旅の空色
2010年12月号
先日、毎度お馴染みの3人組で映画を観に行った。我が子・れんくん(7才)に従兄弟の
たっくん(11才)そして私のトリオである。映画はSMAP木村拓也主演の
実写版「宇宙戦艦 ヤマト」だった。世代的にいかにも私から誘ったような映画だが、
実はれんくんが観たいと言い出したのがきっかけであった。宇宙戦艦ヤマトといえば私がまさに
息子・れんくんと同じ年頃に夢中になったヒーローアニメである。私自身としてはこのアニメの
金字塔を実際に人間が演ずる試みにはいささかの反発と大きな不安を抱き、鑑賞にはためらいが
あった。しかし奇遇にも同じ年頃に同じものをみたいと言い出した息子に宿命的なものを感じ
劇場に足を運んだのだった。そんな私のヤマトに対する特別な気持ちとは異なり、
れんくんやたっくんにとってヤマトは初めて触れる真っ新な目で鑑賞するものでもあった。
果たして彼らに私のヒーローはいかように写ったのだろうか。たっくんはなかなか面白く
観れたようだったが、言い出しっぺのれんくんはなんと途中で眠くなるという誠に勝手な案配で
あった。映画が大好きなれんくんはテレビでの予告を見るとよく観に行きたいと言い出すが、
いざ劇場では寝に入ることもしばしばである。まあ正直に映画の内容がイマイチであったのだろう。
ただ完全に寝入っていなかったのでまだ見る甲斐はあったようだ。ところで私はというと…
最初のシーンから胸にグッときて目頭に涙が溜まり子供たちに笑われてしまった。
私としてもれんくんのように映画そのものの評価はけっして高くは認められないが、
一介のヤマトファンとしては各シーンにアニメの名シーンが重なって往時の感動を懐かしく
思い返しては胸が熱くなる映画であった。
(冒頭のシーンでは圧倒的な侵略者の科学力・攻撃力の前に地球防衛軍の宇宙艦隊は次々に撃沈。
残るは2艦のみとなり、一方の船が自ら盾になって残りの1艦を逃がすのであった。
盾になり犠牲となった宇宙戦闘艦”ゆきかぜ”の艦長は主人公・古代進の兄・古代守。
生き残った艦の艦長は後に宇宙戦艦ヤマト艦長となる沖田十三であった。
「沖田さん。地球を頼みます」というセリフを残して”ゆきかぜ”が散ってゆくシーンは
ヤマト最初の名シーンである。ところでこの「ゆきかぜ」という名。ミリタリーマニア=
兵器趣味者である作者・松本零二のなかなか粋なネーミングである。太平洋戦争中に
実際に活躍した日本の駆逐艦からとった名で、幸運な船と言われていた。大戦初期から活躍した
最新鋭艦で、数々の戦闘に参加し最後まで生き残った。戦艦大和が沈んだ「沖縄特攻」にも
参加し帰ってきた。終戦後、戦利品として中国に没収され、その後あまり知られてないが
初期の中国海軍の栄えある第一旗艦(海軍の最高艦)として任を全うしたのであった)
上映時間が2時間半とちょっと長めの映画であったので、映画が終わると3人は急いで小用に
トイレに駆け込むとトイレは混んでいたが、たまたま3人が並んで連れションの形となった。
私はれんくんの頭越しにたっくんに声を掛けた。「おしっこする前にちゃんと言っただろうな」。
「なにを?」と返すたっくんに私はニヤリと答えた。「波動砲発射!って」
(波動砲=宇宙戦艦ヤマト最大の武器で、船首より高エネルギービームを発射する)。
3人でニヤニヤとよい思い出の小便であった。後日たっくんママ(私の妹)には
「つまらないこと教えないで!」と怒られてしまったが…。
世界を超越する日本のアニメ史
激化する国際貿易と技術競争の中で日本の国家戦略として「クールジャパン」という
構想がある。日本独自の文化・芸能を武器に国際経済にアクセスしようというものだ。
その日本文化の中でもアニメは最重要コンテンツのひとつと目されている。大人から言えば
おうおうにたかがアニメや漫画の評となりがちだが、特異な進化を遂げた日本のアニメは
その筋では世界に冠たる存在ともなっている。そんな日本のアニメの独自の進化と実力を
ヒーローアニメの変遷から人気お笑い芸人、オリエンタルラジオの中田敦彦氏が分析して
いるのでここに紹介したい。
第一期は前半に紹介した「宇宙戦艦ヤマト」の時代。ヤマトも含めこのころのヒーローアニメの
ストーリーの基本は江戸期より文化芸能に受け継がれてきた勧善懲悪の世界観である。
正義と悪が居て、最後には正義が勝つという庶民には痛快なパターンだ。他国でもよくある
一般的な物語構成であろう。しかし第二期の「ガンダム」の時代になると状況はガラリと変わる。
正義対悪の構図が、人間対人間という新たな対立軸となる。ガンダムにおいて正義はもはや
当事者だけが主張するだけの有名無実のものとなり、アニメの世界が現実の混沌とした人間世界と
重なるのだ。たかがアニメの世界観がここまで来るのも世界では類がないが、日本アニメは
さらなる次元への跳躍に挑戦する。第三期の「エヴァンゲリオン」の時代の出現である。
ここではもはや敵が何であるのかさえわからない世界が描かれている。私も含め初めて見た人には
なんだかわからない物語であるが、興行的には大成功していて多くの支持者が存在し、
日本アニメの一角に確固たる新次元を作り出した。ちなみにオリラジの中田氏によると
