旅の空色


2010年 5月号




十数年ぶりに意気投合!か?

 ホント久しぶりに夫婦で映画を観に行った。十数年ぶりだろうか。ふたりともに映画は好きだが、
嫁さんは流行のミーハー志向なのに対し、私はシリアスな和洋モノ好きと同じ映画でも趣味が違う
のである。そんなふたりがたまたま意気投合した映画(夫婦であるのに妙な言い回しだが‥)
それは『のだめカンタービレ 最終楽章 後編』という邦画であった。
 「のだめカンタービレ」はもともと音楽をモチーフにした人気コミック漫画である
(コミック漫画=定期的に発行される雑誌に連続して掲載される漫画)。「のだめ」とは
主人公の女の子・野田恵(のだめぐみ)のあだ名で、「カンタービレ」とは演奏記号=発想記号で
”歌うように”との意味だそうだ。野田恵と彼女のあこがれの想い人である千秋真一
(ちあきしんいち)が織りなすドタバタのラブコメディーに加え、同時にそれぞれが音楽の世界で
成長してゆく物語である。今までにないクラッシック音楽というジャンルを舞台にした恋愛漫画が
斬新で評判になり、それがテレビでドラマ化されるや俳優の玉木宏と女優の上野樹里の
キャラクターの特性を十二分に生かした熱演と実際の音の迫力が加わってさらに人気を博し、
そして物語のフィナーレを飾るために今回豪華に映画化まで及んだ次第であった。
原作者には申し訳ないが、実は私はこの話を漫画本で読んだことは一度もない。
嫁さんが取り置きしていたビデオを何となく横で観ている内にその話の面白さに次第にハマッて
しまったドラマからの入りであった。とてもハマッた『のだめ』なので映画館に足を運ぶのも
自然の流れと思うが、当初は夫婦ともにその気は全くなかった。基本テレビ画面から始まった話
なのでわざわざ大画面で観る必要は感じられず、いずれレンタルされるであろうDVD鑑賞で
十分と思っていたのだ。事実、紹介した作品名でお分かりになると思うが、
この映画は前編と後編の2部構成であり、前編はスルーしていたのだ。
しかし配給者側も然る者である。後編公開前に今までのテレビドラマの再放送に加え、
異例の早さで映画の前編もテレビ放映したのだ。この攻勢に我が嫁さんは心動かされた様子で
あったが、私は興味をそそられつつも依然”映画館で観る”気持ちにはなれなかった。
ところがある基点をもって私の気持ちは180度変わってしまった。それは後編ではある曲が
重要な役割を担うと知った時からであった。その曲の名は『ショパン ピアノ協奏曲第一番』。
クラッシック音楽には馴染みの薄い私であるが、この曲は何回も何回も繰り返し鑑賞した
唯一のお気に入りの曲だったのである。

サスペンスはショパンの調べ

 正直クラッシック音楽の善し悪しはさっぱりわからない私である。しかしながら紹介した
『ショパン ピアノ協奏曲第一番』を気に入っているのはある映画からの影響であった。
しかもその映画は最初っから観ていた訳ではなく、たまたまチャンネルを回していた時に
ラストシーンに出くわすという特異な出会いであった。わずか10分程のラストシーンだったが、
洗練された舞台と映像、謎と不気味さ、冷徹な知性、そしてそれを飾るショパンのピアノ協奏曲は
私にとってその映画の真価を語るに十分であったのだ。

