旅の空色


2012年 6月号




子猫騒動記

新たなる隣人

 「いや、いや、いや、いや、いや」と嫌(いや)を連呼しながら
店の裏口から嫁が小走りに入ってきた。人の言うことをなかなか聞かない息子相手に
毎日毎日チャンチャカと子育てに励んできたおかげで、今やちょっとやそっとのことでは
動じない嫁なので、よっぽどのことがあったに違いないと私は思った。
「どうした?泥棒でも入ったか?」と当てずっぽうに聞くと今度は「うら、うら、うら
うら、うら」と裏(うら)をまくし立てた。どうやら裏の倉庫で何かあったようだ。
やはりこそ泥かと思いながら恐る恐る進む嫁の後について行く。そして停めてある
配達用の自動車と倉庫の壁の間を嫁はそっと覗き込みながらあそこと指を差した。
私も嫁の頭の後ろから嫁に真似てそっと覗いてみる。すると台車の上で生まれて間もない
と思われる子猫が3匹戯れていた。「かわいい」と私は自然に口に出た。すると嫁はまた
嫌(いや)を連呼しながら店の中へ走り去ってしまった。
 3匹の子猫はじゃれ合ってまるでかき混ぜる様に上になったり下になったり
時には喧嘩をしながらどうやら日光浴を楽しんでいるらしかった。やがて私の視線に
気がついた子猫たちはそそくさとブロック塀の飾り穴に潜って隣の家に逃げてしまった。
どこへ行くのかと急いで隣の家の塀裏を覗くと、また私の視線に気がついた子猫たちは
隣の家の床下の換気穴の中に次々と吸い込まれるように消えていった。
どうやらそこが彼らの仮の住処らしい。と、色で気が付かなかったが通気穴手前に
黒い大きな猫がいて、私に振り返るとシャーッとばかり大きな口を開け牙を剥き出しにして
威嚇してきた。その凄みに小熊を抱えた親熊同様の危険を感じた私はたじろいで
静かにその場を離れた。
 その日よりその新しい隣人の日光浴をよく見かけるようになった。
本当はそっとしておきたいが、何せ仕事上どうしても倉庫へは行き来しなければならない。
なるべく知らぬ顔で通り過ぎていたが、やっぱりかわいい姿の子猫が気になり時折そっと
覗いていた。しかし親猫に見つかるとシャーッとやられた。ところで嫁はというと‥
たまにからかって猫どもを脅かて散らし、イジワルをしていたという。

僕たち猫三兄弟

 僕たち三兄弟は人間の住む家の床下で生まれました。お母さんは茶と白のぶち猫。
お父さんは真っ黒で強くてかっこいい猫です。お父さんは黒だけど、兄弟に黒はいなくて
みんな茶と白とちょっと黒が混じったぶちです。お父さんとお母さんは仲がとてもよくて
いつも僕たちの側にいてくれます。ミルクが終わると外でお日様に当たる時間です。
僕たちは一番日当たりのよい台車の上がお気に入りで、三匹で遊びながら体を乾かします。
側の車の下ではお父さんが昼寝をしながら僕たちを見守ってくれます。
お父さんから強く注意されていることがひとつ。絶対に鳴き声を出さないことです。
子供の泣き声は怖い敵を呼び寄せるということで、僕たちは鳴き真似はしても
けっして声には出しません。僕たちはその注意を守っていたので怖いものは来ない
はずでした。ところが…

 ある日いつも通り体を乾かしていると車の影から人間が現れました。
人間は滅多に襲ってこないとお父さんに聞いていたので人間の様子を見ていますと
その髪の長い人間は騒ぎながら逃げていきました。しかししばらくするとその人間は
仲間の人間を連れて戻って僕たちを見て何か騒いでいます。猫がそんなに珍しいのかなあ?
髪の長い人間はまたまた逃げて行きましたが、もうひとりの人間はニコニコしながら
僕たちを見ています。なんか気持ちが悪いので壁の穴を通って身を隠しますと、その人間は
今度は家と壁の間から上から目線でまた見ています。仕方がないので僕たちはひとまず
家の下にいるお母さんの元へ帰りました。人間はお父さんが追っ払ってくれたようです。
 その日よりその人間は僕たちの目の前を何度も通り過ぎて、時たま足を止めると
僕たちをニコニコ見ています。最初は気持ち悪かったのでそんな時は早々にお母さんの元へ
帰りましたが、どうやら遠くから見ているだけのようなので僕らは無視することにしました。
たまにお父さんがその人間を怒ってくれたようです。でもあの最初に現れた髪の長い人間は
イジワルでした。襲うつもりはないようですが、せっかく気持ちよく過ごしている僕らを
脅かしたりするのです。そういう時は一応降参した振りをして巣に逃げ帰りました。
避難訓練みたいなものです。お父さんも怒ってはくれましたが、あの手の人間は
お母さん同様に苦手な相手だと言っていました。
 やがて最初の二人の人間に加えて新顔が僕たちを覗くようになりました。大きい人間も
小さい人間もいて僕たちを見てはニコニコしています。僕たちとしては落ち着かないので
とても迷惑な話です。お父さんとお母さんが話し合って僕たちはある日引っ越すことに
決めました。あの日当たりはとてもお気に入りの場所でしたが、こう人間たちに私生活を
覗かれてはたまったものではありません。そして僕たちは古里を後にしました。

