旅の空色
2013年11月号
2013年、私にとってこの1年間は作家・太宰治に取り憑かれた年であった。
本来は地吹雪を体験したいという趣旨から始まった本年2月の青森旅行からの派生で、
その体験ツアーが行われる五所川原市金木町を訪れるなら、同地の顔ともいえる有名人・
太宰治のことは最低限知らなければとの軽い想いがそもそもの始まりだった。
金木町の一番の観光名所であり、太宰の生家である通称「斜陽館」は訪問予定に入っていた
ので私の旅行スタイルからしても当然の下調べであった。そしてたまたま題名から
目に飛び込んできたのが太宰の長編小説『津軽』で、太宰が故郷・青森を旅する紀行文風の
この小説は、これから初めて津軽地方を訪れる私にとっては、正にドンピシャの、
まるで那須与一(なすのよいち)が扇の的を射貫いたような大当たりの出来事で、
津軽訪問はより一層楽しさと深さを増し、同時に作家・太宰治についても深く掘り下げる
きっかけとなった。
それ以来、太宰治の小説はもちろん、太宰の研究書や関連書籍を読み込む日々となった。
小説では出会いの『津軽』から始まり、『魚服記』『ダス・ゲマイネ』『畜犬談』『女生徒』
『思い出』『走れメロス』『東京八景』『新ハムレット』『待つ』『富嶽百景』
『新釈諸国噺』『御伽草子』『ヴィヨンの妻』『斜陽』『桜桃』、未完だが『グッド・バイ』
そして最後の最後に『人間失格』を読んだ。これら太宰の代表的な作品を読みつつ、
合間合間に太宰の研究書や彼の人間像に迫る関連書も読み進めた。
大まかに太宰治についての研究成果に触れるために細谷博・著『太宰治』(岩波新書)。
彼と関係した女性たちから太宰を映し出す山川健一・著『太宰治と女たち』(幻冬舎新書)。
もっとも近くから太宰治を見つめてきた妻・津島美知子による夫婦の正史『回想の太宰治』
(講談社文芸新書)。太宰の名を一躍有名にならしめた大ヒット小説『斜陽』の原本であり、
太宰の愛人・太田静子の日記風小説『斜陽日記』。その太田静子と太宰との間に生まれた
落とし子、太田治子による父と母の回想録『明るい方へ 父・太宰治と母・太田静子』
(朝日新聞出版)。太宰と最後に入水心中した愛人・山崎富江の生涯を紹介した力作、
松本侑子・著『恋の蛍 山崎富江と太宰治』(光文社)。
そして山崎富江が太宰と知り合ってから共に死ぬまでを綴った日記『太宰治との愛と死
のノート』(長篠康一郎・編、女性文庫)といった具合にどんどん深みにはまってゆく
有様で、途中自分の探求行為がちょっと恐ろしくもなる時もあった。
だからと言って太宰治に心底心酔しているわけではない。これらの作品や研究書、資料を
読みつつ、一方で冷めた目で眺める自分もいたのだ。
なぜこれほどまでに太宰治の足跡を、面影を追い求めたのか?
それは「なぜ太宰治はこれほどまでに愛されるのか?」といった大きな疑問を抱いたから
であった。以前太宰治に関しては得体の知れない男として私のコラムで紹介した時、
幾人かのコラム読者から「実は私も太宰の大ファンです」という太宰賛美の声が上がり、
その熱い語りに驚かされた私であった。時を経ても色あせず愛され続ける太宰治の
求心力の秘密を見極めたくなったのだった。
太宰は死の臭いがする。
それが私の太宰治に対する第一印象であった。作家・太宰治については名こそは
知っていたが、推薦図書の『走れメロス』以外、つい最近まで作品には触れずに生きてきた。
私が最初に太宰治の人物像について知ったのは少年誌に載っていた四コマ漫画の作中で、
四コマ目のオチはいつも川に向って入水してゆく姿であった。4度の自殺未遂に挙げ句の
入水心中ではそのオチは太宰を言い当てていると言える。そんな太宰にも関わらず、
没後65年を経ても彼が愛されているのは周りを見ればすぐに知れるところだろう。
小説『人間失格』は言わずと知れた太宰の代表作であるが、新潮文庫・累計発行部数において
1位は夏目漱石の『こころ』に673万部と頭を押さえられつつも、『人間失格』は
657万部と3位のヘミングウエイの『老人と海』482万部を突き放して堂々の2位の
実績を誇っている(2011年8月末現在。日本経済新聞夕刊掲載記事より)。
ただこの実績。私感だが『こころ』は受験対策の文庫として推奨されていた部分もあるので、
その分実績は人の好みに関わらず加算される傾向があると思われる。対して『人間失格』は
多感な時期の青少年には少々刺激が強いような気がして、太宰治の集大成といえる名作だが、
お勧めできるかはまた別とも思う。近年、邦画界でも太宰の作品が改めて脚光を浴びていた。
2009年に『ヴィヨンの妻』(主演女優・松たか子。夫=太宰役に浅野忠信)。
同年に続けて『パンドラの匣』(主演に染谷将太)。2010年には映像化は難しいのでは
と言われていた『人間失格』(太宰役主演に生田斗真。親友に伊勢谷友介)まで挑戦された。
またテレビでも1年に少なくとも10回は太宰治を扱った番組に出会うと言ってよい。
BS放送で番組枠が増えたせいかもしれないが、再放送も含めてちょくちょく太宰治関連の
番組を目にし、明らかにその取り上げ方は他の作家たちに比べ群を抜いている。
なぜこれほどまでに太宰治とその作品は好まれるのだろうか?
