旅の空色


2011年 1月号




『平成23年正月』

 正月2日。正月は晴れの日が多いと記憶しているが、本年は風もなく雲もなく例年にない
穏やかな晴天に恵まれた思う。年末から年始にかけては生活のリズムに急ブレーキがかかり
体調を崩す事がある我が家だが、少々風邪気味ながらもその心配もなさそうで、
いつもの年中行事の事始めを決行することとした。
 近頃は都内に出かけるのにすっかり電車中心となってしまった。子供が幼かった頃は
ベビーカーやらおむつ類やら荷物が多く、また子供が寝入ることもあるので車が便利であった。
しかし息子が小学生になり少し行儀がついてそんな手間も減ると、時間が正確に読める電車での
移動が便利になってしまった。最寄りの新越谷駅まで家族3人で自転車で行き、駅ホームに入ると
ちょうどよい具合に準急電車が滑り込んできた。さらに乗り換えの北千住駅ではこれまた
待っていたかのように日比谷線へスムーズに乗車。希にない接続のよい電車を毎年同様に
銀座で降りた。今年は時間に間に合うよう急いでいたため日比谷公園に寄らずに通過、すると
毎年通る祝田橋から皇居外苑へ入るルートは今年は警察により封鎖されていて初めて警視庁前の
桜田門から入城することとなった。幕末初春、雪が降り積もる中で江戸幕府大老・井伊直弼が
水戸藩士に討たれた事件を想像してはその風景を味わいたかったが、いつもより遠回りさせられて
いたので急ぎ足で門を抜けた。警察の検問を受け、二重橋を渡り、お出ましの5分前に
一般参賀会場に到着。会場はすでに黒山の人集りで身の置き場の自由も効かない状態だった。
人の流れに身を任せているうちに少し遠いが幸運にもちょうどお出ましテラスの真正面で
落ち着いた。電車といい到着時間といい場所とりといい偶然の結果だがグッドタイミング&
グッドポジションであった。思い返せば去年はまるっきり逆で、お出まし終了直後に到着して、
次の回まで冷たい風の中1時間半も待たねばならず、寒さに耐えかねて結局次の回を待たずに
皇居のお山を下りてきた結果であったのだ。幸先のよい今年のこのスタートのように
本年は何事もテキパキと片付くように願いたいものだ。
 先日ある識者が人間は総じてこのようないくつかの行事を繰り返す行動をとると言っていた。
決まり事を繰り返すことは円形の時間の流れを作って永遠に物事が回るように望むのだそうだ。
逆に前例のないただ一直線の時間の流れは、ある日突然終わりが来る恐怖心を含むという。
今日と同じ明日、明日と同じ明後日と常に希望のあしたを信じる人間の知恵だろう。

女性はうっとり?魅力的な男たち

 私は目覚めのためにインスタントコーヒーを飲むくらいでコーヒーの違いのわかる男ではない。
ゆえに家でお茶するのが主で、出かけても外でカフェするような柄ではない。
銀座7丁目にある真新しいそのカフェも家族と一緒だったからで、ひとりで銀ブラしていたら
決して入ることはなかったろう。そこはレジで注文と決済をした後に隣の調理カウンターで
飲み物や食べ物を受け取るいわゆるセルフ式のカフェであった。その簡易なサービスのためか、
銀座という場所柄ながらも安いスタンド喫茶に少し毛が生えた程度のお手頃価格でもあった。
さて頼んだコーヒーを受け取ろうと並んでいるがなかなか前の女性客が片付かない。
たかがコーヒー1杯出すのにいつまで待たせるのだと女性の肩越しにカウンターを覗くと、
女性客は若くてなかなかルックスのよい男性店員と会話を楽しんでいた。
この若いツバメ相手じゃ女性客も喜ぶはずだと野暮はせず待つことにした。
ちなみに若いツバメとは明治の女性解放運動家・平塚雷鳥が年下の青年画家と恋に落ちた
スキャンダルに由来するそうだ。しばらく我慢して待っていると、どうやら話の内容は
そそいでいるコーヒーにあるらしい。改めてよくよく覗くと女性が見惚れているのはその店員の
手の先にあった。コーヒーをカップにそそいだ後でコーヒーの表面に立った泡に
ハート形やら木の形やらと棒を器用に動かしては絵を描いているのだった。初めて見たがいわゆる
「バリスタ」と言われるコーヒーのプロの技術である。いい男にこの技量、悔しいがそれこそ
絵になる光景である。女性の会話が弾むのも仕方のないことか。私も泡で絵を書いてほしいなあと
思ったが、小っ恥ずかしくって言い出せず、結局フツーのコーヒーをだまって受け取った。
 そう言えば以前ある百貨店の新春のサービスとして無料で似顔絵を描いてくれるサービスを
やっていて女性たちで賑やかだったのを思い出した。絵描きはどこぞの芸大の学生のようで
なかなかの好青年であり女性受けがよいのも当然だった。私はその様子をしばらく観察していて
女性の心を掴む別なものにも気がついた。それは絵描きの目である。モデルの女性をまっすぐ
見つめてキャンバスと行き交うその眼差しは知性的で瞳に深みがあり輝いていると男なりにも
感じた。平塚雷鳥が恋に落ちたきっかけはきっとそれだろう。