 夜の静まりかえった広いリビング。薄明かりの中、床のフローリングの一部が
ギギギッと音を立て持ち上がったかと思ったらバタンと大きな音を立てて落ちる。
2階で寝ていた少女は不審な物音に手の明かりを頼りにリビングへ降りてくる。
するとまた床が音を立てて持ち上がり始める。少女は困惑と恐怖の顔でそれを見つめた。
そこは地下室へつながる床扉であった。扉がいっぱいに開くと中から黒いシルクハットに
黒尽くめ正装をした中年の男が現れた。男はこの家の大家の息子で家を探っていたのだった。
少女は男を客人として迎え、お茶の準備を始める。その時かけたレコードから流れ始めたのが
『ショパン ピアノ協奏曲第一番』であった。序奏のオーケストラが奏でるメロディーの中
少女はティーカップのひとつに白い粉を入れる。そしてなぜかそのティーカップを少女は自らの
前に置くのだった。お茶を勧める少女に一連の不可思議な事件に疑念を抱く男はすぐには
口を付けない。すると男は「カップを交換しよう。その方が親密感が増すよ」と持ちかけた。
少女はこの展開を予想していたのだった。安心しきった男はお茶を飲み干すと考えるような
顔になる。そして「アーモンドの味がする」とぽつりと言った。劇薬の青酸カリはアーモンドの
味がするそうだ。少女は「アーモンドクッキーのせいよ」とクッキーを食べながら軽く返した。
(映画を見直して知ったが、少女の話では同じ方法で以前実の母を殺害したそうだ)。
暖炉の火が少女の金髪を照らし、青い瞳は冷たく静かに一点を見つめ続ける。ここで力強く
ピアノの演奏が入り始め、やさしい旋律へとつながり映画のエンディングロールが流れる。
ポーランドの作曲家・ショパンはどのような背景でこの『ピアノ協奏曲 第一番』を作ったか
知らないが、このシーンが私のこの曲の原点となった。この映画のタイトルは『白い家の少女
(英語名:The Little Girl Who Lives Down the Lane 〜直訳で細道の奥に住む少女 か?)』。
1976年制作で、少女役は当時は美少女の誉れ高く、今や大女優となったジョディー・
フォスター、男も名優のマーチン・シーンであった。たまたま最後の10分間から観るという
不思議な出会いの映画であったが、この時以来、映画はもちろん『ショパン ピアノ協奏曲 
第一番』は私にとって特別な存在になった。
 一般的に取っつきにくいクラッシック音楽であるが、紹介したようにある種の物語性と
関連すると途端に身近になる場合がある。「のだめカンタービレ」の場合も音楽に詳しくなくても
ストーリーのおもしろささえ受け入れられれば、自然と各シーンに登場するクラッシック音楽に
愛着が沸いてくるという理であった。とりわけ「のだめ」の功績の象徴はベートーベンの
交響曲第7番であろう。「のだめ」の主題曲となったこの交響曲はもともとリズミカルで
バランスのとれた曲としてコンサートでは人気のある交響曲だそうだが、今回「のだめ」によって
有名な「運命」や「第九」と同列に格上げされ、より広く知られるようになったといって
いいだろう。個人的には映画の前編に登場したチャイコフスキーの『序曲「1812年」』に
とても惹かれた。初めて聞いた交響曲だったが、ナポレオンのロシア遠征に対し勇敢に戦い
勝利したロシア民衆を称えた曲だそうだ。当時最強のナポレオン軍がロシア遠征で初めて敗退した
一因は、広大なロシアの地で延びきった補給線を地元の民衆ゲリラによって各地で寸断されたため
と聞いたことがあり、そんな歴史的背景を思い浮かべると鑑賞にもまた深みが加わるものだった。
演奏の最後に劇場前で芸人のなたぎ武が大砲を撃つシーンがあり、のだめ特有のパロディーかと
思ったが、実際に譜面には”Cannon(大砲)”と指示があるそうでチャイコフスキーの
粋な演出に驚いたエピソードもあった(実際に空砲を鳴らした演奏会もあったそうだ)。
 とまあ上記のような私流のうんちくを妻にも語って聞かせたが、右の耳から入って
左から抜けているようで、好みの根っこはやはり違うようだ。


■ 執筆後記 ■

 この時限り、ふたたび夫婦で映画を見に行くことはなかった
(平成27年2月現在)。

この後しばらくは「のだめ」で紹介されたクラッシックを
のだめ用と編集されたレンタルCDで何度も繰り返し聞いては
楽しんでいて、上で紹介した「1812年」の他に
ラヴェルの「ボレロ」もお気に入りとなった。
確か映画で「愛と悲しみのボレロ」なる作品があり、
その旋律は知っていたのだが、
同じ旋律を違う楽器で弾き繋いでゆく構成に
改めて驚かされ、か細い音の出だしから、
やがてだんだんとすべての楽器で音が大きく積み上げられてゆく
演出は毎度聞く度に新鮮さ、斬新さを感じる。
と、同時にのだめのシーンであった
下手な奏者たちで奏でたボロボロボレロも思い出し、
思わず口元が緩んでしまう曲である。
あとモーツァルトの「オーボエ協奏曲 ハ長調」も好きで
とりわけピアノとのコンチェルトがお気に入りだ。
ちょっと調べてみたら、この楽譜は
モーツァルト没後129年後の1920年に
遺品の中から発見されたそうで、
歴史的な不思議も加わって魅力的な曲である。

ところで以前エッセイによく登場した
私の甥っ子のたっくんであるが、
実はピアノを習っている。
(平成27年2月現在14才。
母親=私の妹の影響で
母親の守備範囲であるピアノと剣道を
幼少期より必修とされていた。)
まああまり熱心とは言えないので
それなりの並並の腕前だそうだ(剣道も)。
彼にはせっかくピアノを習う機会に恵まれたのだから、
1曲でいいから、人前で自信を持って聞かせられる
勝負曲を用意するように忠告している。
ぜひモーツァルトの「きらきら星変奏曲」がいいと。
お馴染みの童謡と同じ簡単な旋律での始まりが
やがて音の幅が広く豊かになって、
「なんだ。あの曲か」と油断していた聴衆に
「ほう」と感心と感動を与える名曲である。
きっといざという時に
意中の人の心にも響くに違いない。

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