旅の空色


2012年 9月号




ドリフ旅館

 「ごめんくださ〜い」大きく叫んだその声は深く奥へと続く廊下に
ただただ吸い込まれてゆくだけだった。何度叫んでも誰も出てこなかった。
この旅館の建物のように主もだいぶくたびれて耳が遠いのだろうか?
フロント横の呼び鈴代わりに吊してある風鈴の高い音色も全く役には立たなかった。
昔ながらの高い段差の玄関を上がり、少々年季の入ったスリッパを履いたところで
私たちは行き詰まってしまった。友人とふたり、日帰り温泉に立ち寄っただけなので
そのまま帰ってもよかった。しかしある温泉マニアのホームページでこの旅館の温泉は
五つ星との最高評価であったので、諦めきれない気持ちの方が強かった。
このままではラチが明かない。意を決した私は不作法とは思いつつも、黒光りする
木造の廊下に歩を進めた。すぐにフロント裏手に大きな台所を見つけ、入り口ののれんに
首を突っ込んで中を伺うがやはり誰もいなかった。もしかしたら何らかの事情で
そこら辺に誰か倒れてたりして‥などと思ったが、どうやら要らぬ心配の様子だった。
さらに廊下を進むとちょっとした広間に出た。そこから廊下はまた三方に分かれている。
温かい食べ物を売る特殊な形の自販機があり、茶色く変色した故障中の札が貼られていて
この旅館の実情を説明しているように感じた。もしかしたらこの旅館はすでに止めていて
私たちは廃屋に迷い込んでいるのかもしれないと思った。ただビールの自販機はわずかに
音を立てて動いていて、まだ旅館に息があるようにも思える。もうここらが潮時かもと
考えつつも、どんな形にせよ五つ星の温泉の今を確認したい好奇心も捨てきれず、
結局もう少しだけ行って見ようと一番明るめの中庭に面した右の廊下を選んだ。
ぎしぎしとなる板張りの廊下の音が妙に響いて、気持ちそろりと足を運ぶようになった。
やがてまた二股に行き当たった。一方は奥で曲がり、もう一方はずっと奥でどん詰まりで
その間にたくさんの木のドアが並んでいた。昔の古いアパートを思わせるドアの並びで
いくつかは半開きになっている。ドアの間合いからすれば見ないでも部屋の広さは独房並と
知れた。いったいこの旅館はどんな作りになっているのか?なんのためにこんな小部屋も
用意されているのか?そしてここがこの旅館探索の限界と諦めをつけた。
最後の挨拶も込めてふたたび「ごめんください」と声を掛けた。すると…
木戸の一枚がギイギイ音を立てて静かに開き始めたのだった。
 髪がぼさぼさのだらしのない浴衣姿の男が現れた。予想外の風体の出現に私はたじろぎつつ
「温泉に入りたいんです」とやっと告げた。男は私の不作法な訪問に気を止めることなく
ぼつりと「そうですか」とつぶやいて、私が今まで来た廊下を先導して歩き出した。
黙って男に続きながらその背に考えを巡らしていた。この男はなんなのか?
旅館の家族のひとりだろうか?それとも常連の泊まり客だろうか?いやもしかしたら
不法にここに住み着いているとか?見ると男の浴衣のおしりはこすれてだいぶ色が
落ちているので、ずっとその浴衣を愛着しているらしく、男の謎をさらに深めるのだった。
男は小さなフロントに躊躇なく入ると、慣れない手付きで帳面を開いて入浴料を告げた。
こんな得たいの知れない男にお金を渡していいものか少し迷ったが、捨てるつもりで
言われた金額を渡した。男は温泉の場所を教えてくれた。
さっきの広間を左に行けばお目当ての温泉だった。
 広間を左に進むとまた二股に分かれた。まるでうなぎの寝床のような
迷路のような作りの旅館だった。温泉への案内標があったので左へ深く階段を下ると
温泉の脱衣所に着いた。綺麗とは言い難い古びた脱衣所であった。私は服を脱ぎながら
今までのいきさつを思い出すと思わず吹き出してしまった。「まるでドリフに出てくる
ようなオバケ旅館だ」と。友人も苦笑しながらうなずいていた。

もしかして名旅館?

 温泉も今までのいきさつに負けず劣らずかなり個性的な雰囲気であった。
湯は黒ずんで強い匂いを放っていた。コールタールの匂いだ。おそらく地中の石炭層を
通って湯が噴出していると想像した。足先をちょこっと湯に浸けてみるとかなり熱い。
ここに入るのか?としばらく友人と湯船を眺めているとその隣に長方形の別の湯船を
見つけた。こちらは少し匂いはあるが、無色透明でぬるめの湯であった。友人はさっさと
そこへ逃げ込んだ。私は‥やっと思い焦がれた湯に会えたのだと自分自身を説得して‥
ままよと体を湯に滑り込ませた。最初は熱さを感じたが、慣れると長湯できる温度であった。
手で湯をすくってみると色は見えない。深い湯船で見ると黒色が浮き上がってくる
ようだった。後で知ったが長方形のぬるめの湯船は宿が子供用に用意したプール風呂だ
そうで、作った当時としては画期的な家族サービスだったに違いない。よくよく浴場を
眺めると天井は高く、手間の掛かったがっしりとしたコンクリート作りで、往時としては
最新のお風呂だったことが偲ばれた。この旅館には他にも2つ浴場があり、帰り際に
見学だけしてきた。ひとつは無色透明な熱湯、もうひとつは炭酸が溶け込んでぷつぷつと
泡を出す変わり湯であった。旅館にある4つの湯船はそれぞれ違う源泉から来ているそうで、
この旅館の湯におけるこだわりの深さを知った。旅館は古いが思い改めて眺めて見ると
そこかしこに手の込んだ洒落た造りが見える。ふた昔前は誉れ高い名旅館だったのかも
しれない。そんなことを考え始めると、物好きな私は一度ここに泊まってみたくもなった。
友人にそのことを告げるとびっくり企画ならいいかもとの乗り気でない返事だった。
家族で訪れるプランを想像するが ‥笑って頭を横に振った。嫁もそして息子も来るなり
きっと怒り出すだろう。まずトイレと洗面所が共用であることが許せないに違いない。
昨今、公共の宿でも改装が進み、各部屋に清潔なトイレや洒落た洗面所が付いているものだ。
加えてあの個性豊かな温泉では温泉旅館に来ても嫁は入らずに宿を後にすること間違いなし
と想像した。かと言って一人旅好きの私でもひとりで寝るには夜怖すぎる旅館でもある。

