旅の空色
2012年 2月号
でこぼこコンビの顛末(てんまつ)
「雪山へGO!」そのNHKの番組はそんなタイトルであった。
正直なんて無責任な番組なんだと思ったのが第一印象だった。私は登山に関しては
ずぶのド素人だ。しかしそんな私でも冬山の危険さは聞いている。本の好きな私らしく
登山を題材に多くの小説を残した山岳小説家の開祖、新田次郎の小説「冬山の掟」がそんな知識の
源泉だ。ただ近年ご年配者を中心に登山を楽しむ方が増えているのもよく聞いてる。
さらに最近では若い女性たちまで山に登り始め「山ガール」などと呼ばれているともいう。
そんな世相に応えての番組なんだろう。ちゃんとしたガイドが付き、そこそこの登山経験があり、
天候にも恵まれれば冬でも名峰の天上界から白銀に輝く絶景が見れるというわけだ。
しかし物好きにも程がある。ただでさえ寒い冬にさらに過酷な厳寒の頂に挑もうとは‥。
すぐに番組を切り替えようとリモコンに手を伸ばした時、聞き覚えのある地名を聞いて
その手は止まった。宮城県・遠刈田温泉(とおがった)。宮城で4年間過ごした私には
懐かしい地名であった。そこの足湯でご年配の婦人と若いイケメンの男子が仲良く肩を並べて
湯を楽しんでいた。会話からしてとりわけ知り合いというわけではなさそうだ。
これからこのふたりで宮城蔵王の樹氷を見に行くという。彼の地でよくスキーにも行った私には
樹氷もさしてめずらしいものでなかったが、そのでこぼこコンビが気になってその顛末を
見守ることにした。なだらかな冬山を軽装で登り始めてしばらく経つと白い霧のような
ガスが辺り一面を覆い始めた。スキー場でも時々ある視界10メートルほどのガスである。
するとその年配の婦人は「今日はここまでにしましょう」とすぱっと切り出し道を引き返し始めた。
相棒の若いイケメン男子は面を食らった様子で、多くのスタッフが関わる仕事でもあるし
もう少し行けるのでは?という気持ちありあり表情だった。結局番組は当初の樹氷撮影を断念。
麓のカマクラの中で焼いた餅を食べて終わりとなった。何なんだこの企画は?と誰もが
思いそうな結末であった。
彼女は目撃者の一人!
いまひとつすっきりしない録画の放映の後、スタジオで出演者同士の談話になった時
その年配の婦人が紹介された。田部井淳子さん72才。私は「あっ!」と叫んでしまった。
「この人だ。雪男を見たっていうひとりだ」。私の叫びに驚いたのか、それともその指摘に
びっくりしたのか、片付けものをしていた妻が振り向いた。そして妻の顔は驚きからやがて
怪訝(けげん)な表情に変わって聞き返してきた。「雪男ってあの雪男?」。
その妻の表情を見てこれが本で読んだその顔かと私は心の中で納得し、そしてニヤケた。
雪男についての本を書いた作者によると10人中10人がその怪訝な顔でこの話に乗るという。
まあかつて川口探検隊なるテレビ番組で眉唾話に散々乗せられてきた我々の世代では当然の
反応なのかもしれない。ところで先に紹介した田部井淳子さん。同年配の方や山が好きな人には
有名な方であるはずだ。彼女こそ女性では世界で初めてエベレストの登頂を果たした人なのだ。
私も意外だったが、初の女性登頂者は日本人の女性だったのである。そしてそんな彼女が
公言こそしていないが雪男を見たというのである。
彼女の話によるとそれを見たのはネパールの首都・カトマンズの北東
およそ90kmに位置する世界14番目の高峰・シシャパンマ峰への偵察登山の時だったそうだ
(標高8027m。中国領内にあり初登頂は1964年中国人10人のグループによる。
この偵察登頂の後1981年田部井さんにより日本人初および女性初の登頂を成す)。
相棒の女性が体調を崩したのでテントに残して一人で偵察に出た時、標高6100mあたりで
上方300m先に奇怪な生き物を遠望したそうだ。その生き物の姿ははっきりしないが
縦長の影で左から右にすばやく往復して動いたという。縦長とはつまり動物ではありえない
直立二足歩行しているということでしかも俊敏に動いたのだった。田部井さんは恐くなって
そこで引き返し早々に仲間のキャンプへ下山。その目撃談を聞いた仲間は当初高山病による幻覚
ではと疑ったが、その後彼女にそんな症状は見られなかったそうだ。そしてさらに下山の時には
雪男のものと思われる足跡を発見し写真に収めて後日仲間の女性記者が「週間読売」で
発表している。足跡は細長い足の甲の形の頭にしっかりと5本の指の食い込み跡があり
動物のものではないと言う。田部井さんは雪男というより人間の系譜に繋がる猿人の生き残りと
考えているそうだ。最初はただのおばさんだと思って眺めていたNHKのその番組も、
彼女の経歴が脳裏に浮かんできたとたん背筋を伸ばして話に聞き入ってしまった現金な私だった。
ガスで引き返したその判断も経験と深い思慮に基づくものだったのである。
魅せられし者たち
そんな信憑性の高そうな話があるのなら探索隊とが出るんじゃない?と問われるだろう。
実際その通りで過去に数回、ベテランの登山家で組まれた雪男探索プロジェクトが行われている。
田部井さんはシシャパンマで目撃したが、雪男の出没地域はエベレストを含むヒマラヤ山脈の一角、
タウラギリW峰への登山ルート入り口のコーナボン谷付近にあるそうだ。このルートは
人を寄せ付けない超難関の登山道で1975年に日本隊により初制覇されている。
しかしその偉業よりも先にこの難関ルートに入り込み、登山とは全く無関係で密かに雪男を
単独で探していた日本人男性がいた。その名は鈴木紀夫さん。古い記憶を辿ればあっと思い当たる
方はいるだろう。フィリピンで残留日本兵の小野田寛郎さんを発見した冒険家である。
鈴木さんは登山では全くの素人だったそうだが、5匹の雪男を目撃して以来さらに夢中になり、
最後は彼の地で雪崩に遭って亡くなっている。そんな悲劇もますます雪男に魅せられる理由の
ひとつだろう。最近では2008年夏に雪男を目撃したことのある登山家を中心に
やはりコーナボン谷付近に探索隊が出ている。その一部始終が書かれたのが最近私が読んだ
元・朝日新聞記者による著作『雪男は向こうからやってきた』という本で今回のエッセイのネタだ。
山岳経験豊かな著者・角幡唯介(かくはた・ただすけ)氏も当初は雪男を眉唾話と思っていた。
ところが田部井さんを始め取材を重ねるうちにのめり込み、最後は危険を冒してまでも
その存在に魅了されてしまっている。果たして雪男は本当に向こうからやって来たのか?
