旅の空色


2011年11月号




『人はリスクに騙される』

親の敵、プレデター

 たびたびこの私的コラムに登場するが、私には小学3年生のひとり息子がいる。
身長は現在140cmほどと同級生では大きいほうで、ひょろりとした体型に細長いゴボウの
ような足と、まるでもやしのような伸びと日頃からかっている。そんな立派な体つきとなっても
どの親と同様に子供に対する心配は尽きないものだ。最近は学校の連絡事項なども
モバイル化していて、携帯電話にメールという形で届くようにもなった。そしてそんな情報の
中には変質者情報などもあって心配事が増えることもある。またテレビのニュースで同じ年頃の
子供が事件に巻き込まれた報道があると、背筋の冷たい思いと胸を切られる気持ちになる。
被害に遭われた子供の恐怖と子供のご両親の心情を察すると当事者には及ばないまでも
心は痛みでいっぱいとなる。そしてやはり我が子の身の上が心配になってくる。当分の間は
煙たがる息子を相手に知らない人には気をつけるように繰り返し注意するようになるのである。
 そんな親の心配事にも国境はないそうだ。とりわけ欧米では子供に危害を加える輩を
『プレデター』というらしい。日本語訳すれば「捕食者」ととても嫌な言い方である。
有名な俳優、アーノルド・シュワルツネガーの出世作も「プレデター」という映画であったが、
こちらは人間の戦士を専門に狩る宇宙人であった。カメレオンのように周りの景色と同化する
宇宙人の方に戦いの分はあったが、人間も宇宙人も戦士としての誇りを尊重していた内容であった。
しかし親を脅かすプレデターは卑怯者の極みであろう。圧倒的に高い大人の身体能力を使って
幼気な子供に危害を加えるからである。小さくてかわいらしい生まれたてのカルガモの子を
手の平で握り潰すようなものである。それゆえこの手の事件は社会に与える影響が大きい。
大都市はもちろんどんな片田舎の山奥であろうともこの手の事件が起こるとマスコミで
大々的に取り上げられる。しかも繰り返し機能付きのステレオ放送となる。
それを視聴した親たちは背筋を冷たくし震え上がる。そして私もまた煙たがる息子を
捕まえては繰り返し機能で注意喚起し、時にはしばらく外出を控えるようにさせるのである。

抱えるジレンマ

 用心に越したことはない。しかし何の落ち度もない子供に半ば命令口調で知らない人には
気を付けるように言う自分の行為に反面疑問を持つ読者もいるのではないだろうか。
私も毎度疑問を持ちながらも注意喚起している。それはあるジレンマを感じているからである。
 あまり親らしいことをしたことはない私だが(嫁にもそう言われている)、
子供が生まれた時に自分に何ができるかと子供の教育法の本を少し読んだことがある。
その本で特に共感したのは子供は多くの人に愛された方がよいという話であった。
親はもちろん近親者や近所の人々、幼稚園や学校の数々の先生方、そしてお友達や
毎日通学路で会う人に至るまでひとりでも多くの人に関わることが今後人間の社会で
生きて行く上で大切な旨の内容だったと覚えている。人間はひとりでは生きていけない
社会性生物である。しかもここまで高度な文明の中にあってはなおさらのことである。ゆえに
知らない人でも毎日顔を見るなら「おはようございます」の挨拶が言える子供になってほしいと
ささやかな願いとなった。賢明な読者諸君は私の抱えるジレンマにすでに気づかれたことだろう。
一方では多くの人々との関わりを望み、同時に他方では人との関わりを制限するのである。
いずれが正しいかは問題ではない。それぞれに事情があるからだ。そこで問題の原点に
帰ってみる。そこまでプレデターを高いリスクとして評価する必要があるかというところである。
常に人を疑うことは基本とても悲しいことだ。

プレデターの正体

 どこに潜んでいるかわからない子供を捕食する輩のプレデター。その正体とは一体なんで
あろうか。カナダの著名な新聞記者、ダン・ガートナーがプレデターに関して興味深い
報告をしている。カナダではプレデターの標的となる子供1140万人に対して実際に
事件に巻き込まれた子供は50人程度、さらに50人中およそ半分がごく近親者による
もの、犯人はその子供の親や家族だったということである。これは何を意味するのか。
ダン・ガートナーによればリスクの正しい見方のひとつは絶対値で見ることだという。
ここで言う絶対値とは実際に犯罪が起きた数字のこと、そして対象全体から導き出す
犯罪確率のことである。その上で改めてカナダでのプレデターの実情を検証すると
近親者を含めた発生率は1140万分の50。見えないプレデターによるものは
1140万分の25という確率になる。対象者数と比べれば犯罪実数も少ないが
確率を持ち込めばさらに低い危険=リスクであることは明白である。但しゼロではないことは
悲しい現実であるが…。おそらくこれは日本でも似たり寄ったりの確率であろう。
私の息子にとってプレデターよりも恐ろしいものは他にある。年間72万人超の人が巻き込まれ、
およそ5千人の人々の命が奪われて、90万を超える人が負傷している。それは交通事故だ
(平成22年度データ)。小学3年生ともなると移動手段に自転車を使う年頃。
私が今もっとも恐れているのはその便利さの裏にあるリスクである。

