旅の空色
2014年 7月号
これは前回のコラムの続き、「妖怪メダル」を手に入れたすぐ後の話である。
銀座のおもちゃや「博品館」を出た後、家に帰る前にお昼を食べようと、同じ銀座にある
サッポロビールのビアホール「ライオン」に息子とふたりで入った。
まだ陽は高かったが、予定外におもちゃを買わされて、しかも息子のペースに乗せられるまま
あれよあれよという間にだいぶ予算オーバーになってしまい、
いい大人の私としては結果的に子供にうまくやられてしまってちょっと面白くなく、
1杯引っかけたくなったのだった。
このライオンに来るのは10年ぶりであろうか?最後は正月の皇居一般参賀の帰り道、
ライオン恒例正月2日の振る舞い酒に誘われて、嫁と当時赤ちゃんだった息子とで
入ったのを憶えている。それ以前も何回か利用したことがあるが、
創業1899年以来、100年以上経つという重厚な煉瓦造りの大ホールは、
いつ来ても変わらぬ雰囲気で、レトロな空気はノスタルジックな感傷を誘って、
なんだかほっとする気持ちにさせられる。それにここなら食べず嫌いの多い息子でも、
喜んで食べられるメニューもあったのだった。
この店のいいところ、それは給仕が多く、手を上げればすぐに飛んできて注文を受け、
生ビールなどはすぐに冷たいのを間を置かずに持って来ることだと、今更ながら気が付いた。
活気のある賑やかな喧騒の中で飲る冷えた生ビールは格別である。と、息子に目をやると
折角のいい雰囲気もお構いなしに、ひたすらピザにがっついている。相変わらず野暮な男だ。
すると突然、人々の賑やかな空気を破って、男の大きな声がホールの隅々まで響き渡った。
音楽についてほぼ無知な私でも、それがテノールと言われる歌い手であるとは分かった。
「プリクら〜♪プリクラ、プリクラ、プリクら〜♪」その時私にはそう聞こえた。
(プリクラ?あのプリクラってここから来ているのか?いやゲームセンターのプリクラは
プリント倶楽部の略だ)などとその声を聞きながら、アホな思案を巡らしていて、
私の音楽に対する見識はこの程度の浅さだと自嘲していると、やがてテノールの声の幕内から
ドレスアップした若い女性が、陶器のビールジョッキ片手に数人現れて、席を回っては
お客とジョッキで乾杯をし始めた。もちろん私たちの席にもやって来て、景気よく
乾杯してくれた。こんな光景、ビールの本場、ドイツの居酒屋で行われているのを
テレビで見たことがあるが、ライオンのタイムサービスであろうか?
息子は何事が起こったのかと、ただただ目をパチクリさせているだけだった。
やがて歌声が止み、その男の歌い手がホール中央に進み出て、独特の低い声で告知した。
「これからこどもの日をお祝いする私たちのショーを5階で行います。ぜひ見に来て
ください」と。一連のパフォーマンスはショーの宣伝であったのだ。
乾杯して回った彼女たちもソプラノなどの歌い手だそうだ。飲み食い代の他に3000円の
公演料金がかかるというが、私はぜひにそのショーを見たくなった。
決して髪をアップにまとめたドレス姿の若い女性たちに惑わさせた訳ではない。
純粋に音楽を楽しみたい、そして息子に本格的な音楽に触れさせたい親心でもある。
決してヘンな飲み屋の延長と思い違いした訳ではない!決して‥。
以前馴染みの魚屋のあんちゃんから、銀座のライオンの上階には、夜にジャズや
クラッシックなどの有料公演が行われるフロアーがあると聞かされていたが、
この日は子供の日にからめて、昼間からショーを催したようだった。
歌の内容も子供に合わせた童謡を中心に行われるらしい。それなら息子はもちろん
音楽に疎い私も楽しむことができるというものだ。やっと私にも運が向いてきたぞと思った。
早速息子に「どうだ?あのお姉さんたちのショー見ていかないか?きっと面白いぞ」
とささやくと、さっきから袋の中のおもちゃが気になって、時折袋の隙間から中を覗いている
息子に「やだな〜。ぼく早く帰りたい!」と一蹴された。く〜、野暮に輪を掛けて野暮なやつ。
まあ、もうビールも2杯呑んでいい気分だし、ご飯も食べて腹一杯にもなったし、
後ろ髪を引っ張られる心残りがありつつも、ショーは諦めるしかなかった。
あーあ、彼女たちがさえずる声が聞きたかったなあ。でも子供の日でもあるし、
おこちゃま優先は仕方ないか。それにしても‥、少しは親に付き合えっつうの!!
