旅の空色
2011年 7月号
明るい農村の今昔
私が初めて宮城県を訪れたのは小学4年生ころ、今から30年以上も前のことだ。
私の父母と妹、そして当時お店を手伝ってくれた3〜4人の若者たちと一緒に車で北へ北へ
延々と向かった。当時、東北自動車道はまだ宮城県への入り口である白石(しろいし)
までしか延びていなくて、高速道路の旅を終えてからも国道4号線を仙台市を抜けてえっちら
おっちら岩手県境の築館(つきだて)まで子供心にまだかまだかと言った具合での長い長い
旅路だったのを憶えている。またその頃の築館は起伏の連なる小山と谷間に田んぼや畑や民家が
点在する超ド級の田舎で、時折牛や豚、鶏の鳴き声が響く穏やかな日本の農村であった。
わざわざ遠方のこの地を大勢で訪れた理由は人を訪ねてだった。以前うちのお店の隣に
通称くまさんという若者が住んでいて家族同様の付き合いをしていたのだが、結婚を機に
このふるさとに帰郷したのだった。くまさんの穏和な人柄は他の若者たちにもとても人気があり、
またくまさんの誘いもあって帰郷から1年を経ての再会となったのだった。
当時テレビ番組で「明るい農村」なる番組があったが、初めて実際に目にした東北の明るい農村は
私にとってもまた妹にも新鮮な世界であった。どの家でも牛や豚や鶏を大なり小なり飼っていて
家畜と共に暮らす生活は都会っ子の私たちには衝撃であった。特にそれらに群がるハエの多さにも
驚いて、ハエ叩きでハエを追いかける切りのない遊びが我たち兄弟の大のお気に入りとなった。
先日の日曜日、息子・れんくん(9才)とふたりで大宮駅から朝一番の新幹線に乗車した。
目的地は上に紹介した現・栗原市志波姫のくまさんちである。以前は栗原郡志波姫町であったが
市町村合併の末の現住所となった。先に築館と紹介したが、それは地理的にわかりやすくする
ためで,正確には昔の築館町の数キロ隣の志波姫町となる。大宮駅からおよそ2時間、仙台駅より
2つ目の新幹線の鈍行駅である「くりこま高原駅」で下車する。実はこの「くりこま高原駅」こそが
今の栗原市志波姫のド真ん中となる。30年前とはガラリと変わって、昔の日本の明るい農村には
新幹線の駅が出来、駅前には凱旋門のような展望レストランやスポーツジムの付いたホテルが建ち
イオンの大型スーパーまである変わりようなのだ。しかしそれらはあくまで駅の周りだけで
数分も歩くとよく整備された田畑と昔ながらの母屋や離れを持つ農家が点在する明るい農村の
景色となる。駅まで迎えに来てくれるというくまさんの申し出をあえて断って、息子と二人で
そんな農村路をぶらぶらと歩き始めた。歩き出してしばらくすると用水路にはうようよと小魚や
どじょうの群れが、水の残る田んぼにはカエルや蝶が、そして巨大なオニヤンマまでも私たちを
出迎えてくれた。埼玉の百円ショップで買ってわざわざ抱えてきた虫網や魚網の出番となる。
生き物の宝庫に息子は着いた早々に大忙しであった。くまさんの家までは駅から歩いてなんと
15分ほどと大変便利なところにあるが、そんな事情で到着には倍以上の時間を要した。
息子のお気に入り
今回初めて息子とふたりでの旅を考えたのにはいくつか理由があった。
ひとつにはママからちょっと離したかったこと。3つ年上の従兄弟・たっくんもそうなのだが、
どうも最近の子供はママにべったりなのが目に付き気になっていた。確かに私にも子供の頃そんな
時期があり、金魚のフンみたいだとからかわれた記憶がある。しかしそれにしても近頃の子供の
ママからの卒業時期は遅いと心配になっていた私だったのだ。
ふたつ目は普段なかなかかまってやれない息子とじっくり過ごすこと。
そしてわかっているようで本当は知らない彼の生態を観察することだ。息子はいろいろな生き物を
捕まえて観察に熱心だったが、まさか自分も観察の対象だとはつゆ程も気付いてはいなかった。
そして3つ目はよその世界、よその生活を体感すること。普段見える自分の世界以外にも
