旅の空色
2011年 2月号
最近近場にとても気になる傾斜、いわゆる坂がある。それは東武伊勢崎線の蒲生駅のホームから
見ると分かり易い。ホーム下り方面を眺めると次の停車駅である新越谷駅がうっすらと望めるが、
そこまで至る線路の中頃より新越谷の駅に向けて坂になっているのが確認できるはずだ。
その傾斜具合が知りたいのである。東京への電車の足として親しまれてきた東武伊勢崎線が
高架橋となってからも久しくなるが、高架沿いの高いところに各駅が並ぶ同路線の中で
さらに上段に作られたのが新越谷駅である。地元民には今さらの解説は無用だろうが、
新越谷駅は十字に交差する武蔵野線との連絡駅でもあり、元々土手を走る武蔵野線を跨ぐように
建設されたため、さらにひと高架分高い位置の設置になったという成り行きで、その前後の線路が
坂になるのも至極自然の話である。ただ私の目視したところあの坂は電車の線路の傾斜としては
かなり勾配があるのではと気になっているのだ。
真っ直ぐに平坦に
「パーミル」という単位をご存じだろうか。私も最近問われて学校で習ったような気もしたが、
知っても知らなくても普通の生活には問題のない言葉でもある。「パーミル」とは千分率の単位で
1000分の1を”1パーミル”と表す。普通は坂の傾斜を表すのに平面と坂面との角度で、
例えばこの坂道は15度とか30度といった具合に表すことが多いが、こと鉄道の傾斜を表す時は
この「パーミル」で記すと最近知った。鉄道の場合1km(1000m)進んだ時に
何メートル上るか(または下るか)で、例えば1km進むと10m標高が上がる場合は
「10パーミルの登り」と印すのである。角度表示よりも随分と細かい表記となるが、これは
電車にとって坂がたとえわずかな傾斜でも天敵となるためであろう。自動車は特に自家用車などは
重量も軽く、馬力もあり、またゴム製のタイヤは粘着性も高いので大抵の坂などはグイグイ上る。
しかし客車を連ねた電車は重量も重く、動力も限られ、加えて車輪は摩擦を極力抑えるよう
鉄製で接地面を最小化した作りになっているので、ブレーキの効きは悪く、もちろん坂では
滑り易いのは自然なこと。でもその特性ゆえに低エネルギーで大量の人やモノを運べるとも言える。
かくして線路の敷設にあたってはなるべく真っ直ぐで平らなところを選ぶのが鉄則だそうだ。
自動車専用道路の高速道路などはドライバーの緊張を保つためにもあえてゆるやかな曲線を
描くように設計されているそうだが、線路は政治の圧力がかからない限り運行環境のよい
平らで最短距離を選択するそうで、今回決まった東京〜大阪間のリニア鉄道ルートもたぶん
それに準じた結果であろう。もっともいわくある路線は数多く存在するけれども未だ政治圧力が
確認された試しはないが‥。しかし我が国・ニッポン、国土の5分の1しか平地と呼べる
ところはなく、あとは山と谷の起伏に富んだ地形である。国の隅々まで便利な鉄道を敷設するには
自然の地形を生かしたままでは無理がある。今回のリニア鉄道においても最新のトンネル技術を
駆使して南アルプス山脈を貫くそうだ。ただリニア計画は国の大動脈ゆえに大胆で膨大な費用を
計上できるが一般的な鉄道はそうはいかない。新越谷駅もその例だが、ある程度の坂や
トンネルの貫通、場合によってはジグザグと上ったり下ったりするスイッチバックなる
線路の敷設も究極の最終選択となる。人生山あり谷あり。鉄道にも山あり谷あり、寄り道もあって、
トンネルの先には光明ありとただ平坦で真っ直ぐでないところに醍醐味があるのだろう。
それともやっぱり真っ直ぐな方がいいかな?
気になる傾斜の答えは?
話を元に戻すが新越谷駅への登り坂はいったい”何パーミル”だろうか?