ちなみに後日、ホールで歌われた歌を旋律の記憶を頼りに調べたところ、
ヴェルディのオペラ『椿姫』の「乾杯の歌(もしくは宴)」であることがわかった。
動画で何度も聞き返したが、「プリクラ」とは言っていなかった。ちょっと酔っていたのかも。
「妖怪メダル」の正体
ところでやっと手に入れた「妖怪メダル」である。
家に着くやいなや、息子は鼻歌交じりにメダルセットの箱を開封し、じゃ〜ん!とばかりに
私に妖怪メダルを見せつけた。「な、なんだ?こんなモノのために俺は大枚をはたいたのか」
ちょっと大袈裟な言い草だが、それが妖怪メダルを見た私の率直な感想であった。
ちょっと大きめのプラスチックのメダルに、妖怪の絵とQRコード(二次元バーコード)の
印刷されたシールが、ちょっとめくればすぐはがれるような感じで、申し訳なさそうに
くっついているだけだった。まあ特にそのQRコードが大事なことは分かるが、
素人目にも原価はたかが知れている。正に子供だましと言った感じで、私はがっかりした。
同じような金額なら、ライオンの彼女たちの歌声の方がなんぼ価値があったことか。
まぶしそうにメダルひとつひとつを大事に眺めている息子の横顔を私はじっと
口惜しく、恨めしく睨んでいた。
ところが後日、このなんてことない安っぽいメダルが、立場によっては光り輝く
正に宝物であることを経済番組で知った。企業アナリスト(分析士)によると、
メダルの発売元のバンダイ・コナミホールディングスは、この妖怪メダルの効果だけで、
今期50億円とも100億円とも利益が積み上がる予想らしい。しかし見方を変えれば
あまたの親の血と汗と涙のお金が積み上がっての利益でもある。いや、それより恐ろしい
事実は、このブームはまだ始まったばかりということだ。ゲーム、漫画、アニメ、
文具も含めたキャラクターグッズ、そして新しいメダルと次々と手を変え品を変え
新手の化け物が親の財布に食いついてくる事実である。煉獄は今始まったばかりなのだ。
正にモンスター、怪物である。いやこの商法こそ妖怪だ。子供の欲求がある限り
街に親の安息の場所はない。そこら中「妖怪メダル」の名を借りた妖怪だらけだからだ。
そして最近息子もその一味に見えてきた。
■ 執筆後記 ■
そー言えば銀座のライオンでは
学生の頃、素敵な思い出がある。
私はクラブ活動で会誌の発行を担当していたのだが、
その引き継ぎの時、後輩の女性と
この銀座のライオンに二人で立ち寄ったのだった。
私の前の先輩も後をよろしくという意味で
そのようにしてくれたので、私もそれを真似た訳で、
他意は無かった、が‥、
なかなかチャーミングな子であり、お酒も強く、
会話も上手だったので楽しく呑むことができた。
宴もたけなわの頃、
相席よろしいですか?と声を掛けられた。
老齢の夫婦者であった。
見回せば場内は満員御礼の盛況ぶりだった。
私たちは別段訳ありの間柄でもないし、
こんな時は当然の対応として
どうぞと笑顔で相席を勧めた。
しばらくして、相席した老齢の女性が話し掛けてきた。
「私たち、どんな風に見えます?」と問われた。
私が「ご夫婦では?」と当たり前の答えを返すと、
女性はふふふ‥と笑って、
「実は私たち44年ぶりの再会なの」と言った。
そして44年前の経緯を語り始めた。
太平洋戦争の終戦間際、
1945年8月8日にソビエト連邦共和国は
日ソ不可侵条約を破って
当時日本の統括地だった中国の満州に侵攻した。
満州の日本人入植者が大混乱陥る中で、
今私たちの目の前に居る
当時想い合っていた二人は離ればなれになり
それきりお互い消息が途切れて
別々の人生を歩いてきたのだそうだ。
ところが最近になり、お互い健在なのを知る幸運があって
今日44年ぶりに会っているというのだ。
「若い人に昔のつまらない話、ごめんなさい」と
その女性は昔話を締めくくり、
「楽しそうにしゃべっている貴方達を見ていたら、
昔の自分たちに会ったようで、
ついおしゃべりしたくなったの」と加えた。
それからしばらく4人で歓談した後、
老カップルは先に店を出た。
まるでドラマのような人生、
そして二転三転する運命の巡り合わせ。
その生き証人の背中を見送りながら、
私たちは顔を見合わせて笑い合った。
こんな素敵な偶然の出来事に出会いながらも
私とその後輩の関係は一歩も進むことはなかった。
まあ男と女の間合いというか、気合というか、
そう易々と呼吸は合わないようだ。
さて店を出ようとお勘定を店の人に告げると、
同席されていた方がすべてお支払いされましたと返ってきた。
なんとも粋な、素敵なカップルであった。
銀座のライオンに入ると、
いつもこのことを思い出す私だ。
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