旅の空色
2012年 7月号
正直、私は乗り気ではなかった。日帰りとはいえせっかく緑豊かな避暑地に来たのだから
私としては本当は温泉や自然路散策を楽しみたかった。しかしたまにしか休みの合わない
息子・れんの強い希望とあって仕方なく付き合ったという感じだった。「ヒーローショー」
それにつられてわざわざその地方の遊園地へ息子とふたり足を伸ばしたのだった。
確かに昔、私もこの手のヒーローものに憧れたものだ。そんな気持ちは世代を超えて
今も定型として脈々と受け継がれるらしい。いつもはテレビ画面を通して見守っている
そのヒーローを間近に見れるとあって息子は大はしゃぎであった。しかしその側で
私は大人の冷めた目でそのショーを眺めていた。
そのような目で眺めているとこのいわゆるヒーローショーのストーリーにはひとつの
決まった形があることが覗えた。最初に悪人グループが登場し、自らの悪行をアピールした
挙げ句、ショー会場を闊歩して子供達を困らせにかかる。そこで進行役の人の合図で
子供達が声を合わせてヒーローを呼び、お待ちかねのヒーロー登場となる。
悪者達はヒーローに軽く一蹴されて早々に退散。しかしそう簡単に引き下がる悪者ではない。
強いボスキャラを呼んで反撃に転ずる。するとたちまちヒーローが大ピンチに。
だがここでまた進行役が子供達の声を合わせて大きな声援でヒーローを応援する。
子供達の声援に答える形でヒーローは立ち直り、必殺技でボスキャラを一撃で倒して
大団円となる。
ところでこれらヒーローショーの広告での売り文句はテレビCMでもポスターでも
「僕に会いに来て。そして僕と握手」である。ヒーローショーの後に握手会と記念撮影が
あるわけだ。今回もショーが終わると早速にその案内のアナウンスが流れ始めた。
「これから握手会を行います。ステージ前にお並びください。なおクリアケースもしくは
カレンダーをご購入の方が対象です」。「え!?結局お金取るのかよ」と私は唖然とした。
それら商品代金にはどう見ても握手料金が上乗せされているのだ。アホらしくなった私は
握手をしたいという息子をなだめ、手を引いて会場の出口に向かった。
すると出口付近にはいつの間にかヒーローのキャラクターグッズの売り場が‥。
その昔、戦国大名の織田信長は騎馬武者で有名な武田の軍を単発鉄砲に三段撃ちさせることで
破ったというが、用意周到なヒーローショーの仕掛けにそんな光景が頭をよぎった。
だが私の意思は堅かった。タダでさえテレビ放映の合間のCMのせいでヒーローの携帯する
ベルトや武器を買わされている。勧善懲悪のテレビ番組が主なのか、商品販売が主なのか
わからない昨今のヒーローものである。だめ押しにこんな片田舎で中途半端なグッズまで
買わされるいわれはないと憤った。せめてグッズを買ってくれと訴えてしゃがみ込む息子を
引きずってやっと会場を後にしたのだった。
しかしその後私には少し後悔の念も生まれた。ショーそのものは遊園地の余興とあって
無料だった。出演者たちにはそれなりの出演料はあるはずだと思う。しかし握手会や
グッズを売ることが熱い日差し中で子供達のために仕事をした彼らの大事な主収入だった
のではとも想像したのだった。そう考えると数百円のクリアーファイルのひとつでも
お付き合いしてあげるべきだったかもしれないと心に残るのである。
その名は『イーガー』
前半では子供達に大人気のヒーローを紹介したが、後半は最近出会った私にとって
最高にカッコいいヒーローを紹介しよう。その名は『イーガー』。いわゆるご当地キャラで
数年前より宮城県女川町の町興しを応援するヒーローである。
仙台市より北東へ走ることおよそ30kmに石巻市がある。私の目にはこの街の中心は
大型店舗が建ち並び、以前と変わらぬ賑わいに見えた。しかしやがて海に近づくと状況は
一変する。一階部分が津波にぶち抜かれたと明らかに分かる家がぽつりぽつりと現れる。
一階を封鎖しそのまま住み続けている家もあれば、きれいに直したり建て替えたり
事情は様々だ。さらに国道398号線を進むと海沿いにも関わらず昔ながらの立派な家が
以前と変わらないだろう姿で建ち並ぶ。ここら辺りは万石浦という天然の入り江になって
いて、津波の被害は軽微だったようだ。ここより牡鹿半島の付け根の峠を越えると
いよいよ女川町となる。峠を登り、そして下ると四角い大きなコンクリートの石畳の段々が
海まで続いていた。それは津波に襲われ残った家の基礎部分だった。町の中心部へ
下って行き、周りを一望するとそれら基礎部分の段々しか町には残されていなかった。
大震災から1年4ヶ月、女川町には家の一軒も建っていなかった。
道を左折し、すり鉢状に傾斜になった坂を山手へと登って行く。典型的なリアス式の
海岸地であることがわかる。奥が細くなっている分、津波は奥へ行くほど寄り集まって
坂を高く登ったに違いない。そこよりほんの少し山地に入ったさらなる高台に
今回の目的地である女川運動公園があった。その日ここで地元を勇気づけるイベント
「我歴STOCK奮闘編2012」が開催されていた。
やはりこの地を訪れるべきかどうか私は悩んだ。被災された方々の心情と苦境を考えれば
とても物見遊山で行けるようなところでなはい。だが昨年に続き今年も行った息子との
二人旅において敢えて現実を直視するためにこの地を訪れた。イベントで何か現地の役に
立てことがあるかもしれないとも思った。そのイベント会場でたまたま観覧できたのが
女川町のヒーロー『イーガー』のショーであった。
小さな町の手作りのヒーローとは言え、着ぐるみは有名ヒーローに引けを取らない立派な
ものである。敵キャラのクララーゲや子分達もちゃんとした作りで、舞台でのストーリーは
先に紹介したお決まりのパターンに地元ばりばりの方言や名物品や馴染みの店を絡めての
地元ならではのもので、アットホームな雰囲気の中、私も息子も夢中になって見入った。
さっき見てきた港の惨状が嘘のような楽しさいっぱいのショーであった。
イーガーも悪人も舞台の人はみんな格好良かった。しかしショーの参加者や観覧者の多くは
家族や家を失った被災者でもある。結局私が女川町に貢献できたのは地元の産品を
買うことと、イベントの参加人数をわずかに増やしたことだけで、逆に『イーガー』から
元気と勇気をもらって、受け取ったものの方が多かったようだ。
町の一角には未だに大量のがれきが山を作っていた。帰り道では所々猫の額ほどの平地に
仮設住宅の集落が現れ、生活の不便さを物語っていた。津波のリスクはあるが元の港に
また町を再建できないかと思った。そしてもし来年もイーガーに会える機会があれば、
ぜひ訪れたいとも思った。復興への芽が見れることを期待して。
■ 執筆後記 ■
2012年7月15日『GAREKI(我歴)stock in 女川〜奮闘編〜』会場にて。
舞台上が女川のご当地ヒーロー「イーガー」。手前が悪の子分たち。
「イーガー」の名の由来は「いいが、お前ら」という方言からきてるとか。
女川町の高台にある運動公園で行われたこのイベントは
時折雨の降る天候にも関わらずなかなかの盛況だった。
会場側には3階建ての仮設住宅が何棟も建っていて心が痛み、
まともに目を向けられなかったのが正直な感想だった。
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