旅の空色


2012年 8月号




ここが銀河ステーション

 ワゴンは舗装された細いゆるやかな坂道を軽快に登って行った。
車がやっと1台通れるといった幅なので見通しのよいところは速く、カーブにかかったら
慎重にといった具合にだ。谷向こうの丘陵には青々と草の茂った美しい牧場が見える。
国指定名勝にふさわしい景色だ。やがて星座の森という名のコテージが並ぶ丘に出る。
なるほど、ここで夜を過ごしたら大宇宙中の星々に手が届きそうな夜空だろう。
大抵の観光客はここまでの行程だと思うが、私たちは道の終わりを確かめたく
さらに山奥へ車を進めた。山肌に木は少なく一面背の高い草に覆われているのが
この辺の山の特徴だ。道は舗装されているが、道脇の雑草は伸び放題で時折行く手を
塞いでくる。宮崎駿のアニメ「千と千尋の神隠し」の冒頭シーンのように
雑草のカーテンは未知なる世界へ誘う数々の扉のように現れては開かれて行く。
そしてついに舗装道路の終わりに着いた。道はまだ左右に垂直に分かれて続いていたが
砂利道で無理は出来ず限界だった。車を降りて見晴らしの良い景色を360度ぐるりと
見渡した後に私は息子に告げた。「ここが銀河ステーションだ」と。
 ここは種山ケ原。別名・物見山といいネットの地図でも広域レベルから確認できる。
そしてかの宮沢賢治が愛した高原と言われている。彼の理想郷・イーハトーブ
(人造の世界共通語・エスペラント語で「岩手」を意味する)の原風景になったとされ、
「風の又三郎」や「銀河鉄道の夜」など彼の多くの作品の舞台になったとされる場所だ。
今年の息子との親子ふたり旅のテーマは『宮沢賢治の世界』と以前のコラムで紹介したが、
旅の予習にと息子と少しずつ読み進め読破した「銀河鉄道の夜」、その終着点と
決めていたのがこの地であった。銀河鉄道の夜の物語で主人公・ジョバンニが寂しさを
抱えて登った丘の上。銀河のミルクの流れ(=天の川)とどんな小さな星の光も届く満天の
星空のもと、ジョバンニの目の前に銀河鉄道の大きな機関車が突然現れたのだった。
息子と並んで丘の上で風を受けていると、ジョバンニが聞いたという「銀河ステーション。
銀河ステーション」と繰り返す駅のアナウンスが私たちにも届くような気がした。
ここが終着点と書いたが、新たな旅の出発点となるよう私は密かに願った。

 宮沢賢治の世界に触れたいなら花巻にある「宮沢賢治記念館」が本当はふさわしい
だろう。しかしそこは言うなれば資料館のようなところで、大人ならいいが子供では
おそらく飽きてしまうだろうと思いちょっとへんぴでマイナーなところだが
自然に触れられる種山ケ原を訪ねたのだった。
種山ケ原(物見山)は岩手県境を越え東北自動車道を北上することおよそ20分。
水沢インターを降りて水沢市街を抜け、東北最大の河川・北上川に架かる小谷木橋を渡り
国道397号線をのらりくらりと走ること30分くらいの山地にある。
途中の国道沿いはこれぞ日本の里といった田畑と人家の美しい風景が続き飽きることはない。
種山ケ原より北に進めば柳田国男の「遠野物語」で有名な遠野市に、東へ進めば
太平洋岸の大船渡市に至る。ただ不便なのは種山ケ原へは電車はもちろん路線バスもなく、
自ら足を伸ばすしか方法がないことである。

八日目に蝉は何を見たのか?

