旅の空色


2012年12月号




七つの雪

 最近、私の頭の中ではある演歌のサビの部分が繰り返し流れている。
その歌とは新沼謙治のヒット曲のひとつ「津軽恋女」という歌だ。
「降り積もる雪、雪、雪また雪よ〜♪津軽には七つの雪が降る〜とか〜♪
こな雪、つぶ雪、わた雪、ざらめ雪〜♪みず雪、かた雪、春待つこおり雪〜♪」
といった具合だ。なぜこの昭和の歌がマイブームとなっているのか?
それは年明けの2月、私は冬の青森を目指す決意だからである。

 スキーでもするならともかく、いくら旅好きな私でも敢えて厳寒の雪国を旅するなど
今まで考えたこともなかった。アザラシ並の脂肪体がある私とはいえ、生来寒さは苦手で
どちらかと言えば猛暑でも夏の方が過ごし易い。体を固く丸めて寒さをしのぐよりは、
太陽のさんさんと輝く南の島でのんびりと体を伸ばすバカンスに憧れる方である。
そんな私がなぜ極寒のいかにも観光に適さない時期に雪国を目指すような一大決心を
したのか?それはいままでよくあるパターンで、ある旅番組を見たからであった。
まあ自分でも少々呆れることだが、私は基本とても単純な男なのだ。
 その番組によると冬のある時期に限り青森県五所川原市の金木(かなぎ)なる地区で
「地吹雪体験ツアー」なるものを開催しているという。地吹雪(じふぶき)とは
降り積もった雪が強風で舞い上げられ雪の砂嵐のような状態になることを言うらしい。
地元・金木では極ありふれた自然現象らしいが、それを観光名物として売り出してみた
ところ、これが都会から来る観光客に大ウケで盛況だという。観光客の中には
吹雪の中に自然の雄叫びを聞いたなどとまこと不可思議な体験を語る者まで出てきて
地元の主催者側でも驚くような反応だという。地吹雪は私にはどんな素敵な体験を
プレゼントしてくれるのか?七つあるという津軽の雪のいくつを確認することができるのか?
頭の中で繰り返される新沼謙治の演歌に乗って期待は膨らむばかりの呑気な私なのだ。
(ちなみに地元の人に言わせれば地吹雪などは生活者にとって無用の長物の限りで
ない方が暮らし易いという。よそ者と地元生活者のその温度差も面白い限りだ)。

出会いの重なり

 そんな夢うつつのうつけた日々を送る中で私はいくつもの素敵な出会いに恵まれた。
私のこのつたないエッセイを毎度楽しみにしているというお客様からふたりの大作家の
古い全集を譲り受けたのだが、その一人が太宰治だったのである。
青森の風土には疎い私だが、五所川原の金木と言えば何と言っても太宰治の生誕地であり、
彼の生家は現在「斜陽館」として観光名所になっていることくらいは知っていた。
ただ正直、太宰にはよい印象がなかった。私が初めて太宰を知ったのは、あるコミック雑誌の
4コマ漫画で、毎度最後のオチは入水自殺するというものだった。実際彼は青年期より
自殺願望があり、最後は玉川上水で家庭がある身ながらも愛人と入水自殺を完遂している。
太宰には危険な死の臭いがするのだ。

 岩手・花巻の旅行準備をした時はあんなに宮沢賢治について調べたのに
太宰についてはそんな思いがあり真逆の態度であった。しかし譲ってくれたお客様の
気持ちもあり、遠目に全集の目次を眺めていると中に気になる題名を見つけた。
それは「津軽」という二文字であった。小説の始めにページを移すと書き出しの文字が
私のふたつの目を一気に通り抜けて、頭の中を巡る符号とあっ!と共鳴した。
「津軽の雪 こな雪 つぶ雪 わた雪 みず雪 かた雪 ざらめ雪 こおり雪」
小説は東奥年間という書物より抜粋したという津軽に降る雪の紹介から始まっていた。
私はそのまま小説「津軽」を一気に読んでしまった。

 そんな小説「津軽」との出会いから後日、今度はたまたま深夜のテレビ番組で
その「津軽」の演劇に出会った。太宰の生誕地・金木では毎年太宰の作品を基にした
創作演劇が公演されているそうで、偶然にも「津軽」の回の紹介であったのだ。
主演の村田雄浩(むらた・たけひろ。太宰治役。渡る世間は鬼ばかりではラーメン屋・
幸楽の娘婿役)と助演の女優・川上麻衣子を中心に、あとは地元の老若男女で固めた
アットホームな劇団ながらも内容は本格的なもので、小説での予習もあり見入ってしまった。
とりわけ小説でも有名な箇所だが、津軽人による最高の接待なる場面が熱演だった。
ホストがお客や家族をまくし立てるようにもてなす迫力ある長台詞である。
今やその箇所は私の数少ないお気に入りの朗読文にもなっている。一度下手な演技を交えて
嫁と息子に披露したが、慌ただしい接待の様と独り善がりな長台詞にふたりは呆れ、
台詞が終わらないうちにもういいよと言われてしまった。
 さらにまたまた深夜番組で今度は太宰の代表作「斜陽」にまつわる特集に出会った。
斜陽の主人公のモデルは実在の女性、太田静子という人で、太宰の愛人のひとりであった
ことにも驚いたが、ふたりの間には落とし子がいて、太宰が認知証を一筆したためた
その女の子は今は小説家であるというから二重の驚きであった。さらにその女流作家・
太田治子なる女性について調べると、なんと学んだ分野こそ違え私の学校の先輩ではないか。
ここまでの私における太宰治の急進的な台頭はただの偶然の流れであろうが、
なんとなく地吹雪で繋がった青森との糸はやがて必然とも因縁とも思えるような
太い縄となって私をぐいぐいと青森へ、津軽へと引っ張るのだった。

