旅の空色
2012年 4月号
そこはどぼんとした真っ黒な底の見えない穴が開いている不気味な眺めだという。
ここら北半球では確認できないが、南十字星のすぐ近くにあるそれは天体にミルクを流した
ような天の川の星々の煌めきの中にあって、明らかに目立つぽっかりと黒く塗りつぶされた
空間で、人類の有史以前より確認されて、通称・コールサック、石炭袋と呼ばれてきた
暗黒星雲だそうだ。車窓からそれを間近に見たジョバンニは旅の友のカムパネルラに
語りかける。”僕はもうあんな闇だって恐くない。君と一緒なら”と。
銀河鉄道で銀河を旅してきた二人の少年の終点を目前にした最後のシーンである。
こんな心強い言葉をくれる友人は最高の旅友であろう。
最近毎日少しずつだが息子・錬くん(れん。小学4年生。9才)と朗読会を開いている。
読んでいる本は宮沢賢治作の『銀河鉄道の夜』である。古い文庫本を納戸より
引っ張り出してきたので旧漢字も多く、錬くんにはちょっと難しい文体だ。
しかしそこは私が寄り添ってフォローする形でちょっとずつ根気強く息子に読ませている。
朗読会の目的はやはり本に触れさせ慣れさせること。どこも同じかもしれないが、
よっぽどの本好きの子供でない限り図書室から借りてくる本は絵の多いものばかりで、
想像力を駆使した読本のすばらしさをちょっとでも感じてほしい親心がある。
だが最大の目的は宮沢賢治の世界を知ることにある。実は今年も去年に引き続き
息子とのふたり旅を計画していて、できれば岩手県で宮沢賢治の足跡を辿る旅をしたいと
考えているのだ。去年の旅行では息子に自然に包まれた世界とそこに住む人々の生活を
体感させるのが主目的であった。今年もそのメインテーマは変わらないが、加えて
子供も親しみやすい童話作家たる宮沢賢治が生きた現実の世界と小説の世界の両方に
触れる機会を持たせたいともよくばって考えたのだった。
いやこの試みは息子のためばかりではない。以前このエッセイでも紹介したが、
私自身も数年前に宮沢賢治の世界に触れようと彼の郷里、岩手県花巻市を訪れたことがある。
その初めてのひとり旅の時は、少しでも賢治の世界に近づこうと専門書を数冊読み込んで
花巻に乗り込んだ。そして確かにある程度の感触を得ては帰ってきた。
だがその後時折、賢治の世界の紹介に会う度にまた新たなる賢治の世界の側面が現れて
同時に自分の未熟さを自覚するのであった。その未熟さの象徴が『銀河鉄道の夜』だと
言えるだろう。この小説を初めて読んだ時、何が何だかさっぱりわからなかった。
アニメ化された作品も見たが、さらに難解なものとなった。
鉄道で銀河を旅するという設定は後に松本零士の漫画「銀河鉄道999」に取り込まれた
ようにかなり斬新な発想であった。ふたりの少年が銀河鉄道で銀河を旅して
風変わりな人々と出会い、最後はひとりの少年の現実の死で幕を閉じる大筋もわかる。
だが作品を通した作者の主張がいまひとつわからず、前回の旅行では宿題として漬け込んだ
ままだったのだ。しかし一部未完ながらもこの『銀河鉄道の夜』が作家・宮沢賢治としての
人生の集大成であることは多くが認めるところだろう。そして本年このやり残した宿題を
息子とともに紐解き一段落を付けたい私でもあるのだ。
旅友育成計画
以前にも話したかもしれないが、私の個人的な旅行では大きな目標を必要とする。
それがある史跡や城跡の探索であったり、人物の足跡であったり、曰わくある乗り物や
景勝地であったりと、まあほとんどは好きな歴史から派生した対象であるが、
それを事前によく下調べをして訪問し、より感慨を深めるのが私の旅行スタイルの
基本中の基本である。ゆえに私の個人的な旅行の延長でもある息子とのふたり旅においても
同様の下準備が相方にも要求される。これは勉強より遊びが優先の息子にとって
少々苦痛を伴うことはありありと見受けられるが、息子にとっても大好きな旅行の
代償とあって仕方なく付き合っているといった態である。
(但し家族旅行の場合は現地別行動としない限りはレジャーのみの形となる。
もちろん家族サービスと言えども事前の下調べはある程度はするが、施設の下調べが
主なので大した準備は要らないものだ。また余談だが私とは対照的にとりあえず出てから
考えるという方も世の中にはいる。以前朝のテレビ番組「はなまるマーケット」で
AKB48の前田敦子さんが出演した時に、彼女のお出かけスタイルは常にそうだと
語っていた。なので突然の卒業宣言は旧来のファンの方には大ショックだっただろうが、
私はその思いっ切りのよさを何となく納得もできた。私とは真逆の冒険的なスタイルだが、
内心は憧れている部分もある)。