その答えを得る方法は3つある。ひとつは駅の駅員に聞くこと。駅長クラスがわざわざ出てきたり
したら大変恐縮してしまうがちゃんと答えてくれるだろうか?ふたつめは電車の先頭車両の
運転手さんの裏から実際に確認すること。坂の手前にその傾斜を示す白い四角い棒に片手を上げた
ような板棒のついた標識標があるはずで、そこに書かれた数字がパーミルの数字である
(下り坂の場合は板棒は手を下げた形になっている)。ちなみにその標識標の意味は最近勉強した
ので私はいままでいかなる線路でも意識したことはなかった。
そしてみっつめは計算によりおおよその答えを導き出す方法だ。まず蒲生駅と新越谷駅の間の
距離のうち真ん中くらいから坂は始まっているので駅間の距離の半分を調べ底辺とする。
次に新越谷駅と蒲生駅の高さの差を調べてその差を高さとした直角三角形を想像する。
底辺の長さを1000mと比較してその比率を計算し、でた比較比率を高さに掛け合わせれば
大体のパーミルが導き出されるはずである。駅間の距離は東武伊勢崎線のホームページで1kmと
わかったのでその半分の500mを底辺とした。ということは1000mとの比較比率は2倍
となるので蒲生駅と新越谷駅の高さの掛ける2がおおよその答えのパーミルとなる。しかし…
インターネットでいろいろ調べたが高さの差は結局わからなかった。ただネットの記述を
考察するとビルの3階立て相当にある武蔵野線の南越谷駅ホームを跨ぐ形で5階建て相当に
新越谷駅ホームがあるというので蒲生駅の高さを南越谷駅相当の高さと見れば
3階と5階の差、ビル2階建て相当分が想像する直角三角形の高さだろうと仮定した。
ビル2階建ての高さを15mとして導き出される答えは30パーミルとなる。
ネット上に正確な答えの記述はないが、世界的ネット辞書ウィキペディアによると「新越谷駅の
前後の線路に急勾配がある」とあり、一般に鉄道の急勾配というと25パーミル以上を指すので
大方答えは正しいのではないだろうか。ライフスタイル上私は電車に滅多に乗ることはないが
今度機会があれば運転手さんの後ろに張り付いて確認してみることにする。
新たなる旅のアイテム
なぜここまで線路の傾斜に私がこだわるのか?それは最近講談社現代新書の『線路を楽しむ
鉄道学』(今尾恵介 著)を読んだからであった。近年年齢を問わず女性にも鉄道がうけている
そうで、そんな女子は「鉄子」の愛称で呼ばれているそうだが、鉄道趣味にもいろいろあり、
実際に電車に乗って実感する”乗り鉄”を始めに、様々な車両を楽しむ「車両鉄」、
時刻表を丹念に眺める「時刻表鉄」、地方路線の風光を堪能する「旅鉄」など一口に鉄道趣味と
言ってもアプローチの仕方は様々ある。そこに新たにちょっとマニアックだが地形と歴史を絡めて
鉄道の黒子である線路に光を当てたのが紹介した書物であった。地図好き、歴史好きの私には
趣味の符号がピタリと一致した。前述したように30パーミルは鉄道では急勾配になるが、
傾斜角ではわずかに2度程度の世界である。しかし日本の鉄道史上最大の難所と言われた
碓氷峠越えが66.7パーミルである事実を知れば、傾斜角たかが数度の世界も見方が変わるもの
である。鉄男くん、鉄子さんほど熱心ではないが、旅の重要なアイテムとして新たに鉄道が
加わった次第であった。これでまた暇を見ては家を離れる口実もできたというものだ。
■ 執筆後記 ■
一口に鉄道が好きといっても
その好きとなる対象はいろいろあるそうで、
その対象によってファンも分類されるそうだ。
大ざっぱに調べただけでも
乗って楽しむ「乗り鉄」、
旅とともに楽しむ「旅鉄」、
様々な電車の種類を求める「車両鉄」、
走る音や車内放送を集める「音鉄」、
季節、風景とともに写真に収める「撮り鉄」、
電車時刻表をじっくり読み込む「時刻表鉄」、
鉄道模型で遊ぶ「模型鉄」、
趣味として運転体験したがる「運転鉄」、
電車関連のグッズをコレクションする「集鉄」、
そして極めつけは、路線が廃線となると聞くな否や、
その最終運行日にどこからともなく
日本全国よりわさわさと集まり、
電車に最後の別れを告げる「葬式鉄」である。
廃線と言えば、商売の関係で私がよく通っている、
宮城県栗原市にあった「くりはら田園鉄道」、
通称「くりでん」も2007年春に廃線になった。
その電車が運行している時分、
田んぼのど真ん中を走る勇姿が気になって
物好きにも一度乗車した経験がある。
そういう意味では私には「乗り鉄」の素質はあるらしい。
くりはら田園鉄道は
もともと国定公園・栗駒山の裾野にあった
細倉(ほそくら)鉱山から採掘された鉱石を
主幹線路の東北本線まで輸送するために作られた、