人はリスクに騙される

 ダン・ガートナーの著作「あなたはリスクに騙される」の本を私が手に取ったのはその帯に
書かれたサブタイトルに惹かれたからだ。曰く「史上もっとも安全で健康な私たちが
なぜ不安に怯えているのか?」。人類の歴史を振り返ればもっともなことだ。
人間の寿命は年々確実に延びているのもその証拠だ。それなのになぜ人は怯えるのか。
ダン・ガートナーはその答えのひとつとしてリスクが必要以上に誇張されていると指摘する。
ではなぜ人をあえて必要以上に脅かすのか?そこには人心の誘導や商売にしようとする動きが
見え隠れしていると語る。人は理屈よりも感情に流されやすいという性を利用していると。
 原発の事故以来、放射能汚染の恐怖が繰り返し機能付きのステレオ放送で連日報道された。
そして人々は震え上がった。しかし最近違った報道の動きもある。実際の生活者の立場で
リスクを計測しようとする試みである。NHKでは全国の8家族を対象に食卓の放射能を
一週間精密に計測した。すると意外にも福島市の地産地消家族からは計測されず、
大阪や広島、北海道の家族からごく微量な放射能が検出された。原発から50kmに住む
湧き水と自家農園で生活する家族とほぼ同じ計測結果でもあった。調査対象が少ないので
全体の姿とは言えないが、一考の価値がある結果である。
 すべてのリスクに備えることはできない。しかし正確な情報に基づく落ち着いた判断は
もっともリスクの少ない道への最善の策であろう。


■ 執筆後記 ■

 私がこのダン・ガートナー著作の
『人はリスクに騙される』を読んだのは
2009年10月であった。
東日本大震災の1年半前である。
(その頃日本語訳が発刊された)
なぜこの本を手にしたのか?
なぜ本の帯に引かれたのか?
そのきっかけは「リーマン・ショック」であった。

「リスク」と「リーマン・ショック」に始まる
「世界金融危機」との関係は深い。
危機の発火点として有名になった
「サブ・プライム・ローン」、
低所得者向け住宅担保ローンと言われる
この無謀な(注1)ローンが
恐慌の原因とニュースで連呼されたが、
さらに被害を広めたのは
「不動産担保証券」という
プロ相手の投資金融商品だった。
「不動産担保証券」は信用度の低い(=低質の)
サブ・プライム・ローンを含む
良質、標準、低質の様々な不動産ローンを組み合わせて
比較的利回りの高い「証券」を作り出していた。
なぜわざわざ組み合わせたかというと
良質のローン、いわゆる借り手の信用度の高いローンは、
利子が低くなり、リターン(利益)も少ないため、
標準と低質を組み合わせることによって
リターンを高めると同時に
良質のローンによって標準と低質の
信用度を補完させるという
妙手を生み出したのだった。
詰まるところ高いリターンを受けながらも、
「リスク」はコントロールできると考えたのだ。

ところが結局リスクはコントロールできなかった。
基本不動産の値上がりを見込んで借りていた
サブ・プライム・ローンが不動産価格の天井によって
行き詰まり、次々に破綻し始めると、
「不動産担保証券」の一部を構成していた同ローンの
価値判定ができなくなり、全体的に信用を失って、
ついには「証券」の値も付かなくなり、売買環境を失ったのである。
巨大な住宅ローン市場を支えていた
この「不動産担保証券」市場の”ありえない”停止により、
たちまち世界金融市場の一角に大きなブラックホールが
出現した状態となった。
今では遠い過去のように感じられるかもしれないが、
BNPパリバ証券の3つのファンドの閉鎖を予兆に、
投資銀行のベア・スターンズの危機と吸収合併、
そしてもはや誰の手に負えない70兆円もの負債を抱えた
リーマン・ブラザーズの破綻となったのだった。
しかしリーマンの破綻もプレリュードに過ぎなかった。
アメリカを始め、当初関係ないと思われた
ヨーロッパの大手銀行もやがて資金不足の陥り、
次々と公金投入による国有化をせざるを得ない
状態に追い込まれたのだ。

