時折書くのは、
その話題を得意とすることもあるが、
それ以上に今持っているそれらの知識を駆使して
ある経済事象を自分の頭で分析し、うまくまとめて説明できるか、
さらに一般向けにかみ砕いて分かりやすい解説できるか、
このエッセイのフィールドを使って自らの文筆力を試したいからである。
このエッセイを通じて読者自身がF・Iが高まったと感じることができたなら、
私のこのエッセイを介した野望は達成されたといって良い。
「なるほど」とか、「そうだったのか」とか、特に「すごい!」と
あなた自身が思った時、筆者のしたり顔を想像していただきたい。
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