旅の空色


2014年 1月号




『僕をスキーに連れてって』

やっぱりこの始まりでなくっちゃ

 平成26年元旦早朝5時。外気温3度。
車を2回軽く空ぶかしした後、ゆっくりと自宅を発進する。
カーステレオのスイッチを入れるとユーミンの曲が流れ出す。
[ゲレンデのカフェテラスで♪すべるあなたにくぎづけ♪]
やっぱり始まりはこの曲じゃなきゃダメだ。松任谷由実の『サーフ天国、スキー天国』。
そう、これから私たち家族は年頭一番にスキー天国へ向かうのである。
この私の演出に、後部座席にいる嫁はまだうとうとしている息子に
膝枕をあてがいながら大あくびをして呆れていた。

 私がスキーを覚えた頃、それは日本におけるスキーの黄金期であった。
きっかけは映画『私をスキーに連れてって』。このラブ・ストーリーに触発されて
日本中の若い男女が我こそは主演の三上博史、原田知世とばかりにスキー場に殺到した
のだった。そして当時二十歳の私も、恋のゲレンデに憧れてイチからスキーを習った
ひとりであった。今から考えれば、始まりは不純な動機であるが、当時はそんな男女が
初心者コースに溢れかえっていたのだ。そして先に紹介した自宅からの出発風景。
正に映画『私をスキーに連れてって』の始まりのシーンそのままを模したものなのだ。
もっとも家族連れのお出掛けではなく、三上博史ひとりの出発であったが‥。
だが当時の私はもちろん多くの若者は、同じ演出で期待を膨らませつつ、恋が待つ‥
かもしれないスキー場へと向かったことだろう。

「私」から「僕」の時代へ

 スキーなど20年ぶりであった。スキーを覚えて以来、若い頃はあれだけ熱心に、
機会があれば二つ返事でスキー場へ出掛けたのに、結婚後はぷつりと行かなくなってしまった。
その理由を今よくよく考えてみると、どうやら私にとってスキーは趣味やスポーツではなく、
やはり初心の恋を獲得するためのアイテムに過ぎなかったようなのだ。詰まるところ
結婚を機にスキーの役目は終わったのだった。その証拠に最近生じた新しい動機がなければ
嫁と一緒にスキーに行く気などさらさらないことだった。ではそんな私を突き動かした
新しい動機とは何であるのか?息子である。小学5年生の息子だ。といって息子が
スキーをしたいと切り出した訳ではない。私が息子が素直に言うことを聞くぎりぎりの
タイミングであると、連れて歩ける最後のチャンスであると判断してのことだった。
今教えずにしては、この先私が息子にスキーの手解きをする機会は失われていくばかり
であろう。そして同時にスキーの技量とともに、恋のアイテムとしてのスキーも伝授したい
のだ。自分の子を捕まえてこう評するのもなんだが、どう見積もっても我が息子は
今のままでは異性にモテるようには見えない。そんな息子にちょっとしたチャンスで
恋を掴み捕る武器のひとつを与えたいのだ。後々考えれば余計なお世話かもしれないが、
息子に素敵な恋愛が訪れるよう願う親心でもある。この冬、我が家では「私をスキーに
連れてって」の時代から「僕をスキーに連れてって」の時代になったのだった。

最悪の教え子

 ああ、ガキは嫌だ。息子にスキーの手解きをした総括である。
いやはや、手間の掛かる相手だと多少覚悟していたが、こんなに愚図るとは思わなかった。
ちょっと転ぶと大騒ぎ。足がねじれた、骨折れたなどとわめき立てる。
人の言うことを聞いてない。授業参観で見た通りである。せっかく丁寧に教えても
回り道ばかり。挙げ句の果てに、「雪は冷たくて嫌だ。坂だから転ぶんだ。
雪の、山の、バカヤロー!」と叫ぶ始末。アホか。それがスキーなんだって!
我ら夫婦ともに疲れ果てた。気分を変えようと、嫁にはひとりで自由に滑ってくるよう
勧めて、私と息子は一息入れに食堂に入った。鼻水をすすりすすりおしるこを食べる息子を
眺めながら、今愚図らせておいてよかったとも思った。こんな根性のない男を見たら
意中の相手も確実に逃げ出すだろう。おしるこを食べ終わると、息子はすっかり機嫌を直して
「僕、もう一度滑るよ」と言い出した。甘い物を食べさせると女性は機嫌が直ると
太宰治の『人間失格』で読んだが、まさか男でその例を見るとは思わなかった。
 正月一日二日、さらにもう一息だと成人の日と合わせて3日間スキーを教えた。
これで我が家の今期のスキーシーズンは終わり。今冬はもう店の定休日と息子のお休みの
重なる日がないからだ。息子はまあなんとか初級者コースは転ばないで滑れるようになり、
滑る楽しさをやっと体感できたようで、予定していた来期に繋がる仕上がりとなった。
今まで嫁を始め、いろいろな大人にスキーを教えてはきたが、わがままで鈍くさい大人以上に
手強い相手の息子であった。そして来期からの伸びも楽しみな息子でもある。