この「リスク」の本質を見極める。
そして起こるはずがないと言われているリスクが
ブラックスワンとして現れた時、
人々がパニックになった時、
どのように行動すべきかを知る。
そのひとつの手段として
この本を手にしたのだった。

奇しくもリーマン・ショックより4年を経て、
日本ではもっと身近なところで
ブラックスワンが現れた。
「東日本大震災」とそれに伴う
「福島原発事故」である。
とりわけ福島原発事故は
後の検証からもわかるように、
リスク管理の不備⇒ほぼ人災(注2)となった。
ここでもリスク管理=リスク・コントロールの過信が
大災難をもたらしたのである。

確率論、ブラウン運動、正規分布、微分積分、
数学には疎い私にはさっぱりわからないが、
これらを駆使した予測モデルを使えば
危険=リスクはコントロールできる、
そう信じていた人間の前に
イレギュラーが、予期せぬ出来事が、
大きなブラックスワンとして現れた時、
「人の理性的な思考は停止する」ということを教えてくれた
ふたつの歴史的人災と天災であったと思う。
それがこの歴史から学ぶひとつの大きな教訓であろう。

なぜ理性的な思考が停止するのか?
おそらくは人の心にとってその許容量を超える
受け止められない事態が発生した時に、
自らの体と精神を守るために安全弁が自動的に
閉まるのではないだろうか?
その結果が理性的な思考停止と
パニック的な流れに繋がるのではないかと
推察している私である。
「パニックの心理学」も今後の課題だ。

人間は多かれ少なかれ独我論の呪縛の中で生きている。
だが少しずつ客観性に触れることで、
完全ではないにしても、その呪縛が解かれ、
客観的な冷静な判断に近づけると思う。
「常に理性的で客観的であれ」
言うは易く行うは難しであるが、
常日頃からのその心がけは
どんな危機に直面してもきっと役立つに違いない。

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(注1)無謀なサブ・プライム・ローン

 お金を借りる時にはもちろん審査があるが、
当時アメリカではアルバイトでも家のローンが組めるほど、
いい加減な所得申請でも審査が通っていた。
良心的な審査員が問題を指摘しても、
大抵は問題なしと上司が判断したという。
それは上昇を続けていた不動産が
ローン金額を十分に担保していたことと、
先に上げた「不動産担保証券」が飛ぶように売れて、
材料となるローンが不足していたからである。
儲かる証券を売るために、銀行はせっせと
ローンを勧めていたのだった。

(注2)原発事故はほぼ人災

 福島原発事故は大地震と大津波により、
送電網と自家発電機が失われて、
いわゆる電源喪失により
原子炉の制御と冷却ができなくなり、
メルトダウンに至った、経緯はこれで間違いないだろう。
ただ事故後のいろいろな検証を見ると、
原子炉冷却の最後の要となる
自動復水器という機械を操作する
機会を失ったことも大きな事故に繋がった
ひとつの要因であることがわかる。
しかも呆れたことに、この自動復水器の
稼働マニュアルは徹底されていなかった、
まさか動かすことになるとは想定していなかった
という事実である。
ただこの最終安全装置を作った本場アメリカでも
この自動復水器の操作手順を確認したところ、
現場ではやはり徹底されていなかったというのだから、
安全管理上の問題は蔓延していたと言えるだろう。

この自動復水器はオンにする=
原子炉内と繋がっているパイプの弁を開くと、
炉内から上がってきた水蒸気が
自動復水器内の水タンクの中に配されたパイプを通って
冷却され、水に戻されて、再び炉に帰るという、
単純な構造ながらも電源要らずの機械であった。
原子炉内が水で満たされてさえあれば、
核燃料は安定するという状態を保つシステムであった。
ただどうもオンにするためには現場で弁を開くという手動らしく、
アメリカでもそのアナログ的な手法のため、
またその弁も高所にあるなどに理由により、
操作マニュアルは徹底されていなかったようだ。
福島原発では、この自動復水器にまで考えが及んだ時には、
すでに現場は高放射能状態で近づけなかったという。

これも事故が拡大したひとつの原因であるが、
最大の原因は今の科学力・技術力・万全なシステムがあれば
事故なんて起こらないとふんぞり返っていた人々の慢心である。
一流企業の車でさえ、リコールが絶えないというのに。