その結末はネタバレになるので角幡氏の本に譲ることとしよう。
もしかして私も雪男に魅せられたんじゃないかって?旅好きの私としてはユーミンの歌にある
カトマンズまでは興味ある。しかし観光用によく整備されたヒマラヤのトレッキングルートより
外れて、ノミ・シラミの宿屋や家畜の糞だらけのキャンプ地を細い街道筋に渡り歩き、
ヒルだらけの熱帯雨林を数日抜けたところにあるのがコーナボン谷だ。
雪男以前に途中で気絶するか、よくて逃げ帰るのがオチだろう。
■ 執筆後記 ■
雪男には魅せられなかったが、
翌年にエッセイで書いた通り、
河童には魅せられしまった。
河童についての下調べの後、
物好きにも岩手県岩泉町のその目撃現場まで
わざわざ足を運んだ熱の入れようだった。
しかしやっぱりその存在は確認できなかった。
ただ、目撃者の証言には真実味があり、
またその他の目撃談も信憑性が高いと私は考えているので、
今でもその存在を信じている。
といってその存在証明に人生を掛けるほどの
熱い熱意と根性を持ち合わせているわけでもない。
それでも機会があれば、彼の「本銅の沢」に
もう一度行ってみたいとも考えている。
私も一応『学士』として、論理的思考を重視する者である。
その視点に立って今一度「河童」について考察すると、
やはり一番の有力な見方は「けものの見間違え」だと思う。
河童の呼び名のひとつに「エンコウ」とあるように
エン(コウ)=猿(公)を見間違えたことは多いと考える。
大雨で川が激流に変わった時に目撃される
「河童の河流れ」も、川に落ちた猿か、
もしくは人間の可能性が高いと思う。
二つ目の見方は「警告」である。
危険な用水路に子供が近づかないよう立てられた
「河童が出るぞ」という看板と同じ、
いにしえから川の恐ろしさを伝える手段として
河童の存在が発達したものと考える。
青森県津軽地方の田んぼのそこかしこに
河童を祭った小さな祠(ほこら)が点在しているそうだが、
子供が川で溺れて亡くなる度に、
祠にお参りして成仏を祈ると聞いた。
津軽平野は青森屈指の平野部で
早くから岩木川より水を引くための
用水の整備が網の目のように成された。
そのために水の事故も絶えなかったのだろう。
現代でも川の怖さは重ね重ね警告されているが、
これまた周知の通り水の事故は絶えない。
静かで穏やかな川に見えても、
地形が複雑な川底では、人を引き込む流れが、
悪い河童が隠れて存在するのである。
三つ目の見方は「水子供養」、
および「望まぬ妊娠」などお産に関するものである。
妊娠後のお腹の中での子供の成長はよく知られているとおり、
人間の進化の歴史を辿るが如く、
魚のような姿から始まり、ヤモリのような姿にもなり、
やがて人間の姿になって大きく育ってゆく。
妊娠初期の過程で流産してしまった場合、
その小さなむくろを川に流して供養とし、
河童の発想に繋がったのかもしれないとも考える。
また今のように法が強く支配する時代ではない昔は、
「望まぬ妊娠」の例も多かったであろう。
たとえ父親が誰であるか分かっていたとしても、
小さな村社会の中では、身分や人間関係、
相手の素性によって明らかにできない場合もあったに違いない。
河童にさらわれて妊娠して帰ってきたとか、
好きになった男が実は河童だったとかの
昔話が残るのはそれらの事情があると考えられる。
どこかで”仕方がない”という結論に至るために
河童の仕業が代用されたと思う。
河童という概念の成り立ちを論理的に考えれば
大きくこれら3つの
「見間違え」「警告」「都合の上の存在」が
始まりと考えている。
しかしこれらとは全く違ったシナリオ、
『河童と水掛合って遊んだ』という証言がある以上、
これらみっつのものも全く空想の域を出ないことになる。
あとは現在のところ
見つけられるか?信じるか否か?に委ねられている。
そして私は『きっといる』である。
一つ戻る
上の写真は岩手県岩泉町にある「本銅の沢」。
下は岩手県遠野町にある「カッパ淵」。
いずれに河童はいそうだろうか?