旅の空色
2014年 5月号
『私が山形の山寺を再訪したい理由 3/3』
織田信長と山寺
あの織田信長についてあえて解説は不要であろう。よっぽど歴史に疎い人以外は
日本人ならその名を、その実績を知らない者はいないはずだ。日本の歴史上、
最も有名で、最も人気がある偉人ではないだろうか?
リーダーの鏡とされる圧倒的なカリスマ性、時代を超越した柔軟な発想と革新性、
幾多の絶体絶命の危機を乗り越えた波瀾の人生、そして夢の実現を目前にして
倒れた悲劇的な最後。正に波瀾万丈の人生の代表的偉人・織田信長と言っていい。
その織田信長と山形の山寺、何の関係があるのか?実は史実的な繋がりは全くなく、
歴史的には無関係と言ってよい。しかし私にとっては切るに切れない因縁があるのだ。
私も織田信長は大好きだ。だから機会あるごとに、小説に、テレビドラマに、
歴史教養番組にと、信長の真の姿に迫ろうと見逃さずにその足跡を追求してきた。
そんな中で出会ったのが工藤かずや原作、池上遼一作画の『信長』という漫画であった。
信長の生涯において有名な史実を写実的な漫画で紹介した内容であるが、
その中の一話、叡山の焼き討ちにおける話がとりわけ印象的であったのだ。
信長は輝かしい足跡を数多く残しているが、同時に闇の部分も深い。
信長は魅力的天才的な軍略家である一方、狂人的な残忍性も合わせ持つ魔神でもあるのだ。
伊勢・長島の一向一揆の殺戮、信長の留守をいいことに、遊んでいた侍女(小間使い)たちを
処刑した竹生島参拝事件、裏切った妹(市)の夫・浅井長政を討ち取った後、そのドクロを
金箔で塗り、正月の松飾りとした金のドクロ事件など、戦国時代とは言え、常軌を逸した
残忍な所業も数多い。そして極めつけと言えるのが、日本仏教界の大道場のひとつ、
天台宗の総本山、比叡山延暦寺の焼き討ちである。僧侶3000人余り、その家族の
女性と子供、使用人まで含めると数知れない人々を、水も漏らさぬ完全包囲の元、
伝統ある数百の伽藍(寺社の建物)とともにすべて焼き尽くしたのである。
正に根絶やし。非情の極。確かに平家物語の習いの通り、情けは禁物、温情をかけた故に
やがて成長した敵に仇と取られる怖れのため、敵の一族、とりわけ男衆は老いも若きも
幼きも皆三条河原で打ち首というのが戦国の習いであったが、比叡山ほど大規模に
計画的に徹底的に殺戮があった前例はない。この大事件に当時の日本中の勢力や
権力者たちが震撼し、或いは激怒した。と同時に信長に敵対する者の行方とその覚悟を
知らしめることとなった。
その漫画では3人の僧侶が登場する。信長に包囲され、御山が大混乱に落ちる中で、
大伽藍・根本中堂(こんぽんちゅうどう。比叡山の象徴的大道場)にある
天台宗開祖・最澄(さいちょう)が灯して以来、脈々と火の輝きを守り続けてきた灯籠、
この世を仏の教えで照らし、希望の光となるよう燃え続ける不滅の法灯(ふめつのほうとう)
というその灯籠を守る話である。
三人は重い金属の灯籠を担ぎ棒で吊して御山を下り、あちこち逃げ道を探すが、
軍律の行き届いた信長の精鋭たちに隙のあるはずはない。仕方なく灯籠は小さな地蔵堂に
隠してお地蔵様のご加護に託し、その場所から敵の目を逸らすため、三人は離れたところで
騒ぎを起こす。だが所詮多勢に無勢。ひとり槍で刺され、ひとり首をはね飛ばされ、
最後に残ったまるで武蔵坊弁慶を思わせる大男の僧侶も、鉄砲の一斉射を浴びて事切れる。
だがその唇には微笑があった。彼らは命と引き替えに不滅の法灯を守り切ったのだった。
といった美談の漫画。が‥、明らかにこれは作り話、創作である。あの信長軍が
たとえ小さな地蔵堂と言えども見逃すはずはない。第一、夜ともなれば光が漏れて
ますます発見されやすいはずである。最澄がこの世の泰平の願いをこめた不滅の法灯は、
多くの生き残りが立て籠もった根本中堂と共に大火の中で消滅したのである。
やはり比叡山延暦寺の嫡流は根絶やしにされたのだ。
ところが最近、不滅の法灯の火種が実は本当に生き延びていた事実を知った。
それが山形の山寺にあったのである。山寺=立石寺の開山は三代目天台宗宗主・円仁、
別称・慈覚大師によるとされているのだが、円仁は数々手がけた寺院の建立の中で、
とりわけ立石寺に思い入れが強かったとされ、円仁の死後、遺骸は遺言により
立石寺の奥にある洞窟に安置されたという逸話の残るほどだったので、天台宗の、延暦寺の
象徴のひとつたる不滅の法灯が分火されたのも自然の流れと言えるだろう。
いま風に言えば、万が一のリスク分散ともいえるこの分火が、まさかの総本山壊滅の時、
開祖・最澄の志の灯火を今に繋ぐ奇跡となったのである。おそらく円仁もそこまで
考えての分火でなかったと思われるが、結果オーライ、世の不思議な巡り合わせ、
御仏のご加護、私は天台宗を信仰する者ではないが、漫画を読んで以来、悶々としていた
ものがすべて晴れ渡り、久しぶりに現実世界での心からの感動を味わったのであった。
さすがの信長も人の心まで滅ぼすことはできなかったのだ。
だから山形の山寺へ赴き、ぜひ一度その灯火を拝んでみたくなったのである。
まずは山寺ならぬ山の神詣で
三回に渡り、私が山形の山寺を再訪したい理由を紹介してきたが如何であっただろうか?