ふたつの津軽

 私は今回の青森への旅を二部構成で計画している。最初は「冬の青森」を体感する
旅である。地吹雪を始め、大雪と極寒の北国で人々がどのような営みをしているのか
少しでも触れようとする試みだ。そして次は「夏の青森」である。こちらは太宰治の
紀行文ともみえる小説「津軽」を頼りに津軽半島を巡る旅を思い描いている。
青森市から陸奥湾沿いに蟹田、今別と北上し、竜飛岬の陸が海に落ち込む様を見た後、
日本海側を小泊、十三湖と訪ねながら再び金木を訪問し、稲穂が揺れる夏の津軽平野を
眺望する旅だ。この旅では研究書の助けを借りながら、才能豊かな太宰治が
なぜ死に急いだのかも考察したい。そして何よりもこのふたつの旅には我が子・錬も
連れて行くつもりだ。親子ふたりの旅でもある。まあなんだかんだとうまいこと言って
出掛ける口実がほしいのも本音である。


■ 執筆後記 ■

 翌年の平成25年2月、
計画通り「冬津軽」は実行された。
しかし平成26年9月時点、
「夏津軽」は計画すらも立っていない。
私のことなので行きたい気持ちは胸一杯にあるのだが、
少し仕事が増えて、盆と正月以外に
三日出掛けるのは難しくなってしまった。
「夏津軽」は太宰治の忠告通り、
いっぺんに花々が開花する
津軽では一番よい時期とされる
6月を目標としているからなおさら難しい。
今の時代、仕事があるのは有り難い限りであるが、
同時に人生の折り返し点を過ぎた今、
ゆるゆると坂を下って行きたいものでもある。
ぼちぼち働いて、ぼちぼち出掛ける、
凡人の私には「ぼちぼち」が理想だ。

行けない分、私は妄想が強くなる。
青森の地図を眺めては、いろいろと下調べをして
計画を練り、現地での旅を夢想している。
下北半島の寒立馬(かんだちめ)をなでたいし、
もちろん大間のマグロも食べてみたいし、
恐山(おそれざん)も訪れてみたい。
陸奥湾フェリーで蟹田へ渡り、
太宰みたいにカニを食べたいし、
石川さゆりの「津軽海峡冬景色」を聞きながら
竜飛岬も見てみたい。
小泊(こどまり)では太宰とタケの銅像の前で
記念撮影を撮りたいし、
十三湖(じゅうさんこ)でシジミ汁を食べて、
もう一度ゆっくり金木の「斜陽館」を見学したい。
五所川原の駅前の食堂も覗きたいし、
海に張り付いたような鰺ヶ沢の町も散策したい。
千畳敷海岸に在りし日の太宰の家族が磯遊びする様を想像し、
不老不死温泉でちょっぴり寿命を延ばして、
白神山地を歩いて魂を洗いたい。
弘前の八百屋でたくさん種類のあるりんごを眺め、
洒落たカフェでコーヒーを楽しみ、
夜は鍛治町(かじまち)で遊んでみたい。
大鰐温泉(おおわに)、酸ヶ湯温泉(すかゆ)、
そして太宰の言うところのちょいと気取った
浅虫温泉(あさむし)と湯を巡りたい。
掘り起こせばまだまだ出てきそうだが、
とりあえずはこれらが青森でしたい
私のささやかな希望である。
ちょっと欲張りかな?

青森と言えばいの一番に思い当たるのが
青森市の「ねぶた」、弘前市の「ねぷた」のお祭りであろうか。
青森も弘前も見てみたいが、
私の「冬津軽」の旅で、もっとも見てみたくなったのが、
五所川原市の「たちねぷた」である。
(たち=「立」に”ね”はにんべんに二のかんむりに女、あとは武に多と
漢字を並べて「たちねぷた」と読む)
1996年に復活した新装のお祭りで、
20mを超える縦型の山車「たちねぷた」が数基
町中を闊歩し、交差点で会合するという
迫力のお祭りである。
その姿はまるでゴジラ映画の如し。
(実際に見たことはないが、資料映像より妄想)
五所川原を訪れたならば、その山車が常時展示されている
『たちねぷたの館』を訪れるべし!である。

4階建ての『たちねぷたの館』の吹き抜けに展示されている
高さ22mの「たちねぷた」。向かい合うように2基ある。
写真ではその迫力は伝わりにくいなあ。
建物の一角が巨大な秘密扉になっていて、
まるで基地から巨大ロボットが出撃するような感じでお祭りに繰り出す。
その様もぜひ自らの目で見てみたいものだ。

おまけ。冬の津軽でソフトクリームを食べている息子・錬。
この時の旅は暖を確保するため、終始スキーウエア−で臨んだ。
靴も滑り止めの歯の付いた雪用長靴という念の入れようだった。

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