私は息子・錬くんとの旅行にジョバンニとカムパネルラのような旅を重ね合わせて
夢描いているとも言える。独り善がりな夢だが、まだ小学生ということもあり息子は
とりあえずは歩調を合わせてくれているようだ。そしていずれはそこからさらに発展して
アニメのルパン三世と相棒で親友の次元大介のような旅を理想としている。
映画「カリオストロの城」の冒頭のシーンで、二人が小さな車に野宿用の大きな荷物を載せて
田舎道を走ったり、野宿したり、路肩でちょい休憩するシーンは、お互い会話はなくとも
心の通うあたたかい絵として、初めて映画館で観た時より目と心に焼き付いている。
あれこそが私にとって最終的に目指す理想の旅行スタイルなのだ。
しかし‥、まーこの「旅友育成計画」は基礎が息子と父親との関係ということで
子供の成長とともにうまくまとまるものではない気もしている。男の子はそうあるべきかも
しれない。それに息子は大のママ好きなので、本心はメーテルとの旅行を理想としている
のかも…(メーテルは松本零士の漫画『銀河鉄道999』で主人公の少年・星野哲朗と
旅を友にした謎の美女である)。
おまけに
小学4年生となった錬くんに学校からアンケートが来た。曰く「お子さんの長所は?」
とあった。う〜ん…夫婦で悩んでしまった。人に誇れるような長所が見当たらない。
考えた挙げ句に「立ち直りの早さ」という結論に至った。息子はいくらがみがみ怒られても
3分後には鼻歌を歌うほど立ち直りが早いのだ。あまりの反省のなさに追加でまた怒られる
のも常である。よく言えば失敗にめげないとも表せるが、一の矢が外れたら二の矢を‥
といった具合でもない。だが恥はかき捨てがよいとされる旅行先ではとても役に立つ
性格かもしれない。
■ 執筆後記 ■
小学6年生の息子が
宮沢賢治について補習してくれと言ってきました。
今度授業で賢治の短編『やまなし』を題材にするです。
『やまなし』は賢治の童話としては最初の作品です。
川底にいる二匹のカニの兄弟とお父さんカニが
川魚や鳥、そしてやまなしについて語る話。
「クラムボンはかぷかぷ笑ったよ」などという
不可解な会話が交わされる不思議な話であります。
賢治は自然と対話できるとか、
自然を言葉にすることができるとか
言う人もいます。
その象徴的な物語のひとつが
この『やまなし』かもしれません。
ともかく独特な世界観があります。
賢治の作品の不思議さ不可解さに
実は賢治自身がちゃんとヒントをくれています。
賢治の生涯でただひとつの童話集、
世に自らの文学世界を知らしめるために、
自費出版した童話集、
「注文の多い料理店」の冒頭に、
「これらの物語は私の心象スケッチです」とあります。
この「心象スケッチ」というキーワードこそが、
賢治の物語世界を象徴したものだと言えるでしょう。
では「心象スケッチ」とはなにか?
宮沢賢治研究家諸氏においては
多少意見の分かれるところもあるかと思いますが、
私は「自らの、賢治の心に映った景色を
デッサンを描くように、荒削りながらも
言葉でスケッチしたもの」と理解しています。
しかし唯のスケッチではなく、
そこは賢治の才能で、全体のバランスのとれた
完成されたもの、完成された世界となっているのがポイント。
そして何よりも物語の読み手に
その独善的な賢治の心の世界に近づける工夫を
最大限試みていると言えるでしょう。
自分の心の世界に、決して読者に屈せず、
でもいつも手を離さずにやさしく導く
賢治の努力の結晶、
それが賢治の物語の数々であると私は考えます。
だから最初は人によっては
大きな心の壁にぶつかる、
理解し難いものに違和感や不快感すら憶えるかもしれません。
私もそうでした。
各物語に賢治が伝えたいテーマがありますが、
それを文字でスケッチしたのが各物語となるでしょう。
で、『やまなし』であります。
この川底の小さな物語をどう解釈するか。
川底から見上げる水流の世界、
腹底を光らせながら飛ぶように泳ぐ川魚に
その捕食者のカワセミとひとつの命の終わり、
そして季節のやまなしの香り。
ちょっと視点を変えるだけで、
そこかしこに私たちの知らない
豊かで美しい世界があり、
自然の摂理の中で皆一生懸命生きている。
そんなことを気付かせてくれる
物語でしょうか。
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川カニの兄弟ならぬ、息子・錬(右)と従兄弟のたっくん。
たっくんは錬よりも3つ年上である。
お互い一人っ子のふたりを私は兄弟同様に育てたつもり。
2007年7月、越谷のしらこばとプールにて。