旅の空色
2010年 2月号
とてもうれしかった新聞記事
新聞記事に悪い知らせが多い昨今、個人的にとてもうれしくなる記事を見つけた。
それはある本が映画化されるという知らせであった。ふつう本の映画化と言えば、
恋愛小説や歴史物が相場であると思うが、私が映画化を祝福したその本は一種の研究書である。
その本の名は『武士の家計簿』。江戸時代、加賀藩(※1)の御算用侍(※2)として仕えた
猪山家の家計簿が古文書としてほぼ完全な形で伝わっており、それを著者の磯田道史氏が解読、
当時の地方武士の生活を収入と支出の面から明らかにした研究書なのだ。研究書といっても
お堅いものではなく、広く世の見聞を紹介した新潮新書シリーズの一冊である。
猪山家の家計簿は現在の家庭のものとさほどかわらない単純なものであるが、その収支からは
当時の武士の生々しい生活の実態が浮かび上がってきて、現代の我々とは随分と違う
習慣や価値観、そして人々の苦楽が垣間見えとてもおもしろく読み込むことができるのだ。
江戸期を題材にした映画は大江戸やお城、花街といった華やかな舞台設定が多いが、
地味な地方武士の暮らしが題材ながらも当時本当に実在した武士一家の慎ましく
一生懸命生きたその軌跡が感動と共感を呼び、映画化への話となったと思われる
(以前、新聞のコラムでお笑い芸人のひとりもお奨めの一冊として紹介していたこともある)。
映画好きでもある私にとっては、自分が高く評価をした本の映画化に二重にうれしい
朗報あるが、ただ心配事もひとつある。それはその生活実態が地味一色なことだ。
猪山家にまつわる話には陰謀も斬り合いも大恋愛も悲劇もない、普通の家庭に見られる
イベントと平穏な生活の連続なのである。映画化にあたっては多少波乱の脚色を添えるのかと
思われるが、それでは作り事の域に入ってしまいそうで、少々心配な映画化でもある。
(注釈) ※1 現在の金沢県。加賀100万石で有名な有力藩である。
初代は秀吉の盟友・前田利家。江戸360年を通じて存続する。
※2 ごさんようざむらい。藩の会計担当役人。
『武士の家計簿』の世界観
『武士の家計簿』の世界観を私なりに紹介するとこんな感じである。
現在お役所では財務省を筆頭にお金=会計を与る職務は重要なポストである。
古今東西その役割の重要さは変わらないとしても、刀で権力を切り取った武士の時代にあっては
その価値が正当に評価されないのは仕方のないことかもしれない。事実、藩の財政を切り盛り
する事務方であった猪山家も出世頭の上級武士ではなく、到底上職は望めない今風で言えば
ノンキャリアーの下級武士の位であった。身分制度が固定していた江戸時代では出世は
絶望的であったであろう。今NHKで放映している大河ドラマ『龍馬伝』の坂本龍馬も
やはり下級武士の位で、どんなに剣の実力があっても上級武士には頭が上がらない様が
如実に描かれている(ついでに時代によって職業の価値が随分違う例をいまひとつ紹介すると
お医者さんもその例となる。今でこそ高収入の代表職の一つに数えられるが、およそ100年前、
19世紀末のイギリスでは苦学の末に医大を出て開業しても大抵は食べてはいけなかった。
そんな医者のひとりが持て余した時間に書いたのが『シャーロック・ホームズの冒険』である)。
下級武士といっても『龍馬伝』の坂本龍馬の家のように比較的裕福な家もあり
(対して岩崎弥太郎の家は貧乏過ぎるが)、猪山家も収入はまずまずであったようだ。
江戸中期以降、大方の藩は財政難のため藩士への給与のうち2〜3割を形式上借りる形で
強制的に天引きしていたそうだが、猪山家の父と息子の二人がもらう給料(=石高・江戸期の
武士の給料は基本お米で支給され、それを市中で換金するのが常である)は二人合わせて
現在価値換算で1200万円ほどもあったらしい。といっても内一人分では後に述べる理由から
当時ではかなり厳しい収入で、息子が無事成人し藩の仕事に就くまでの生活は大変だったようだ。
殿様より与えられた敷地の一軒屋に住み、今でいう共働きの効果で一見充実した収入になったが、
まだまだ家計は火の車であった。収入がそこそこあるのに赤字ということは同時に支出が多い
ことを意味する。その理由がまたこの時代らしい納得のゆく固定費なのがおもしろい。
一番の重荷は先祖供養で、加賀藩の代々の殿様に仕えた代々のご先祖様を毎月のように
