旅の空色


2012年 3月号




息子の熱い趣味

 今春より小学4年生になる我が息子・れんくん。少しは成長したかと言うと
まだまだママに甘ったれのおこちゃまである。代わって3つ年上の従兄弟のたっくん。
こちらも早いものでなんと春から中学生である。しかーし。近頃カッコをつけているが
中身はやっぱりママに甘えっ子。お互い一人っ子であるのが原因か?それとも最近の
子供は一般的にこの傾向なのか?まだまだ心配事の減らない子供達である。
 そんな息子・れんくんであるが、最近根を詰めてハマッているものがある。
それは将棋だ。飛車や角などの駒を駆使し『王手』で終わる日本の伝統的ボードゲームの
あれである。もともとは私の母が母のお父さんより手解きを受けて得意だったそうで、
その母が今度はれんくんに駒の動きを教えての始まりとなった。しかし母は4年前の
病気により以前のような手の先を読む力はなく、すぐに息子(母から見れば孫)に
負け始めた。まあこの二人の勝負は傍目から眺めているとまるでコントで、
あたかもモノポリーのように駒の動きの前に交渉事が行われ、飛車角を交換し合ったり、
れんくんが母の逃げ道を指示したりと全く将棋の態にはなっていないのだ。それでも二人は
楽しいようで今でも飽きずにモノポリー式将棋を毎日一局差している(注釈:モノポリーは
アメリカ発の有名なボードゲームで双六に不動産売買の要素を絡ませた遊びである。
見た目にはただの双六に見えるが、賽の目の運よりはプレーヤー同士での不動産売買交渉が
勝敗を決すると言っていい高度なゲームでもある)。
 しかしやがてあまりに茶番な将棋を見かねた私はパソコンより詰め将棋の例題を
持ち出してれんくんに与えた。当初はちゃんとした駒の動きを身に付けるための目的で
学校の宿題の延長のような課題にすぐ飽きるだろうと踏んでいたが、意外にも熱心に
取り組み始め、三手詰め、五手詰めと次々と問題をこなし、何度も復習までしていた。
まったくこの調子で学校の課題にも取り組んでほしいものだ。そんな風に熱心になって
くると、もはや母など歯が立つ相手ではない。次にじいちゃんを軽くあしらった後に
ついに私に毎晩一局挑んでくるようになってきた。私にとっても本当に久しぶりの
将棋であった。思い返せば私もちょうど息子の頃、当時友人同士の遊びの一環として
将棋を覚えたものであった。今の子供がDSやPSPといった携帯用ゲーム機の画面に夢中に
なるように、往時の子供達は携帯用将棋の盤に釘付けになったものだ。今のゲームと
違って学校への持ち込みも許されていたので、休み時間には将棋盤を囲んで駒を差したり
背中越しに応援したりしたものだった。そんな風に鍛えた将棋であるのでそう簡単に
私が負けるわけはない。確かに息子も駒の動きをよく理解し、詰め将棋で鍛えた
成果は見られるが、まだまだ先を読む力や流れを変える紛れの一手など未熟な限りで
すぐに勝敗が決していた。ところが‥。ある日いつも通り駒を並べ終わり数手駒を進めると
いつもと様子が違った。息子は飛車角の道を開けた後に王を金や銀で固め始めたのだ。
かつて詰め将棋と並んで一生懸命本で読んだ守りの手法を思い出した。
将棋は攻撃たる詰めも大事だが同様に王の守りも大事。「穴熊(あなぐま)」を代表とする
守り(=囲い[かこい])の技法は、詰めの次に来る高度な技術なのだ。
しかも息子は躊躇なく駒を配している。
「おまえこんなことどこで習ったんだ?」たまりかねた私は息子に問い質した。
「羽生さんの名人戦観て覚えたんだ。奥義・鳳凰の舞だよ」とまるでゲームのワザを
披露するかのようにのたまわった。テレビの名人戦を何度も見返してはその一挙手一投足を
覚えたそうだ。どうやら今日の対戦相手はあの名人・羽生善治らしい。
調子を狂わされた私はおまけに飛車角まで召し上げられてしまった(あまり私も強くない
のかも‥)。駒も充実した息子に散々責め立てられたがやっぱり息子は詰めが甘かった。
結局この日はなんとか攻め返して一手差で親の権威を守り通した。