意外な再会

 NHKの夜の番組に「ブラタモリ」という番組がある。東京のあちらこちらを芸能人の
タモリがちょっと変わった目線で探検する番組である。その日は銀座7丁目にある路地を
紹介する内容であった。路地といってもビルとビルの間の猫が通るような隙間の道である。
しかし江戸時代からある立派な生活道路らしい。タモリとNHKの久保田アナウンサーは
大通りからビルの割れ目のような亜空間に分け入る。路地の所々に現れるビルの小窓からは
通りのお店の中や奥の厨房が目と鼻の先に見えるといったふつうなら気まずい具合である。
やがて路地のどん詰まりに自動ドアが現れた。何かの入り口と思われる自動ドアには
小さな書き込みで「通り抜けられます」なる不可解な文字が。意を決したタモリと
久保田アナが自動ドアを開けると‥、そこは喫茶室であった。どこかで見覚えのあるような
雰囲気…そう、その路地は先ほど紹介したカフェの喫茶席に通じていたのだ。私もまさか
テレビであのカフェと再会するとは思わなかった。しかし正確にはカフェに繋がっている
のではなく、路地がカフェの店内を貫いているのだった。入った自動ドアのまっすぐ反対側には
また同じような自動ドアがあり、そこから狭い路地の続きがあるのだ。この店と路地の
特殊な交差は、お店を大きく作るために路地をまたいでビルとビルを繋げた結果だそうで、
地域住民らの強い要望により路地の機能は残されたとの解説であった。店の閉店後は路地の両側に
シャッターが降りてカフェとは分離されて24時間通り抜けができる仕組みでもある。
コーヒーには興味はないが、おかげでまたこのカフェに行ってみたい気になってきた。
ちなみにこの番組の放映後、物見遊山の路地の通行人が増えてカフェは複雑な心境らしい。
 タモリの趣味の終着地は銀座中央通りに平行して走る金春通り(こんぱる)で終わった。
呉服の小売店が目立つこの金春通りは以前このコラムで紹介したが風呂好きの私が訪れた
銭湯・金春湯のあるところで、タモリの趣味とどこか繋がっているようでうれしかった。
普段見慣れた世界でもよくよく虫眼鏡で見るように観察すれば、
異次元への入り口はそこかしこに見つかるのだろう。


■ 執筆後記 ■

 子供の頃からこの異次元への入り口は
探し続けていたと思う。
垣根の下の方にたまたま空いた
枝葉のない隙間の向こう、
家々の間に真っ直ぐ延々と続く
下水溝を抜けたところ、
土手を貫く水のない排水溝を潜った先、
お寺の縁の下の暗がりの中、
背丈より高い葦と蒲の草原の果て。
その先に何を求めるのか?
何を期待するのか?
はっきりとは分からぬまま、
馬鹿みたいに確かめに
足を踏み入れたものだった。
そして今もその残影のかけらを
ビルの谷間や路地裏に見つけると、
どうしてもその先を確認したくなる。
冒険心?好奇心?
いつかアリスのワンダーランドのような世界に
出会えるような気もある。
もしかしたら煉獄の入り口かもしれないが‥。

あまりにも馬鹿げた、子供じみた行為なので
密かに楽しむものと考えていたら、
意外にも多くの人に同じような渇望があるらしい。
最近、こんなところにお店があるの?といった
狭い路地の果てにあるお店が繁盛しているというのだ。
お宝発見!
やっと辿り着いた!
というちょっぴりの探検と発見が
お客の満足度を上げるらしい。
お店側も立地が悪い分、賃料も格安なので
一石二鳥だそうだ。

私もそうだが、判を押したような毎日から
抜け出したい、飛び出したいという気持ちから来る
ひとつの形でもあるのだろう。
その意味では旅はその大きな挑戦でもある。

またこの私のつたないエッセイが
読者諸君にとって異世界の入り口に見えたら
物書き冥利に尽きるというものだ。

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トンネルの向こうに素敵な世界が広がっていることを期待しつつ‥。
(平成26年8月、旧天城トンネルにて嫁と息子を写す)