よくあるパターンの軽便鉄道(注釈1)からの始まりであった。
鉱山の繁栄とともに近隣の町も発展と遂げ、
鉄道にも再投資されて、
ニブロクの路線がサブロクとなり、電化もされて(注釈2)、
東北では随一と言われる程の立派な路線に成長した。
ところがこれもよくあるパターンで
鉱山の閉山とともに町も衰退し、
モータリゼイションも追い打ちを掛けて
鉄道事業は赤字に転落。
その後事業は悪化の一途で、
ついに幕を閉じる形となった。
私は路線途中の沢辺(さわべ)駅から、
鉱山跡の細倉マインパーク前駅まで
およそ17kmの距離を往復乗車したが、
片道大人1000円程と
距離の割には料金の高さにびっくりしたものだった。
おそらく通院や通学に使う地元民には
特割料金が適用されているのだろうが、
この料金では観光開発は無理と感じた。
ただ乗車した時期がちょうど
稔る程頭を垂れる稲穂かなといった感じの時で、
黄金色の田園の真っ直中を走る電車は、
まるでアニメ「千と千尋の神隠し」のシーンにあった
海原を走る電車に乗っているようで、
異次元の中の夢心地といった体験であった。
また線路脇すぐの高台に学校の校庭と校舎があり、
学校の出入りには踏切のない渡り板のみある渡りを通って
線路を横切るという仕組みに
田舎ならではの大ざっぱさというか、
のんびりさというか、ゆるさというか、
他にはない鉄道と人の交流の一端を見たようで、
あたたかみを感じたものだった。
(旧鶯沢工業高校(うぐいすざわ)、
現岩ヶ崎高校(いわがさき)鶯沢校舎のようだ)。
まあこれらも今は思い出の中にのみ生きる風景となった。
復路の栗原田町駅では
ちょうど下校時とあって女子高生の団体が
どやどやと乗車してきた。
その中の数人がまだ友達が来るので待って下さいと
運転手に掛け合うと、今しばらくの停車となった。
都市部ではあり得ない光景に
思わず苦笑してしまった。
やがて電車が動き出すと、
夏日であり、学生の混雑も加わって
車内が蒸してきた。
すると一部の女子高生が
スカートをうちわ代わりに自らを扇ぎだした。
パンツ丸見えである。
田舎の子はなんと大胆なことか。
いや、普段は居るはずのない我々が
たまたま居合わせた案配なのだろう。
それでもお構いなしの彼女たちであった。
一緒にこの小さな旅を共にした友人Kは、
運賃分の楽しみがあったと満足気であった。
2007年4月15日、廃線直後のくりはら田園鉄道の栗駒駅舎を写す。
廃線したと聞いて、様子を見に行った私だった。
駅舎内には最後の日、地元住民や「葬式鉄」たちに囲まれて、
まるで御神輿が出たような賑わいの中、満員の客を乗せた車両が
人々に囲まれている写真が飾られていた。
私には車両がとても喜んでいるという気が感じられたいい写真であった。
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(注釈1)軽便鉄道・けいべんてつどう
日本の鉄道敷設初期の段階で、比較的簡単に安価に作られた簡易鉄道。
宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のモチーフとなった岩手軽便鉄道(現・釜石線)や
黒部渓谷トロッコ電車などもこの部類である。
鉱石や砂利、資材運搬用が主で、東京の多摩川沿いにも河原で採れる
砂利搬出用に無数のレールがあったと聞いた。
(注釈2)ニブロク、サブロク、電化
ニブロク、サブロクはレール(軌道)の幅(軌間)を示す日本の呼称である。
それぞれ2フィート6インチ(762mm)、3フィート6インチ(1067mm)を
示している。日本ではサブロクが主流だが、ヨーロッパではシブロク、
4フィート6インチ(1435mm)が主流と聞いた。
レール幅が大きいほど車両の横揺れが軽減されるそうだ。
ゆえに新幹線はシブロクであり、都内の電車の一部路線もシブロクだそうだ。
電化とは線路上に敷設された電線からパンタグラフを通じて通電し、
動力のモーターを動かして走る、現代の一般的な電車の走行法である。
これに対して非電化とは、ディーゼルエンジンなどで動く自走の気動車によって走る
電車の走行法を言う。電化した方がエネルギー効率は良いが、
鉄道の利用状況や、電線の保全維持費などを考え合わせた時、
非電化の方が良い場合もある。その代表的な例が北海道の鉄道であり、
半数以上が非電化である。ゆえにあの豪華寝台列車・カシオペアも
青函トンネルを抜け北海道に入ると、函館より北が非電化のため
気動車に連結し直して札幌まで走ることになる。
なんかこういろいろ書くと私も一端の鉄ちゃんに見えるかもしれないが、
旅の知識の延長線上であって、鉄道ファンほどの熱意はない。