旅の空色


2011年10月号




『ブラック・スワン』

今そこにあるリスク

 本年は人が一生で一度出くわすかどうかという危機に多くの人が見舞われました。
そして未だその傷は癒えず、今度は違った形で世界に危機が迫っているといいます。
いったい危機=リスクとは何なのか。どのように向き合えばよいのか。それぞれが考える
よい機会かもしれません。本コラムでは本月と来月の2回に渡り、そんなリスクについて
「ブラックスワン」と「リスクに騙される」というふたつのテーマで考えてみたいと思います。

湘南ボーイ?の常識?

 神奈川県茅ヶ崎市に同業者の友人がいる。先日電話で話した折に私は半分冗談ともう半分は
警告を込めて「もし大津波警報が出たら家族を連れて一目散に高台に走れよ」と言った。
すると彼は「まさか。ここは大丈夫だよ」と返す。そこで私は「ずっと昔、鎌倉の大仏が
津波に洗われたの知ってる?」と聞いた。彼は「え!?」と答えに詰まった。
 一昨年の夏、高校時代以来久々に鎌倉の大仏を家族で観光に訪れた。改めて訪ねてみると
由比ヶ浜から1kmばかり上がったとても海に近いところと気づく。そして寺の有料駐車場から
さらにゆるやかに登った小山の中腹に大仏は鎮座している。高校時代に訪れた記憶はとうに
風化していて大仏とは初めて対面した感覚であっ た。大仏の率直な感想は一見ハリボテ的な
ちょっと安っぽい作りに思えた。長く風雪にさらされそこかしこに継ぎ接ぎのような修理跡が
目立つためだろう。大仏の前に立つ解説の立て札を丹念に眺めて私は初めて大仏が大津波で
洗われた事実を知った。解説によると1498年の明応地震の大津波で青銅製の大仏は倒れて
首がもげたという。大仏は標高12mほどのところにあり、こんな高台まで津波が押し寄せる
ことがあるのかとその時はとても感心したものだ。茅ヶ崎の友人の家はJR茅ヶ崎駅の近くに
あって、浜との高低差はほとんどないので、同じ規模の大津波が来たら確実に波に揉まれる
だろう。そして本年3月11日以降その空想は不幸にも常識の範囲に入った。

黒い白鳥を見たか?

 読者諸君は白い白鳥の群れの中に黒い白鳥を見たことはあるだろうか?
みにくいアヒルの子のように子供から大人になる課程の灰色の白鳥は見かけるかも知れない。
しかしおよそ見落とすことはないであろう真っ黒な白鳥を目にした人はいるだろうか?
 リスクを扱う研究分野で「ブラックスワン(=黒い白鳥)」という言葉がある。
先に質問したようにまずお目に掛かることはないとの意を取って「めったに起こらないこと」の
代名詞として使われている用語である。その発生確率は数百万、数千万またはそれ以上分の1
となる。ところで話は鳥類学に飛ぶが最近の世界的な鳥類観察においてブラックスワン=
黒い白鳥はたまに観察されているという。黒い白鳥誕生の原因は遺伝子上の突然変異が
もっともらしい理由として挙げられているが、鳥類学上ではめったに出会えないものではなく
たまに見るものとなってきているのである。
 日本の原子力発電における権威・原子力安全・保安院は原子力発電所が大事故を起こす確率を
数十億分の1と試算・公言してきた。隕石が直接原子力発電所にぶつかる確率よりも低い
確率だという。そして本年3月に福島でご存じのような体たらくとなった。
 今回の福島の事故は想定外の要因により起こったとの説明もあった。
大地震に加えて災害時に原子炉の安定した運転を行うための自家発電がその後押し寄せた
大津波で水没した二重災害だからだ。しかし奇しくも数年前より仙台平野の地層を調べていた
研究者が1000年以上前に内陸4kmまで駆け上がった大津波があった可能性を
古文書の記録を頼りに調査、裏付けていた。これを受けてかは定かでないが、
茨城県では県独自に大津波の可能性を試算し、東海村原子力発電所に対策を指示、
からくも3つの自家発電機のうち防水対策をした2つの電源が残って原子炉の制御は事なきを
得ていた。福島とは対照的な結果である。
 今年我々は3つのブラックスワンを目撃した。「大地震」「大津波」そして「レベル7の
原発事故」だ。地震と津波の発生は現在の人間の力では防ぎようがない。しかし原発事故は
明らかに人間の傲慢から起きたものだ。「絶対起こらないと信じていた事故が姿を現した時、
人は思考を停止してしまった(原子力保安院の会見より構成)」。