供養していて、その負担でなんと家計の半分が吹っ飛んでいる。なぜそんなに供養熱心なのか。
いわれてみれば当然の帰結だが、今の自分たちの地位が保証されているのはご先祖様の実績の
たまものだからであり、必然的に供養はおろそかにはできない事情があったのだ。
特に命を張って小さいながらも手柄を立てた初代当主は別格の存在だったであろう。
加えて親戚縁者の武家に法要や祝い事があれば、贈り物や心付けの金銭を包まなければ
和が保てず、さらなる出費となった。毎月何らかの法事に関わっているといった具合なのだ。
また武家の体面を保つために雑用をする下男下女の最低ふたりの世話人を食べさせなければ
ならなかったり、役所への出仕には恥ずかしくない一張羅が必需であったりと、
とにかく体裁に金の掛かることが多いご時世であった。今までの時代劇にはそんな裏事情が
扱われることがなかったので、当時の世相を伝える新たな研究成果である。
まとまったお金のかかるこれらの出費とは対照的に外から見えない家の中では極力節約していて
涙を誘う努力をしているが、焼け石に水の状態であった。息子の第一子は女の子であったが、
1歳の箸付けの祝いに鯛が買えず、絵に描いた鯛を飾って家族だけで祝ったエピソードが
綴られている。しかしながら第二子は待望の男の子であり、家を継ぐ大役があるので、
小さいながらも鯛を調達し、親戚を呼んでささやかな酒宴を催したそうだ。今こんな差別を
したら子供が大人になった時にどんなことを言われるのか空恐ろしい限りであるが‥。
そんな自転車操業の猪山家もいよいよ家計再建を決意する。数字の知識があるだけに
このまま放置すればいずれ破綻することが十二分に分かっていたのだろう。
決められた身分制度上、出世による増収は見込めないので、ターゲットとなるのは支出であった。
今流行の事業仕分けだ。一番の負担になる代々の先祖供養を止めるわけにはいかないが、
法要をまとめて回数を減らしたり、贈り物や心付け金銭を少なくしたり、高価な武具の購入を
止めたりと随分と切り込んだ家計再建の結果、猪山家の家計の収入と支出はついにバランスが
とれるようになった。この思い切った改革は米百俵の精神のように後々に子孫が出世する機会を
作ったようでもある。明治時代に入ると代々数字に強い猪山家の子孫が当時栄えある帝国海軍の
会計を与る要職に就いたのであった。
以上簡単に紹介したが、著者の忍耐強い古文書解読と丁寧な背景調査は研究者の鏡といえる
仕上がりの良書である。しかし研究書という性格からなにせ話に派手さというか華がない。
本年2010年12月公開。乞うご期待である。
■ 執筆後記 ■
期待していたが、結局この映画は
見ずに終わってしまった。
というのも予想していた通り、
映画の後半部は藩内の不正を暴くという展開と聞いて、
安直に派手さを求めた手法に
残念な気持ちが先に立ってしまったからだった。
そろばんが武器という武士では話が膨らまないと、
もっともあり得そうな落とし所に納めたのが
個人的に気にくわなかったのだった。
私も基本倹約は美徳であると思うし、
さらに創意工夫を駆使しての楽しい倹約は
美しい生活だとも思う。
しかし同時に、いざという時に必要なお金をひねりだし
常人があっと驚くお金の生きた使い道を
描いてほしかったように私は思っている。
例えばほんのわずかな課徴金を広く集めて、
殖産興業の礎を築くとか、
滞留している商人のお金をうまいこと投資させて、
広く金回りを良くするとか、
その手の話はあまり表立って語られないまでも、
江戸期に藩の財政を立て直した名君、名家臣に
数多く実例があるのではないだろうか?
池波正太郎の小説で「真田騒動 恩田木工(もく)」
という話がある。
松代藩真田家の家老で、藩の財政を立て直すために
倹約に努めたことで知られている実在の人物の活躍を
題材にした小説である。
真田騒動といわれるお家騒動が中心の話で、
そろばんが活躍することや、
華々しい財政再建の成果を上げたわけではないが、
藩がせっせと倹約に励む中で、
家老・恩田木工も質素堅実な生活を心掛けつつも、
家の者が寝静まった頃、布団の中で
好きな酒を毎日少しずつちびりちびりやる姿は、
厳しい生活の中でも遊びがあって、
読み手の口元を緩ます幕締めであった。
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