旅の空色


2011年 4月号


『宮城・福島の思い出』

 平成23年 3月11日(金)14時46分に起きました『東日本大震災』におきまして
亡くなられた方々に謹んでお悔やみを申し上げます。また被災されて家屋や仕事場を始め、
日常の生活を奪われた方々にお見舞いを申し上げます。さらに未だ行方のわからない方々が
一日も早く発見されることを願って止みません。

思い出の地たち

 会社の仕事の関係で4年間宮城県仙台市に住んだ私は気仙沼市にも何度か足を運んだ
ことがある。仙台市より東北自動車道を岩手県の入り口になる一関(いちのせき)まで
走ること約1時間、国道の割には途中細くくねくねとした山道を走ることさらに1時間半、
漁港らしく魚臭い比較的大きな街・気仙沼が現れる。宮城県でありながら岩手県にくい込んだ
ような場所で、岩手県と語ってもおかしくはない。おそらく仙台市よりもっとも遠い宮城の街
ではないだろうか。私がこの地に向かう理由は全くのプライベートでその目的はマグロであった。
気仙沼はフカヒレの生産でも有名だが、同時に近海モノの生マグロの水揚げで日本でも有数の港
なのだ(遠洋漁業の場合は捕ったマグロはすぐに冷凍保存される)。港の岸壁に建つ大きな
市営立体駐車場よりほど近いある有名な寿司屋に毎度か通ったものだった。当初マグロには
興味が薄かった我が嫁はここのマグロを食してより厳しい批評家へと変身してしまったのだった。
我が人生における失敗のひとつでもある。帰りは海沿いの国道45号線をたらたらと走り
南三陸町や石巻市、景勝地・松島、塩竃市を通って仙台市まで3時間超かけてドライブした。
 石巻市よりシダの葉っぱの様な形が特徴の大きな半島・牡鹿半島(おじか)の付け根を
横切ると原子力発電所のある女川市に着く。ここには定期フェリーの船着き場もあって、
牡鹿半島の葉の先に浮かぶ金華山まで参拝客を乗せている。金華山は黄金山神社を祭る島すべてが
聖域の島である。島内には神の使いとされる鹿がたくさん放たれていて名物となっている。
戻って女川に帰着するとたまたま年に1度の女川港の水産祭りに当たって、焼きたての海産物や
できたての地場料理を安価でご馳走してくれた。日本にある大小どの港でもそんな豊漁祈願の
フェアーがあるのだろうが、近所に住んでいないとなかなか気づかないものだ。
旬の魚介類を地元の料理法で土地の磯の香りとともに頂くのは最高の贅沢であった。
 同じく漁港料理と言えば仙台市の中心より南へ走ること20kmにある仙台空港から
さらに10kmほど行った海沿いに鳥の海という天然の内海に恵まれた荒浜の港町がある。
ここでは毎年秋に「はらこめし」なる宮城南部沿岸の郷土料理をなんと無料でご馳走している。
醤油をベースに各家庭オリジナルの調味料を加えて鮭の切り身と一緒にご飯と炊き上げた
炊き込みご飯に醤油付けにしたイクラとしゃきしゃきの菜っ葉を乗せていただく一種の親子丼だ。
タダということで大変な行列の末での配給となるが、先方に余裕があればまた並んだりした
ちゃっかり者の私であった。我が嫁さんは浜の生まれではないが、これを食して以来いろいろと
研究を重ね、「はらこめし」は今では我が家の代表的な家庭料理のひとつとなっている。
宮城の片田舎だと思っていたこの亘理町荒浜やさらに南の山元町も今や仙台市より
仙台東道路という高速道が延びて随分と便利になったものだ。宮城でもっとも温暖なこの地区では
田畑の他にも潮風にやさしく揺れるいちご栽培のビニールハウスも目立った。

 昨年秋に宮城の農家の友人と山形のあつみ温泉に旅行した話を本エッセイで紹介したが、
本年は鉄道旅のマイブームもあり、岩手三陸鉄道を軸に旅行の構想を練る私であった。
岩手三陸鉄道は岩手県沿岸を南北に走るローカル線の総称で、南リアス線と北リアス線、
それらを結ぶ山田線からなる。岩手県最南部沿岸都市の陸前高田市のひとつ上、大船渡市の盛駅より
北上して鉄鋼の街として、また強豪の社会人ラグビー部の本拠地として名を馳せた釜石市までが
南リアス線。そして釜石よりさらに北上して宮古市まで結ぶのが山田線。さらに宮古市より北へ
進んで青森県境の久慈市までが北リアス線となっている。ノコギリの歯にようにわずかな平地と
海に迫る山地が交互に列ぶリアス式海岸の特徴により岩手三陸鉄道の線路の半分以上は
暗いトンネル内を走ると聞く。しかしトンネルの闇を抜けた合間合間に出現する小さな穏やかな
漁村とその向こうに広がる蒼い太平洋の景観が好評で、近年この鉄道旅を絡めたツアーは
盛況であったと聞く。宿はいつかテレビで紹介された北リアス線・田野畑駅から車で10分ほどの
太平洋を間近に望む大露天風呂が自慢の旅館と目星を付けていた。特に早朝、風呂で見られる
日の出の様は比類なき美しさとの評であった。宮古市にも岩手三陸博覧会以来20年ぶりの訪問で
暇をみてはネットで下調べをして、観光と三陸の新鮮な海の幸に期待を膨らませていたのだった。
 仙台より国道4号線を南下し、岩沼市から福島県浜通りへ分岐する国道6号線に分かれて、
浜通り最南部のいわき市まで何度往復しただろう。福島県浜通り全域は私の営業担当エリアで、
3年間、週に1度はいわき市で1〜2泊する出張をしていたので、目を閉じれば今でもありありと
その景色は瞼の裏に蘇ってくる。岩沼より亘理町・山元町と宮城南部沿岸の町を抜け、
福島県への門たる小さな町・新地町をあっさりと通過し、野馬追い祭りで有名な相馬市に至る。
また小さな町・鹿島町を抜けると次は原ノ町市である。その次にある小高町と原ノ町市、鹿島町は
平成の市町村大合併により今では南相馬市と呼ぶそうだ。さらに南下すると秋鮭の遡上川として
有名な請戸川が流れる浪江町に至る。続いて双葉町・大熊町と走ってやがて富岡町に着く。
現在常磐高速道は埼玉県三郷市からここ富岡まで延びている。いずれさらに北に延びて、
宮城・山元町まである仙台東道路と合流し1本の高速道路となる予定である。富岡をひとつ
南下すると楢葉町である。ここにはJビレッジという広大なサッカー練習場があり、
サッカー日本代表や将来を担うサッカー少年の合宿所として有名である。火力発電所の大きな
1本煙突が目につく広野町を抜けるといよいよ福島県浜通り最大の街・いわき市へ入る。幾つかの
トンネルを抜けるといわき市久ノ浜地区の美しい海が目に飛び込んでくる。ここらへんから
数キロの間が海沿いの道らしいシーサイドロードだ。実は国号6号線はこの区間を除いてほとんどが
ゆらりくらりと小山の谷地を抜ける山道なのだ。仙台よりいわき市の中心街・平(たいら)まで
約160km、いわき市南端・茨城県境のいわき市勿来(なこそ)まで約200km、
平成の大合併前はいわき市が日本で一番広い面積を持つ市であった。