親熊

 こんな息子であるので今や将棋で手加減している余裕はない。最近はさらに精進しようと
詰め将棋の本数冊を読み込み始めている。しかも勢い余って4年生から始まるクラブ活動で
将棋部を作ってくれと先生に嘆願し同級生に大爆笑されたそうだ(私の時代だったら
ありそうな部活動だが今の時代では絶対少数派なんだろう)。
 実は最近の息子の強さにはもうひとつ秘密がある。時折裏でその指先を操る影の力が
存在するのだ。その正体を親熊と私は呼んでいる。か弱い小熊の側には必ず危険な母熊が
いるのだ。しかもその母熊、やはり幼き頃父親より将棋の厚い手解きを受けていたのだ。
息子の動きにも油断ならないが、気を付けないと息子の背後からもするどい爪が
(=詰め?)が飛んでくる直近の一局なのだ。所詮父親とは孤独なものなのかもしれない。
そんな孤高の一局を毎晩なんとか凌(しの)いできたが、その日はついにやってきた。
その日の母熊は入れ込みが強く私はついに詰められてしまった。しかもその詰め上がりが
私的にはあまりにも初歩的な形で悔しくてたまらなかった。そして私は息子に語った。
「もう子供の出る幕でない。これからは大人の戦いだ」。
 息子のよいところのひとつは立ち直りの早さにある。勝ち負けにあまりこだわりがないのだ。
逆に悪く言えば反省が少ないとも言える。そんな性格であるので相変わらず懲りずに
今も毎晩一局挑んでくる。しかも段々と巧妙な打ち手となって‥。
このままでは近い将来息子単独の力で負ける日が来るだろう。私も簡単に首をくれて
やるわけにはいかない。改めて将棋の攻守を勉強し直さなくてはと焦っている今日この頃で
ある。そしてあの親熊もいずれ仕留めねば気が収まらない(ちなみにあの敗北以来親熊との
直接対決はあえて避けている。また負けたら私は今度こそ立ち直れないからだ。
息子のこだわりのなさが時にはまぶしく見えるものだ)。

 コンピューターのこの時代に紙で出来たボードゲームが密かに流行っていると聞いた私は
秋葉原の雑居ビルの一角にひっそりとあるその手の専門店を覗いたことがある。そして
そこで30年近く前に3千円程度で買ったボードゲームが中古で2万円で売られているのに
びっくりした。とてもバランスのよいゲームだと私も高く評価していたが、30年の時を
超えてその価値は往時以上となっていたのである。将棋も含めこの手のアナログゲームの
醍醐味は相手の表情や息づかいもそのプレイの一部であることだ。いくら便利な時代に
なっても社会の最大の構成要素は不完全な人間。それと真っ向から対峙できる手軽な
アナログゲームは息子にとってもよい体験となるに違いない。


■ 執筆後記 ■

エッセイの後半に出てくる「親熊」って誰?
との問いがお客様からあったので、
改めて答えると、「親熊」とは我が嫁のことである。
私と同じように小学生の頃、お義父さん(私視点)より
将棋の手解きを受けたとは以前に聞いていたが、
負けると悔しいので今まで直接対決したことはなかった。
小熊(=息子)を将棋でいじめていたら、
やがて笹藪から母熊が出てきて今回ケガをしたわけだ。
この一件以来さらに負けると悔しいので
直接対決はしていない。

私の母も祖父(私視点)より将棋を教えてもらって
まあ人並みに打てるようになった。
親父と一度勝負したあるそうで、
将棋初心者の親父はこてんこてんにやられて
それ以来将棋の話はしないそうだ。
その母がたまたま息子に将棋の駒の動かし方を
教えて息子が興味を持ち、
今回の話のネタとなったわけだ。

母は脳梗塞の後遺症のため、
駒の動かし方は分かるが、
戦略まで立てることがもはや出来ず、
毎度息子にこてんぱんにやられている。
それでも楽しいらしく、
漫才のような笑いの多い将棋を
息子と楽しんでいる。

店先でこんな風に打っている。
が‥、負けると泣いている。

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