ブラックスワンに出会ったら

 滅多に出会うことことのないブラックスワンであるが、地質学上プレート活動の活発な所に
位置し、海に囲まれた日本列島は「地震」や「津波」と切っても切れない関係にある。
また原子力発電所のリスクは人の作りしモノの副産物であり、今後の展開によっては日本国内の
リスクは軽減されるかもしれないが、チェルノブイリの例のように事故の規模によっては
グローバルな問題でもある。事実、隣国・中国では経済の拡大に電力が追いついていないので
今後原子力発電の建設予定が目白押しと聞く。万が一、中国で原発事故が起きれば黄砂の如く
放射能物質が飛来するのは想像に難くない。何れにしても確率論はともかく、出会えば
避けられないものと言える。今回の東日本大震災はそうした現実を示してくれた。
 ではどうすれば良いのであろう。大震災以降、社会ではそれ以前より対策を積み上げている。
しかしながらそうした社会の備えの限界も垣間見えた今回の大震災でもあった。
私はやはり個人個人が自らのライフスタイルに合わせた災害に対する備えを日常的に準備し
心構えをしておく必要があると思う。社会インフラの寸断を前提に、災害によりどのような危機が
迫るのかを予習し、信頼たる情報を得る手段を用意し、無駄で危険な動きを避ける構えを。
例えば今回の大震災で大きな危険と指摘されているものに強行軍による帰宅行動がある。
家族が心配なことや、早く家で落ち着きたい思いは人情だが、地震では揺れによる危険以上に
危ないのが火災だと言われている。コンクリートで多くが固められた都心部の周りは、
木造の家と家が引きめし合う下町だ。災害の時刻によってはこの下町で同時多発的な火災が発生、
風向きや風力によりあっという間に大火災となる。多くの人や車でごった返す道はたとえ国道でも
大混乱となり地獄絵になるだろう。また無駄な動きによるパニックも今災害では目立った。
本来そんなに必要のないガソリンを求める多くの自家用車は非常時における限られた
エネルギー効率を低くした。加えて給油待ちの車列は渋滞の元となり、物流を麻痺させて
結果品不足の状態に拍車を掛けたと言えるだろう。
 すべての危機に万全の準備をしておくことはできない。でも少なくともブラックスワンが
目の前に現れても落ち着いた対応ができる心の余裕は携帯したいものだ。


■ 執筆後記 ■

あの時、世の中は尋常ではなかった。
東日本大震災後の日本である。
テレビを通じて、街や田畑、そして人が
大津波でのみ込まれるのをリアルタイムに目撃し、
その後自ら余震の大きな揺れに毎日のように見舞われては
誰でも生きた心地はしなかったのは確かである。
そして震災後、数日を経て
世の中はパニックになった。
コンビニやスーパーから品物が消えて、
我がお店でも米を求める客が殺到した。

そもそもシステムを駆使した
在庫を持たない商売の潮流と、
物流システムの麻痺がもたらした
一時的なパニックだと
当時より分析していた私だったが、
そんな理屈は全く通じなかった。
あまりにも多く米を買い込むので
「しばらくすれば落ち着きますよ」と忠告すると、
見知らぬ老人は
「あんた余所を知らないからそんなこと言うんだ。
ガソリンスタンドなんてどこも空っぽだぞ」
と怒鳴られた。
後日、ネットで大量にカップ麺を買い込んだ人が
食べきれないなあと反省しながらも
「あの時は自分なりに一生懸命だったんだ」と
テレビのインタビューで語っていた。
一生懸命は結構なことだが、
それが回り回って本当に必要なところに物資が届かず、
多くの人にひもじい、不安な思いをさせたり、
場合によっては人の生き死にに
関係していたかと思うと、不幸な人災となる。

人はパニックになると
およそ冷静な判断とは程遠い状態となる。
水で溺れてパニックになると、
助けに来た人にがむしゃらに抱きついて、
共に命を落とすこともあるという。
滅多に起きない大いなる危機、
ブラックスワンが現れた時、
人はどう行動すべきなのか?
また同時に転ばぬ先の杖ともいうけれど
危機=リスクばかり恐れていても
不安の堂々巡りで、結局不安は拭えず、
先に進めないのも事実である。

リスクの本質を知りたくて、
リスクとの付き合い方を知りたくて
改めて「リスク」についての本を
再読した私であったのだ。

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