旅の空色


2010年 1月号




正月の風景

 お正月は不思議と晴れる日が多い。そんな風に思うのは私だけではないだろう。
帝国ホテルの正面玄関を出て、大きな通りを渡り、日比谷公園の噴水の前に行くと
そこは春を思わせる大きな陽だまりであった。あいかわらずたくさんの鳩が集まっていて
それを追いかける子供たちの姿がまぶしかった。シャンデリアのような噴水をバックに
まこと絵になる景色とはこのことである。我が子・れんくんも一羽に目をつけ
そっと後ろから忍び寄って手を伸ばすが、そんな簡単にお縄になるような相手ではない。
後ろにも目が付いているじゃないかと思うほど、寸出のところで早足になったり、
翼を広げたりしてうまく逃れる曲者である。果たして鳩を相手に子供が遊んでいるのか、
それとも鳩に子供が遊ばれているのか分からぬ眺めであった。そんなたわいもない遊びに
子供たちは飽きもせずキャッキャと歓声を上げている。鳩の方もまんざらでもないらしく
遊びに付き合っているようだ。日頃の来園者の餌付けに対するちょっとしたサービスを
心得ているのかもしれない。追えば逃げ、引けばついてくる鳩たちと一緒に記念撮影をした。
 噴水から祝田橋へ日比谷公園を抜ける途中、今度は二匹の猫と出会う。この公園の住民の
ようだが、物怖じせず堂々とした歩きっぷりで私たちの行く手を横切っていた。
喜んで猫に近づこうとする息子を手で制する。一匹はお腹が大きくどうやら赤ちゃんがいる
らしいからだ。公園という名の野生で生き抜くたくましい野良猫相手にそこまで気を遣う
必要もないかもしれないが、息子には理由を告げてそっとしておいてあげるよう諭した。
ほんの300メートルほどの公園の小散歩であるが、不思議の国に迷い込んだような
気持ちになれるのは、新年のさわやかな空気に心洗われたためかもしれない。
 祝田橋を渡り、皇居外苑に入ると一気に人の賑わいが増した。祝田橋付近の皇居外苑は
観光バスで訪れる人々の発着所となっていて、次々と到着するバスから人がはき出されて、
ぞろぞろと桜田門の方に流れを作っている。我々のような電車で来る者は、東京丸の内より
馬場先門へ入るのが主流であるが、私たち家族は毎度日比谷公園経由で皇居の小山を目指している。
私たちを含めみんなが目指す目的地は正月二日恒例の皇居一般参賀会場の新宮殿前である。
きれいな砂利道を桜田門手前で右に曲がると日差しに際だつ白いふたつのテントが立っている。
一般参賀者が必ず通らなければならない警察による検問所である。皇居へ登るにはここ桜田門側と
馬場先門を抜けたところの2カ所いずれかの検問所で持ち物検査と身体検査が行われるのだ。
制服の凛々しい警察官と対峙してちょっと緊張するところであるが、ここで注意すべき点は
ふたつある。まず大きな荷物は持ち込めない。警察が判断して大きいと思われた荷物は
警察の預かりとなり、出口に転送してくれて引換券で返してくれることとなる。
そしてもう1点は液体の入ったペットボトルなどの容器も持ち込めない。これも大きな荷物同様の
預かりの身となってしまう。嫁さんは手提げバックを持っていたのでまず持ち物検査のテントに
誘導されたが、私と息子は手ぶらなのでそのテントを抜けて身体検査のテントに通された。
私の体の線に沿って金属探知機をなぞり終えた若い警官は息子に向かってにこっと笑い
「坊やもやりますか?」と聞いてきた。私は何事も経験と「ぜひお願いします」と応えた。
息子は体に付かず離れず当てられる先が輪になったその機械を目で追いながら、くすぐったい顔で
両手をまっすぐに青い空に向かって高く挙げていた。