最初に書いた通り様々な書籍に目を通したが、実のところ私ははっきりとしたその答えを
まだ得ていない。まあ本当はそんなに難しく考えず、この作品が好きだとか嫌いだとか、
面白いとか面白くないか直感的に考えるべきかもしれない。そのような読者の持つ素直な判断
=特権こそが太宰治の言うところの「読者の黄金権」なのだから。
なんか取り留めのない話になってしまったが、最後に私がいろいろと太宰関連を読んできて
一番のお気に入りとなった太宰治のエピソードをひとつ書き留めたい。
太宰の処女出版は1936年砂子屋書房から出た『晩年』という作品集で、当然太宰も
その記念すべき『晩年』の初版本を大切に持っていた。その本には太宰の直筆で「自家用」と
書かれていたが、実は元は「自殺用」と書いたものを後で「殺」の文字を消して「家」を
上書きしたという。当初その本は最初の妻・小山初代と水上温泉で心中する時に持って出て
遺品となるべき本でもあったのだ。ところが太宰は薬で苦しむ初代の顔を見ているうちに
興が冷め、「この女じゃだめだ」と吐き捨てて、初代を山中に置き去りにしたまま自分は
東京駅まで帰って来るが、手持ちのお金がなくなってしまう。そこで仕方なくなんと
その本を神田の古本屋でお金に換えたのだ。売却するのに「自殺用」の印は都合が悪いので、
影でこそこそと書き換えたわけだ。このエピソードが残るのはその時の太宰の姿をたまたま
見かけた人物がいて、太宰が1円で売ったそれをすぐ後に2円で買い戻したためだという。
太宰は死の臭いとともにぷっと笑えるユーモアも漂わせている。
■ 執筆後記 ■
「太宰はなぜ愛されるのか?」。
この問いは同じ男として嫉妬と羨望から出たものである。
確かに文学的才能は抜きに出ているものがある。
しかしだからといってその作品に対する好意が
今度は作者自身への献身的な愛となって向けられる不思議、
それを論理的に解明しようと試みた私であった。
少々野暮じゃないかと思いながらも‥。
作品の面白さはもちろん、
人物像も知れば知るほどミステリアスで、
実体の掴みにくい、うなぎをにょろにょろ掴むが如く、
次々に手を伸ばさなければならず、
どんどん深みにはまってゆくものを感じた。
時にやさしく、時に冷徹で、
数々の女性遍歴を重ねながらも
古巣には必ず帰ってくる。
器用なのか、不器用なのか、
幼稚なのか、狡猾なのか、
考え始まると切りがない。
そんなところが太宰について論じる時、
格好のネタを無限に提供してくれるようで、
時代を超えて男女を問わず多くの人を惹きつける
魅力となっているのかもしれない。
もっとも私自身、自らのことをどれだけ知っているのか?
いわんや太宰をや‥でもある。
目を凝らせばこの世はそこかしこ謎に満ちている。
このエッセイの考察では結局答えは得られなかったが、
このエッセイをお客様に投げかけることで
その問いに対するひとつの答えがお客様から返ってきた。
そのお客様曰く「だって太宰ってセクシーじゃん」。
太宰のどの写真からそう思ったかは分からないが、
とりわけ背中のラインがいいらしい。
縁側で新聞を読んでいるあれかな?
このお客様の断言に
私は平静を装いながらも
実はあることにハタと気付かされ
自分がとても恥ずかしくなった。
女性にとっていい男に勝る者はない。
私は石原裕次郎を連れて、この男の魅力ってなに?
と聞いて歩くのと同じ行為をしていた自分に
気付かされたのだ
(私の母親が裕次郎の理屈抜きの大ファンなのだ)。
自らについて今回知ったこと。
野暮な野郎はどこまでも野暮である。
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2013年2月 太宰の生家、斜陽館の前にて。息子・錬と。