 今回おもしろく紹介した古い旅館が閑散としている理由は、建物の老朽化や近年の
旅行環境への不適応に加えてもうひとつ大きな理由があると思われる。
それは東日本大震災だ。大震災以後、東北の温泉地の大部分は観光客が激減しているのだ。
それでも大きな旅館なら旅行会社とタッグを組んでいろいろ企画できようが、
個人経営の小旅館となるとそうはいかないだろう。実際日帰り温泉目当てにあっちこっち
回って見ると最近廃業したと思われる小旅館をいくつか見かけた。揺れや大津波の被害こそ
ないものの、大震災の余波は様々な形で被災地を苦しめている現実であろう。
やっぱり一度肝試しに泊まってみようかと悩んでいる私である。


■ 執筆後記 ■

 平成26年夏の家族旅行では
熱海の「起雲閣(きうんかく)」を見学してきた。
1999年まで営業していた
熱海を代表する歴史ある高級旅館で、
現在その歴史的価値から
熱海市が保存し、観光施設として
一般公開されている建物だ。
旅を愛し、その延長線上で
名だたる日本旅館にも興味のある
私としては、そのような謂われある施設は
旅先で必ず訪れてはいるが、
その動機以上にこの『起雲閣』には
私を惹きつける理由があった。 
それはあの太宰治が彼の文学人生の集大成たる
あの『人間失格』の第一の手記までを
書き上げた旅館だからであった。

歴史ある旅館においては
文人ゆかりの宿などともよく聞き、
その執筆に専念するための静かな環境や、
趣きある日本家屋にも興味をそそられるが、
私が一番知りたいのは、
実は当時出された料理であった。
しかしその資料を展示する施設は
残念ながら見たためしがない。
現在の高級旅館ならば、
素材と技を駆使した料理が、
最高の状態とタイミングで運ばれ、
しかも饗応として食べきれないくらい
出されるものであろうが、
おそらく当時はそこまでの贅沢は
なかったものと推察している。
とりわけ連泊している文人にとって、
たいした運動をしているわけでもないのに
毎日饗応料理に舌鼓を打っていては、
ただただ豚になるだけであろう。

太宰の起雲閣の投宿においては
他の文人と違ってもうひとつ興味をそそられる事実がある。
あの山崎富江と過ごしたのである。
一応秘書とのことわりではあったが、
愛人であることは関係者の間では
周知の事実で、太宰と富江においても
新婚旅行のようなものだったそうだ。
なんと大胆かつ破廉恥なことか。
富江の日誌によれば、
太宰が吐血に苦しむ夜があったり、
また作法で太宰にひどく叱られたりと、
いろいろと心を砕くこともあったようだが、
太宰を独り占めできたこの投宿は
一番の幸せな時でもあったであろう。

ちなみに富江の日誌には
旅館の料理のことにも触れていて
熱海沖で取れた新鮮な魚盛りが出たとある。
酒の大好きな太宰は、
毎晩時期の魚を舌で楽しみつつ、
美味い酒に酔いしれたようだ。

最初に紹介したように太宰の起雲閣の投宿は
「人間失格」の第一の手記を脱稿したところ、
およそ1ヶ月で終わっている。
当初「人間失格」の執筆にあたり
出版社が社費でこの高級旅館を太宰に提供したのだが、
宿代よりも太宰の晩酌代の方がかさんで、
社の経理から苦情が出て、
執筆場所の変更となったのだった。
太宰らしいエピソードである。

また太宰が投宿したのは
現在残る『起雲閣』ではなく、
もう少し高台にあった『起雲閣別館』だそうだ。
残念ながらその建物はもうないとの話だった。

おまけに現役最後の頃の『起雲閣』の宿代は
中庭を一番の眺望で望む母屋の一番大きな和室で
おひとり様4万円台との話だった。
あの竹下景子も新婚旅行で起雲閣に泊まったそうだから、
往時は当代一の名旅館だった。

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『起雲閣』庭園にて。正妻と実子?・錬。
ふたりの後ろが母屋で、1階と2階に大部屋がある。
右手の建物には有名なテラス式の洋間がある。

ドラマや映画で「金持ちの居間」として使われるテラス式洋間。

太宰治や三島由紀夫など、ゆかりの文人が展示されている。

我が家の居間と言うつもりで撮ったが‥、服装が追いつかなかった。

太宰治が投宿した『起雲閣別館』を偲ぶ写真。別館は洋風造りの外観であった。