 帝国ホテル正面玄関からのご出発と気取ったスタートを切ったが、実は私たち家族は
この一流ホテルの客でもなんでもない。毎回この近辺を訪れる時はこのホテルで小用を済ませる
ちゃっかり者なのだ。なんたってトイレはきれいな方がいい。日生劇場側の入り口からそろりと
入り、正面玄関より堂々と出るわけだ。ちなみに恐れ多くて正面玄関より入ったことはない。
入り口なのに我が家は常に出るばかりだ。
 私はこの正月二日の一般参賀を訪れる度にある光景を見て日本の治安の善し悪しを確認している。
そのある光景とは刑事の数である。二重橋を渡る手前でコート姿の刑事たちが悪い奴がいないか
遠目に参賀者を監視しているのだが、その刑事たちの数が明らかに年々減っているので、
おそらく要注意人物の数も減っているのだろうと推測している。さすがにあの2001年の
NY同時多発テロ発生後のお正月は刑事たちが200人はいただろうか、多くの参拝者に
負けない数で睨みを効かせていたのをよく覚えている。しかしそれから徐々に数が減り、
近年は50人いるかいないかの最低限のお正月出勤になったように感じる。
一般参賀者はここのところ年々増えているそうで、今年はお出ましの回数が減った割には
(天皇陛下の健康上の配慮で7回を5回にしたようだ)計8万人を超える人出だったと聞く。
中には白人や黒人、そして日本以外のアジア系黄色人種と外国人の姿もよく見受けられ、
我が家同様に日本のお正月らしい風景を求めて来ているようだ。またこの会場では毎年同じ
台詞に笑ってしまうのも私の楽しみとなっている。それは年配の奥様方の「ぜんぜん見えない」
という不満の台詞である。天皇陛下は新宮殿の高いテラスへお出ましになり、一見よく見えそう
なのだが、そのテラスに押し寄せるように集まる群衆は少しでも近くで見ようと
間合いを詰めるため、不幸にも年代的に背の低い方々には大変不利な状況となるのだ。
私でさえお出ましの折りにボーイスカウトからもらった日本の小旗が一斉に振られると
よっぽど近くでないとそのお姿は全く見えなくなる。群衆を少し後ろに離れればお姿は見えるが
お姿は小さく、群衆の中では他人の背中ばかりしか見えないジレンマのおばさま方なのだ。
どうしても満足した形で目に残したければ、その回が終わったらすぐ一番前に陣取って、
次の回まで1時間半ほどがんばらなければならない。ちなみに今回我が家は天皇陛下のお姿は
見ないで山を下りてきてしまった。会場に入った間合いが悪く次の回まで1時間以上の待ち時間
だったので、子供のことを考えて皇居登山のみで満足した一般参賀であった。
 一般参賀においては残念ながらタイミングの悪かった今年のお正月であったが、
その代わりに別の場所ではグット・タイミングな経験をした。皇居の帰り道、息子におもちゃの
ひとつでも買ってあげようと秋葉原のお店で品眺めをしていた時である。突然アナウンスが
流れて子供に大人気のヒーローもののおもちゃをこれから臨時にタイムセールすると言うのだ。
値札3000円相当の刀のおもちゃがジャスト1000円の大特価であった。
思わずすぐに異なる種類の刀をふたつ計2000円で買ってしまった。しかし考えてみれば
その番組はあと1ヶ月足らずで終了する番組なので、まあ在庫処分ということだろう。
そんな大人や番組の事情には関係なく、我が息子は大喜びであった。大のお気に入りとなった
その2本の刀は寝る時も離さずに枕元に並べて、その寝姿はまるで昔の武士のようだ。
寝起きの悪い息子を朝その刀のひとつでぐりぐりと起こしてやると飛び起きてもう一本の刀で
反撃してくるといった生活改善のよい効果もあった買い物だった。。


■ 執筆後記 ■

 皇居一般参賀は天皇陛下のお出ましが終わると、
新宮殿に向かって右側のちょっと傾斜のある坂の方へ
一斉に人々が流れ始める。
その坂の下で道はふたつに分かれて、
坂下門を出て東京駅の丸の内方面に流れる客と
皇居東御苑を散策しながら靖国神社方面に行く客とに二分される。
息子が生まれた時から、いやそれ以前から
正月のこの行事に我が家はほぼ欠かさず参加しているが、
いつも坂下門より出てしまって
未だ靖国神社は詣でたことはない。
別に思うところあってというわけではないのだが、
血縁に戦没者がいないことが縁の薄い理由かもしれない。
(私の母方の祖父[故人。母の父]はインパール作戦にも従軍し、
幸運にも生きて帰ってきた)

2005年のこと。坂下門を出て、お堀沿いに少し歩くと、
皇居をバックに記念撮影をしている団体がいた。
この皇居一般参賀には地方からバスツアーで
参列する団体も多いので、どんな人たちかと
団体の前に回り込むと、なんと例の黒塗りの街宣車等で乗り付ける
強烈な思想団体の方々であった。
しかもどうも幹部ばかりの集まりのようで
強面の面々が5段ほどのひな壇となって
記念撮影をしていたのだ。
関わってはいけないと気持ち遠回りに歩いたのだが、
ちらちらと様子を伺う内に、その見事な面ぶりに
逆に感心してしまった。
極道系の映画で、威圧力ある重鎮とした存在感は
たびたび疑似体感していたが、
さすがホンモノは重厚感が違う。
ある意味見惚れてしまったのだった。

そこでいいアイデアが思い浮かんだ。
幼い息子・れんを中心に添えて
記念写真を撮らせてもらえないかと。
そんな写真、一生に一度撮れるか否かのものである。
有料でもいい。ダークサイドと子供の純真さが相まって、
きっと素晴らしい写真になるに違いない。

と考えたが、妄想はそこまで。
もちろん怖くてそんなお願いはできなかった。
でも向こうから声を掛けてくれたら、
二つ返事でお願いしていただろう。

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その団体に会う直前の息子の写真。
その団体だけでも写真に納めたかったが、
さすがに命が惜しかった。
でもそんなお茶目なサービスがあっても
いいのではないだろうかとも思った。