旅の空色
2014年 3月号
雪の『ね』
大東京が大雪に埋もれる。
関東では16年ぶりの大雪だそうで、電車を始め交通は大混乱、転んでケガをする人数百、
中には雪が原因で亡くなった人もあり、想定以上の積雪にビニールハウスの倒壊が相次いで
農作物にも甚大な被害が出、仕舞いには甲府盆地に繋がるすべての道が雪で埋もれて、
山梨県ひと県がまるごと雪に包囲されて孤立するという事態にまでなった。
我が家でも‥、2週続けて週末を雪に襲われて商売は上がったりで、半日を雪かきに
追われて体はボロボロ。おまけに積雪により水はけが悪くなったのが原因らしく、
あらぬ所から雨漏れがあったりして、泣きっ面に蜂といった具合で心もボロボロ。
「雪の下 家ねずみも あわれかな」
などと下手な句などひねり出して、自嘲するのが精一杯といった感じで
心身共に疲れ果てた雪であった。もう雪はたくさん!みな同じ気持ちだろう。
と‥そこへ、大雪の見舞いに北の友人から電話が掛かってきた。
曰く「今年は青森に行かなくても十分に雪を見れたね」。
そう、去年の2月は雪を、たくさんの雪を求めてわざわざ700km北上して
本場の雪国を訪れたのを思い出した。今年はそのお礼にと向こうからやって来てくれた
わけだ。”遠方より雪きたる。また嬉しからずや”。いや迷惑千万なだけだった。
「今年はもう15億円も使っちゃったよ。過去最高だよ」。
弘前市のタクシーの運ちゃんから始まり、冬の青森では行く先行く先おらが郷土の自慢話の
ひとつが雪かきに使った公金、除雪費用であった。面白いのはあたかも自分の財布から
ポンと気前よく出したような口ぶりである。公な除雪は交通に生活に不可欠だ。
でも波間で砂をいじくっているような、結果なにか残す物でもない、雪さえ降らなければ
必要ない無駄な出費でもある。青森の人は、冬の間繰り広げられる絶え間ないそんな雪との
戯れに、のれんを押すような諦めを覚えつつも、我が郷土と人生の宿命と、
愛しい放蕩息子に、惚れた飲み屋のあの子にといった具合で、明るく気前よく
お金を使うのである。大東京の雪対策はどうかっているのか?巨大な予算を持っているのに、
青森の十倍はお金持ちなのに、雪に蹂躙されたこの無様な様な何事かと、報道記者たちに
詰め寄られ、たまたま悪い飲み屋に当たりましたとばかりに歯切れに悪い答弁をする
都知事とは大違いである。まあ青森は必然、東京は偶然だから仕方ないか?
サンド・スノー(sand snow)。「砂雪」という造語はどうやらないようで残念だが、
2月の青森に積もった雪は私にはそう感じられた。”砂の様”そう思い浮かんだのは、
弘前城の雪祭りで城内を歩き回った時である。新雪を踏むとキュッ、キュッと鳴ったのだ。
雪国で雪を踏む音は、ザック、ザック、もしくはサク、サクとサの付く擬音語とばかり
思っていた私には意外であった。と同時に、この音聞き覚えがあるとも思った。
昔の記憶を遡ると、生涯一度の海外旅行、オーストラリアのゴールドコーストの砂浜で
砂を踏んだ時に鳴った音と全く同じと思い出した。
古文は苦手な科目のひとつであったが、「鳴き砂(なきすな)」の話は
よく覚えている。平安の昔、日本のほとんどの砂浜はやはり踏むとキュッ、キュッと
鳴いたという。いにしえ人はそんな砂の鳴く声に、都落ちした我が身の不運と心の泣き声とを
重ねて歌に詠んだとか‥。まあ、心許ない古文の知識はこれまでとして、
この砂の鳴く条件は砂が穢れなく、ただ真っさらにきれいである事が大前提だそうで、
今日の日本では砂浜は数あれど、鳴る砂の浜は2カ所あるかないかというのが実情であると
聞いたことがある。日本人の私が、そのいにしえの音を初めて聞いたのが、
飛行機で半日のフライトと多額の旅費が掛かるオーストラリアだったわけで、
その後20年以上を経て、青森の新雪にて、その穢れなき粒の摩擦音に改めて出会った因果は、
ちょっと大袈裟ではあるが、因縁とも思える感慨深いものであった。
東京の重くやっかいな、すぐ黒ずむ掃き溜めの雪と違い、青森のこの季節の雪はさらっと