冬の静けさの中での落雪の音より始まり、松尾芭蕉の蝉声の中での心の静けさ、そして
云われある不滅の法灯とこれだけ動機が揃えば、もはや前世からの因縁という他はない。
早速にいままで書いてきた通り、延々と山寺再訪の理由を山の神(=嫁)に口上し、
お暇を頂けるように願い出た。すると‥、冷たい一瞥の後「あんたよく出掛けられるね。
お店はどうすんの?御用聞きは?行けるわけないでしょ!」‥だって(^^;)。
あーあ、ロマンないなあ。ここら辺りが男と女の違いか?まあ、あまりしつこく言うと
信長の如く烈火の怒り、火山が爆発しかねないので、早々に尻尾を巻くこととした。
するとこのやりとりを聞いていた息子が寄って来て「パパも大変だね」と小声でささやく。
「僕も妖怪メダル(おもちゃ)ほしいほしいって言っているんだけど‥」
(おまえのおもちゃと一緒にするな!)と一瞬思ったが、なぜかこんな時は
息子と妙に気が合うものである。
■ 執筆後記 ■
家族みんなで出掛けるならともかく、
自分ひとりの趣味の旅行となると
家族、とりわけ嫁を説得するのは大変である。
特に私の場合、個人的な旅行でお店をお休みにする
わけにはいかず、嫁の協力が絶対条件となるのだ。
有給休暇で‥ってなわけにはいかないのである。
そこで私は嫁を説得するための
3つのプランを用意している。
まずひとつめは息子を絡めることである。
息子との旅は以前エッセイで書いた通り、
(平成24年4月号→後日公開予定)
息子の独り立ちを助長するものとして
とても有意義なものと私は考えているが、
同時にその意義を盾に
旅行に出るきっかけともしているのである。
息子ばかりのためではない。
いや、むしろ半分以上は実は私のためなのだ。
しかも嫁にとってもお店番はあるものの
手間の掛かる私と息子のふたりが同時にいなくなって、
のびのびと出来る利点もある。
私が息子の分の旅費、嫁が店番とお互い負担はあるものの、
同時に益するところもあり、
正に三方一両損といったところか。
いや、旅行好きの息子だけは一人勝ちの構図だ。
ただこの作戦の弱点は、学校がお休みの日しか
使えないこと。
日程的にはかなり制約されてくる。
ふたつめは仕事の都合と引っ掛けること。
私は商売柄、種まき前の晩冬と、
稲を刈る前の夏の終わりに
お米の産地訪問をする決まりなのだが、
その時に時間を作ってちょい旅をするのである。
この時ばかりは公用なので、
大手を振って出掛けられる。
ただこの作戦にも弱点はある。
産地の訪問先は大方決まっているので、
そのルートの近隣しか訪れられないこと。
またもちろん仕事最優先なので、
時間も限られていることだ。
地理的、そして時間的に制約があるのが難点である。
そして最後の三つ目のプラン。
この作戦は一番自由度が高いが、
準備に多くの労力と時間を要する。
その作戦とは‥、旅先を自分の研究課題の
最終目的地にするのである。
これまでエッセイで紹介してきた
宮沢賢治しかり、太宰治しかりである。
彼らの作品に多く触れ、伝記を読み、
いろんな視点の研究書でさらに掘り下げる。
そんな研究熱心な姿を普段から嫁に見せつけるのだ。
作品の面白さや、あまり知られていないエピソードなどを
嫁に語り続けるのだ。
(嫁には興味がなくても、嫌がられても執拗に‥)
そして最後に一度彼らの郷里を訪ねたいと
熱い胸の内を語る。
もはや嫁にその情熱を止める手立てはないというわけだ。
かなりまわりぐどい作戦であるが、
勝手気ままなひとり旅を実現するには
一番有効な手法である。
以上上記の3つの常套手段をもって、
時に掛け合わせて、私の旅は実現するのであった。
さて、山形の山寺であるが‥
この場合はプラン2が基本かな。
半日時間を作れれば、仙台で新幹線を降りて、
在来線の仙山線を使って行って帰って来れるし、
旅費も仕事ついでだからたかが知れている。
まあ、理想としては息子を連れて行くのがベストだろう。
息子の勉強にもなるし、旅の話相手にもなって、
さらに芭蕉と弟子の曾良(そら)みたいで趣きもある。
(息子にそれほどの人間的な深みはないが)
プラン3の作戦はエッセイで紹介してきたように、
たいぶ下ごしらえはしてあるので、
効果は利いてきているのだが、
嫁の実家が仙台ということもあり、
何でいまさら山寺?という気持ちも嫁にはあるらしく、
旅の動機付けにはもう一押し必要な感じである。
山寺へは三つのプランを駆使し、
晩夏のひぐらし鳴く山寺にちょいと寄り道して
芭蕉の詠んだ静けさを求め、
晩冬の雪の山形には機会を探っては
息子と行って見たいと夢想している。
一つ戻る