 私はあまりテレビドラマを見る方ではないが、たまたま途中から見たあるドラマにはまって
しまった。NHKの連続もので『八日目の蝉』というドラマだ。角田光代原作の小説を
2010年にNHKがドラマ化し放映。45分の6回シリーズで私は後ろ2回を見て
はまり、翌年再放送されるまで待って全編を見収めることができた(DVDを借りれば
いいが、録画もしたかったので辛抱強く再放送まで待った)。小説に続きドラマも好評
だったため、2011年には松竹配給で劇場映画化もされている。テレビドラマは
2010年のテレビグランプリ(最高賞)を受賞している。
 ストーリーは大ざっぱにこんな感じだ。主人公・希和子は既婚の男性と不倫の末妊娠。
しかし相手の男に諭されて子供を諦める。ところが間もなく男の妻が妊娠し、希和子は
男に避けられるようになるばかりか、妻にも責められることに。さらに不運にも希和子は
処置が悪く子供が産めない体に。この様に追い詰められると尋常ではなくなるものだろう。
希和子は生まれたばかりの夫婦の赤ちゃんを殺すべく不在宅に侵入、のど元に手を掛ける。
ここまで改めてまとめると救いのない話だ。ところが壊れそうで愛しい赤ちゃんの姿に
希和子の心は瞬時に変わる。気が付けば雨の中を赤ちゃんを抱いて希和子は逃げていた。
それから希和子の誘拐犯としての長い逃亡生活が始まる。
 この物語はとりわけ女性にうけたとの論評が多い。母性に訴えるものが多いそうだ。
”そうだ”というのは私は男性側であるので女性ほど母性を確信できないでいるからだ。
ではなぜ私は男性としてこの作品にとても惹かれたのであろうか?私はしばらく暇を見ては
何度もこのドラマを見返しながら自問自答した(ちなみに原作の小説は未読である。
また井上真央主演の映画版は映画館で観たが、ドラマの方が放映時間が長いため
[実質40分×6回=240分。映画は140分程度]丁寧に作り込まれているので
秀作だと思う。ドラマでは檀れいが初主演で助演の北乃きいとともに熱演であった)。
ドラマは連続ものであるので各回ごとに胸に迫る名シーンがあった。とりわけ希和子が
警察に逮捕されるシーンは泣ける(映画でも)。誘拐犯なのに見逃してあげてくれと
応援する気持ちになる。しかし私が惹かれたのはもっと底部に流れるものであった。
6年に及ぶ逃亡生活。誘拐した赤ちゃんは薫(かおる)と名付け、愛娘として大切に
育てていた。端からは仲の良い普通の母娘だった。そんな薫もそろそろ小学校に上がる
頃となり、ランドセルを背負う自分を夢見るようになる。そんな姿を見つめる希和子。
子供は自然と大きくなりやがて大人になる。ちゃんとした教育も受けさせなければ
ならない。でもずっとずっと一緒にいたい気持ちも強い。子供の成長をいつまでも
見守りたい。多くの親が抱えるそんな心の葛藤を希和子は誘拐犯という身でさらに強く
感じていた。そして薫のために逃亡生活を終わらせなければならないことも。
 我が身を振り返れば‥。小学4年生となった息子は近頃小憎らしい反論をするように
なった。悪知恵も付いてきた。独立心も育ってきている。友人達が予言した通り
一緒に付いて歩くのは小学生の内、あと2年ほどだろう。子供の成長はとてもうれしい。
しかし同時に我が手から離れて行くのはさみしい限りだ。そんな親の抱えるジレンマを
心地よく突いてくるところがこのドラマの最大の魅力とわかった。


■ 執筆後記 ■


ここが銀河ステーション?物見山山頂(標高870m)にあたる高原部。
舗装路はここで終わり、左右に砂利道が延びていた。
右手奥に見える突起物は物見山雨量レーダー基地。
息子・錬の右ふたりは友人Kのお孫さん。

エッセイではちょいとロマンティックに書いたが、
実際には虻(あぶ)ケ原であった。
周りが遊牧地なので仕方ないか。
虻はハエとハチの合いの子のような昆虫で、
メスは牛にたかってその血を吸ったりする。
駐車した車に気持ち悪いくらいにたかっていたので、
特に熱に反応する習性があるのかもしれない。
かまれたら大変と早々に退散した。

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