 3月11日の大震災以来、私の知っているこれら市や町の世界は一変してしまった。
福島第一原子力発電所は双葉町と大熊町の境に、第二原発は富岡町と楢葉町の境の海沿いにある。
今それらの町を始め近辺広い範囲で立ち入り禁止の行政命令が出されている。岩手三陸や
宮城沿岸の大きな街や小さな漁村はがれきの山と化してしまった。岩手三陸鉄道も海沿いの線路の
破損がひどく存続すら危ぶまれている。何よりも多くに命が奪われて、行方不明者はそれ以上の
数に上っている。時に忙しく、時に退屈で、腹を立てたり、悩んだり、共に喜んだりする
あの平凡な日常を今ほどありがたく、そして渇望したことはないだろう。


■ 執筆後記 ■

 学校を卒業し、社会人になって
転勤で4年間過ごした宮城県には
格別の思いがある。
3週間ほどの新入社員研修後、
辞令という紙切れ一枚でその日のうちに飛ばされて、
当初はとんだ田舎に来たものだとも思ったが、
もともとどんな水にも馴染むのか、
住めば都と言うものでもあるし、
学生時代に一人暮らしした経験も相まって、
東京圏よりはちょっぴり時間の流れのゆるやかな
宮城での生活がやがて肌に合うようになってしまった。
また嫁さんと出会ったことや、
その結果、仙台に第二のふるさとたる嫁の実家が出来たことが、
宮城との縁をますます深めることとなった。

今の商売でも宮城との縁は深い。
お米の商いを始めた頃、
仕入れ先の開拓にと農家の集まりでたまたま出会ったのが
勤め人時代に私が最初に担当した営業エリアの農家で、
地理や風土に明るいことが助けとなって、
商談が進み易かったのだった。
またずっと昔、我が家の隣の社宅に住んでいて
親しく交流していた友人Kもそれら農家と同じ町にいて、
帰郷以来、年賀状程度の付き合いだった友人Kと
およそ20年の時を経て、
ふたたび親しく交流する機会を得たのだった。
私が小学生の頃に遊んでくれた、
また忙しい両親の代わりにお風呂に入れてくれた友人Kが、
今また小学生の我が息子の遊び相手をしてくれる姿には
万感の思いが込み上げてくるものがある。
そしてさらに幸運なことには
この町には新幹線の駅があり、
仕入れ先および友人ともに皆、
自転車で回れる地の利を得ていた。
(もっとも地元の人は足にタイヤが生えたような
自動車が移動手段で、自転車でうろうろしているのは
学生か就労外国人しかいないそうだ)。

そんなこんなで会社勤めで4年、
お米の仕入れで20年の合計24年(2014年現在)、
埼玉と宮城を毎年行ったり来たりしている私である。
さらに近年、息子との父子旅も
宮城を軸として計画そして実行しているのだ。

2008年9月、青葉城本丸より仙台市街を望む。
手前の木々の間に横たわるのが、仙台を代表する河川・広瀬川(ひろせがわ)。
青葉城は天守閣こそないが、戦国の雄・伊達政宗が建て、伊達家代々の居城であり、
明治維新後は東北地域の陸軍師団本部(東北鎮台・ちんだい)が置かれた
東北を代表する堅固な要塞城である。
山頂の本丸部には、伊達政宗像を始め、宮城県護国神社(戦没者慰霊神社)、
城の資料館、江戸期の仙台町割図床、物産店、食堂などが充実していて、
仙台を訪れたらまず観光すべき場所であろう。
何と言っても仙台市街を見下ろす眺めは絶景である。

写真の中央やや右にあるのっぽビルが
「住友生命仙台中央ビル」、通称「エスエスサーティ(SS30)」といわれる
仙台を代表する高層ビルである。
28〜30階の高層階は一般に開放されていて、飲食店が建ち並び、
ここからの景色も街を見下ろす素晴らしい眺めとなっている。
特に28階の広場は開放感ある広い空間で、
とりわけ夜は美しい夜景スポットとしてカップルに人気の場所である。
ちなみに他の階層はオフィスエリアとなっている。

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