その後の猫たち

 というわけで突然猫の一家の姿は見えなくなった。私もちょっと寂しかったが、
一番慌てたのは近所の猫好きのご婦人であった。実はこのまま野良猫にしてはいけないと
エサで少しずつ馴らして子猫と親猫をまとめて保護しようとしていた矢先であったのだ。
子猫連れであることだし、そんな遠くには行けないとだいぶ近所を探し回ったが
一向に家族の姿は見えなかった。だが昨今のペット大国の日本である(平成21年度調査の
犬猫飼育数2234万頭)。近所の猫好きの間で情報交換し、網を掛けていたところ
ついに黒の親猫を発見。そして新しい巣に辿り着いた。巣はやはり民家の軒下で
その家の人がエサまで与えてくれてたそうだ。ただ飼う気はないので捕獲する段取りに
なった。捕まった子猫たちはかわいそうだが親元を離れ買い主を探すことになるそうだ。
手の平に収まりそうなかわいい盛りの内がよい買い主に巡り会えるチャンスが高いのだ。
仲介するそのご婦人は貰われ先の人柄や環境まで確認するそうで、子猫たちはきっと
それぞれの幸せを招くことができるだろう。
 太古より人間の特徴のひとつに動物をペットにしたがる習性があるそうだ。
そうして犬や猫が現在の姿となり、また無謀と思われるライオンまで飼う人がいるそうだ。
そして一部は家畜の牛、豚、鶏となり食生活を豊かにしている。物好きが講じた結果
人類の発展に貢献した人間の変な習性である。


■ 執筆後記 ■

動物をペットにする習性、
この習性が人類に大きく貢献した歴史を
論理的に解説した書のひとつに
ジャレド・ダイヤモンド著作の名著
「銃・病原菌・鉄」がある。

UCLAの教授である同氏は、
医学博士という専門職であるにも関わらず、
同著作によって歴史学者として有名になったという
面白い経歴を持つ。

同氏によると、他の動物にはない、
違う動物をペットとして飼う習性が、
今で言う畜産、食用の牛や豚、鳥を
育てる基礎になったという。
人類はこの行為により
植物から得る以上の高タンパクの源を
安定的に手に入れるようになったわけだ。

ただどんな動物でも人間に従ったかと言えば
周知の通りすべてではない。
というよりむしろ飼えない動物がほとんどで、
結果人間になついた動物は
数十種しかいないというから、
試行錯誤の末の今の友好関係でもある。

またこの習性、他の動物を人間の生活の側に置く
この行為は思わぬ弊害ももたらしている。
伝染病である。
その代表格がインフルエンザであろう。
飼っている動物の病気が人間に伝染し始めたのだ。
やがて抗体もできるが、新型とのイタチごっことなる。

この弊害の最大の悲劇、
それはコロンブスによって口火を切られた。
新大陸=南北アメリカ大陸の発見である。
長年家畜の伝染病に苦しみ慣れ親しんだ
旧大陸(ヨーロッパ)の人々が、
新大陸にそれを一気に持ち込んだのだ。
インディアンやマヤ、インカの人々は
ヨーロッパ人によって虐殺されたと言われるが、
それを遙かに上回る規模で
持ち込まれた伝染病で死んだと氏は指摘する。
もっとも直近の実例が
オーストラリアのアボリジニである。
侵略者であるイギリス人と接触した原住民たちは
植民地町でふらふらと町中をさまよっては
死んだという記録がある。

『銃 病原菌 鉄』は朝日新聞、
2000年代(2000年〜2009年)の名著50冊で
堂々の第一位に選ばれた KING of 名著である。
機会があればぜひご一読を。


今回エッセイで取り上げた子猫たち。

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