簡単に掃ける、軽く爽やかな砂雪である。であるからして、息子と雪合戦を試みるも
握れども握れども玉にならない、正に砂上の楼閣、砂漠の砂の様な雪であった。
雪の山寺を見た。先日テレビでたまたま見た。山形県のあの山寺である。
山形の隣・宮城に四年ばかりいた私は一度詣でたことがある。もちろん季節は暖かい時分。
山岳信仰のひとつの果てとは言え、誰がこんな険しい山の岩肌にわざわざ寺を建てたのか、
本堂や見晴台まで幾百段階段があるのかは知らないが、参拝にはかなりの体力が必要だった。
おまけに東北の観光名所のひとつとしての賑わいで、「静けさや 岩に染み入る 蝉の声」
などと松尾芭蕉が歌った風情など感じられない。一度登れば十分。二度登る馬鹿はいない
などと信仰からはほど遠い気持ちがその時の私の正直な感想だった。
冬の山寺では、天気さえ荒れなければ住職を始め当番の檀家が毎日、参拝客のために
人ひとり通れる幅で石段の雪かきをするそうだ。季節がら観光客はごく希らしいが、
その細い雪道を4〜5日に一回上り下りする二人の若い娘さんがいる。山寺の麓に住む
住職の娘で、寺を守る父親に食料を持って上がるのだそうだ。その娘さんにテレビの
インタビュアーが冬の山寺の好きなところを聞いた。すると娘さんのひとりは
時折サラサラサラーっと冬の静粛を破って、大きくも小さくもなく、ほどよく心地よい具合で、
木の枝から落ちる雪の音が好きだと答えた。それを聞いた瞬間、しばらく鳴りを潜めていた
私の旅行馬鹿の資質に火が付いた。直に自らの耳でそれを聞いてみたくなったのだ。
もしかしたら、鳴る砂や鳴る雪と同じ。純粋で穢れなきもののささやきで
長いこと人間をやってきて、だいぶ汚れちまった心を洗いたいのかもしれない。
それとも夜空の星々に目を凝らすのと同じ。大自然の、大宇宙の声なき声に
耳を澄ましてみたいのかもしれない。ただ確かなのは、きっと来年の冬、山寺を訪れるだろう
ということだ。僕も行きたいと言えば息子も連れて。また物好きが始まったという
嫁の冷めた視線を背中に受けつつ。
実は他にも山寺には、ここ20年余り私が気に掛けていた事柄の意外な答えがあることを
最近知った。また松尾芭蕉の先の俳句、「静けさ」における本当の意味についても
学ぶ機会があり、それを確認したい気持ちもある。これらふたつのエピソードについては
次回のコラムで紹介しよう。
■ 執筆後記 ■
実は冬の山寺の、雪に埋もれた山寺の景観は3年前に見ている。
ちょうどあの東日本大震災の1ヶ月前、私は仙台と山形をつなぐ
JR仙山線に乗り、その車窓から冬の山寺を写真に収めていたのだ。
これがその時写した写真である。
エッセイにも書いたが、当時私は鉄道レールの傾斜角度、
パーミルに興味があって、宮城を訪れたついでに
私鉄の阿武隈急行とJR仙山線の両線、先頭車両に乗車して
運転手気分でその傾斜を体感して遊んでいたのだ。
まさかその1ヶ月後、あの大災害が東北を襲うとは
露とも思わずに‥。
大災害後、阿武隈急行、仙山線、東北新幹線ともに
全面復旧まで2ヶ月近くかかっているので
ぞっとする話である。
と同時にやはり何かご縁があるようにも思われ、
その意味でも山形の山寺を改めて訪れてみたい気持ちもある。
ちなみに仙台駅から山形駅までは片道鈍行で1時間半ほど。
山形市内を散策し、JR東日本のホテル、
メトロポリタン山形の鉄板焼きステーキを食べて帰ってきた。
目の前でシェフが焼いてくれるカウンター形式のやつだ。
ステーキは前夜、飲み屋のお姉ちゃんの忠告通り、
最上ランクからひとつ下の方がよかったみたいだ。
極上の霜降り肉とは言え、脂刺しの入り過ぎは味がしつこく、
途中飽きてしまった。
また当日たまたま宮崎県知事で有名になった東国原前知事が
公演およびランチ座談会に来ていて賑やかであった。
適当に好きなことしゃべって、人のお金で飯食って
うらやましいご身分である。
そういう私も嫁には道楽者として冷ややかに見られてもいる。
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