様々な人の暮らしが違う環境で存在することを息子が感じてくればとの思いであった。
まあ難しく考えればそんなとこだが、少しでも息子の成長に繋がればとの親心である。
また私事以外にも東日本大震災で最大の揺れに見舞われた栗原市の知人たちをあえて今の時期
子供と訪れることで少しでも安堵に繋がればとの思いもあった。
私が初めてこの地を訪れた時はハエ取りにハマッたと紹介したが、息子の大のお気に入りは
くまさんのところに飼われている猫のタマであった。まだ子猫のかわいい盛りで、元・野良猫の
割にはなかなか頭の良い猫である。最近インターネットの動画ではかわいい猫の仕草が話題に
なっているが、狭い筒に滑り込んだり、電気炊飯器に収まったり、ゴミ箱に飛び込んだり、
達磨さん転んだの遊びのように静と動の動きを繰り返したりとタマは話題の仕草を子供たちに
たくさん披露してくれた。子供たちと書いたのはくまさんのお孫さん2人も遊びに加わったからだ。
ちょうどれんくんと年齢が同じころでみんなで仲良くタマをかまったり追いかけ回していた。
しかしやがてさすがのタマも子供の遊び相手に疲れたのか、どこかにふぃと隠れていなくなって
しまった。子供たちはさんざん家の中を探したが、どうやらタマの秘密の場所があるらしく
ついには見つからなかった。家出したのかとも心配したが、子供が帰った後にまたふぃと
戻ってきて、日がな一日寝ころんでは数日疲れを癒していたそうである。
ぼくの夏休みと縁の不思議
前回のコラムで触れたが今回の旅の主目的のひとつは仙台市で臨時に開催された『六魂祭』
というお祭りであった。しかし実際は行かなかった。というのはその日宮城はたいへんな猛暑に
見舞われ、またお祭りの人出も予想以上で、前日には大混雑のため祭りの一部が中止になったと
聞いたからである。わざわざさらに暑い人混みの中に飛び込むこともないと躊躇したのだった。
加えてなによりも息子がタマとじゃれ合うのに夢中で、腰が重かったこともある。
そんな予定変更もあったが、今回の宮城の滞在は想像以上に充実した内容となった。
くまさんをガイドとしたとんぼや蝶を始めとしたいろいろな虫取りに、網袋に溢れんばかりに
捕れた田んぼでのカエル取り。がんばって朝4時起きた魚釣りでは大小たくさんの魚が
入れ食い状態で釣り上がった。また毎度宿泊している駅前のホテルで今回初めてプールを
利用したが、普段は水中ウォーキング客中心の小さな流れるプールは暑さのため
地元の子供たちでいっぱいで、現代版川遊びを賑やかに楽しく過ごすことができた。
まだ夏休み前なのに夏中の思い出が出来たようなれんくんの2日間となった。
昔、くまさんにはお店が忙しい時など妹と一緒にお風呂に入れてもらった。
そして今プールで我が息子・れんくんの遊び相手をしてくれるくまさんを見て感慨深いものを
感じた。頼まれれば父母のお店を手伝い、我が兄弟の世話や遊び相手にもなってくれて、
そして今少し人見知りするれんくんが旧知の間柄のようになついて遊んでいる。
そんな光景に私は人の縁の不思議を感じた今回の旅行でもあった。
■ 執筆後記 ■
この年以来、7月の海の日には宮城の通称くまさんこと
友人K宅にお邪魔するのが慣例になった。
一種の帰省といった感じだ。
毎度大宮駅より朝一番の6時30分発の新幹線に乗る。
普段は朝寝坊の息子もこの時ばかりはシャキッと起きる。
近くの伊豆沼(いずぬま)でトンボ取り。
伊豆沼はラムサール条約で保護されている生き物の宝庫である。
早朝5時起きで農業用水にて魚釣り。
こんな小さな水溜まりでも20〜30cm大の魚がよく釣れる。
カエルはそこかしこの田んぼや用水にうようよいる。
同時に捕食者の蛇も珍しくないので注意を要する。
タマと遊ぶのが息子の一番の楽しみである。
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