夢の男3匹スキーツアー

 ところでここのところエッセイでご無沙汰している息子・れんの従兄弟のたっくん。
中学生になった途端、近くにいるにも関わらずトンと店に寄らなくなった。
友達との時間が大切になったようだ。そのたっくんが新年早々珍しくひょっこり現れた。
前髪をツノのようにちょいと立てて、どうやら生意気に色気も付いてきたらしい。
たっくんの訪問の目的は、れんのスキーの上達具合が気になってのことだった。
3才の年の差があるが、幼い時からライバル視し合ってきた従兄弟同士でもあるのだ。
れんの大騒ぎしたスキー教練の話に、たっくんは大笑いして同時に安心したようだった。
実はこのたっくん。周りで知る限りもっともスキーが上手だとたっくんママである
私の妹より聞いていた。スキー・インストラクターである私の従兄弟が太鼓判を押すぐらい
だからかなりの技量のようだ。
「どうだ?れんも少しは滑れるようになったし、今度野郎3人でスキー旅行に行かないか?」
そう私がたっくんの持ち掛けると、たっくんは挑戦を受けたとばかりに快諾した。
が‥、側で話を聞いていた私の妹が「何か含みのある面子だなあ。だいたいにーに(私)
スキーそのものに興味ないでしょう?何を教えるやら怪しい」とつっこんできた。
ちっ。さすが我が妹だ。私の遠望を見抜いている。ちょいと男前になってきたたっくんと
ベビーフェイスのれんにスキー以外のゲレンデでの技量を教え込んで、いずれ駒として
使いたい野心あっての提案だったのだ。なにせ若いこいつらを手なずけておけば
将来おこぼれにありつけるかもしれないのだから。


■ 執筆後記 ■



 転ぶとこんな感じです。
この後起き上がるまで大騒ぎ。
予想した通り、初日は息子にリフト券は必要ありませんでした。

 群馬県水上温泉すぐそばの「大穴スキー場」という
町営のちっちゃいスキー場で初練習しました。
正月元旦ということもあり、ガラガラの貸し切り状態で
正に大穴のスキー場でした。
リフトが2本、コース1本というスキー場なので
中級・上級者はすぐ飽きてしまい向いてません。
またリフト降り場から少し傾斜がきついので、
息子のような初心者にも向いてません。
そーは言いながら面倒な息子は嫁に任せて
私は半日券でそのコースを満喫していました。
この日息子はボーゲンすら完成せず、
メタメタな状態でした。
ただ投げ出さなかったのはエライかな?

 2日目はファミリー用ゲレンデで人気のある
「かたしな高原スキー場」に行きました。
ボーダーがいない子供には比較的安心できる
スキー場とあって家族連れで一杯で、
人の多さに息子のようなド下手には
肩身の狭さを感じました。
この日もリフト回数券数枚あれば足りる結果で
ボーゲンの完成を見ずに終わりました。
この運動神経の鈍さは誰の遺伝か?責任か?と
帰り道嫁とけんかになりました。
どう見ても私の責任です。

 このままでは来シーズンも一からやり直しとなってしまうので、
成人の日の休日にまた「かたしな高原スキー場」に行きました。
本当は新潟を目指しましたが、日本海側は大雪で、
谷川岳を越えて雪道を走るのが面倒になったのです。
この日我慢強く教えた結果、やっとボーゲンが形となりました。
長い中級者コースを家族3人で滑ることができて、
息子にとっても来期への自信に繋がったと思います。

やっぱさまになってねえな。

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