エヴァンゲリオンは14才の思春期を迎えた少年少女の心象を映像化した作品との解釈であり、
私も現在この解釈に共感している。しかし制作責任者である鹿野氏はエヴァンゲリオンの解釈法に
ついてはほとんどコメントをしていないので本当の公式の見解はなく、見た者それぞれが
感じたままを語り合う場というアニメとなっている。果たして日本以外の世界がこの特異な
価値観について来れるのかはわからないが、日本アニメの真価を計るに十分な事例であろう。
余談であるが日本アニメの代表格と言えば今や宮崎駿のジブリ作品なしには語れないだろう。
私がアニメの中でも何十回ともなくもっとも多く飽きずに鑑賞したアニメ映画に宮崎駿作品の
「ルパン三世 カリオストロの城」がある。初めて劇場で観た時から私としても最高評価の
不滅の名作である。しかし後から知った事実であるが、なんとこの名作は映画興行的には
いまひとつの成績であったそうだ。ストーリー展開、スピード、キャラクターの魅力、謎解き、
名台詞に至るまで120点満点の作品なのになぜ客足は悪かったのか。実はこの時代のアニメは
宇宙戦艦ヤマトが支配していた時代であったのだ。壮大な大宇宙で悪と戦うヤマトの前に
地球の泥棒のラブロマンスはあえなく敗退したのであった。そう言われて思い返して見れば
確かに当時の劇場での観客数はさほど多くなかったことを思い出した。その後宮崎作品は
「風の谷のナウシカ」で当たり、そしてジブリの看板キャラクターである「となりのトトロ」で
大当たりとなってスタジオジブリ大繁栄の時代を築いた。もちろん「カリオストロの城」も
あらためて真価が認められ、テレビ放映では数え切れないほど再放映される人気映画となった。
私は一介のアニメファンとして日本の洗練されたアニメが世界でますます認められて
閉塞感のある日本に自信と希望をもたらすように願っている。
■ 執筆後記 ■
「宇宙戦艦ヤマト」に「機動戦士ガンダム」、
そして「人造人間エヴァンゲリオン」。
「カリオストロの城」に「風の谷のナウシカ」、
そして「となりのトトロ」と
日本を代表する名作を中心に
日本のアニメ史を紹介したが、
私自身が一番お気に入りだったのは
テレビで放映されたアニメ「うる星やつら」の
第二期であった。
この第二期とは私が勝手に区分けした期間である。
「うる星やつら」は漫画作家・高橋留美子が
書いた週刊漫画で、ラブコメの魁である。
ラブコメとはラブストーリーとコメディーが混合した
トタバタ恋愛ストーリーで、
「うる星やつら」のすごいところは、
ラブコメが宇宙や異次元世界まで舞台を広げて、
スケールのどでかい舞台で
もはやなんでもありの空想世界で、
男と女が追いつ追われつするラブストーリーを
繰り広げているところである。
さてなぜ敢えて「第二期」と明記したかというと、
この高橋留美子の原作にテレビアニメでは
他者の加筆修正がなされているからであった。
それをしたのが後にアニメ界の名監督のひとりと
称されるようになった「押井守」である。
押井守はテレビ放映の第一回から参画していて、
当初は原作に忠実にアニメを作っていたのだが、
やがて加筆修正の色合いが濃くなって行き、
原作に独自の世界観を強く反映する試みをし出した。
ここが私の言う「第二期」となる。
そしてその「第二期」の集大成たる作品が映画用に作られたのが
「劇場版 うる星やつら ビューティフルドリーマー」となる。
(うる星やつらの劇場映画版では2作目の作品となる)
うる星やつらの世界観に慣れ親しんだファンでないと
この映画は入りにくいかもしれないが、
夢か現実だかわからないストーリー展開、
憧れの自由世界、時空の哲学的考察、
そして最後の小憎いタイトル表示と、
冒頭で上げた名作アニメと引けを取らない、
いやファンにはそれ以上の名作だと言えると思う。
ただあまりにも押井守の世界観が
存分に発揮され過ぎていて、
関係者試写会でこの映画を見た原作者の高橋留美子は
「これは私に作品ではない!」ようなニュアンスの
感想を述べたというエピソードがある。
つまるところ私にとっての「うる星やつら」は
高橋留美子の作品であるのと同時に
押井守の作品でもあるアニメとなるのだ。
だから少年サンデー連載の高橋留美子の原作を
時たま見ることがあったが、
単行本まで買うような熱意はなかった。
だからと言って高橋留美子を軽視しているわけではない。
このアニメをきっかけに
うる星やつら誕生のきっかけとなったと言われる
作品「勝手なやつら」を始めとする短編漫画集
「るーみっくワールド」シリーズ。
人魚を題材にした完成度の高い短編作品集の「人魚」シリーズ。
漫画ながらも現実的な恋愛ドラマが織り成す「めぞん一刻」などなど、
高橋留美子の世界観にもどっぷりと浸かったのだった。
それら高橋留美子の作品の中で
「うる星やつら」はテレビアニメ化、アニメ映画化に
もっとも向いている作品であり、
さらに幸運にも良い制作者に恵まれ、
その力量が十二分練り込める
懐の深い漫画だったのではないかと
私は考えている。
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