旅の空色


2013年 1月号




『SNOW WHITE』

 「あれ!?雪が降っている」
遠い窓越しに降る雪を確認した私は子供のようにちょっとうれしくなった。
早速に嫁に「今、雪が降っているよ」とメールをした。
嫁も今の今まで気が付かなかったらしく、驚いたという絵文字と「この雪は積もるぞ。
雪国の女の勘だ」と付けて返信してきた。遊びに夢中だった私はそんな嫁の言葉を
軽く受け流した。だいたい雪国の女といっても嫁は仙台っ子である。
仙台は東北にあるとはいえ比較的温暖な土地で、また近年の地球温暖化の影響もあるのか
積もるような雪が降ることは希なのだ。4年間彼の地にいた私からすれば
嫁が雪国の女たるかははなはだ疑問である。そもそも嫁にスキーを教えたのは他ならぬ私だ。
当初仙台あたりの人なら冬はスキーを履いて学校に登校することもあるのではなどと
空想していたが、そんな話は同じ東北でももっと北のしかも山間部の話で、
嫁を始め彼女の友達もほとんどスキーができないという有様で、
仙台は東京よりはちょっと雪の日が多いといった案配なのだ。
そんな嫁の勘など当てになるはずはない。それに今朝見た天気予報も雪が降っても
さらっと降る程度のニュアンスであったと記憶していた。東京で積もる雪が降るなど
滅多にないのだ。ここで10cmも積もったならば大混乱となるだろう。
夕方、そろそろ帰ろうと外に出た私は唖然としてしまった。
広い露天駐車場は白一色の銀世界に一変していた。私は少し混乱した。
積雪は15cmを観測したと後から聞いた。

 「はてさてどうすべきか?」
本当に困った。今更ながら雪国の女の忠告を真摯に受けておくべきだったと後悔した。
ここらではちょっと雪が積もっても車の往来の激しい道路は地面が見えるものだが、
この日の雪は降りが激しく、車がわだちを掘る以上の勢力で雪を積もらせて、
道路すらも白く支配していた。この状態で無事帰れるかどうか不安になってきた。
さらに雪の降る勢いに弱まる様子はなく、状況は刻一刻と悪くなる様に思われた。
とりあえず我が愛車までと数歩踏み出すと、靴が易々と雪に埋めれるほどの積雪とわかり
改めてぞっとした。愛車も厚い雪に覆われて雪を降ろさないと動かせる状態ではなかった。
 車の雪を払った後、いろいろと考えあぐねたが、自信があるほどではないにせよ
雪道の運転のコツは一応知っていたし、車は四駆でもありなんとかなるだろうと判断した。
ただタイヤはあくまでもノーマルなので滑り易い。とりわけ他の車で踏み固められた
道のわだちは氷の上のような状態であろう。私は慎重に車の四輪がしっかり雪を踏んで
歩くようにそろりとセカンド発進で車を前進させた。自宅までおよそ5km。
いつもなら軽快に飛ばして15分程度で走り切る距離である。
その日の帰路は時速10km程度のおっかなびっくりの長い道のりとなった。

 「私は目の前で車がダンスをするのを2回見た」
1回目はスキー場からの帰り道だった。その日スキー場のアナウンスは道路の凍結が
予想されると何度も警告していた。スキー場の駐車場を出て長い坂道に差し掛かった時、
突然目の前のスポーツタイプの車がクルクルと回転し出した。危ないと思ったが
そんな滑る道でのブレーキは厳禁だった。回転した車は慣性の法則に従い、
前に移動しながら回り続け、やがて反対車線に反対向きでピタリと止まった。
まるでなにかの冗談のような結末で、幸運にも車は無傷だったが、運転手は生きた心地が
しなかっただろう。狭い道のためUターンができず、その車は仕方なくまたスキー場に
向かって登って行った。もう一度凍結した同じ坂道に再挑戦といったおまけ付きだった。
2回目は前を走っていた友人の車だ。大きな四輪駆動車で真っ直ぐな平らな道で
突然クルクルと回り出した。いずれの車も雪用のタイヤ・スタッドレスを履いていたが、
すべる時はそんなものだと私に教えてくれた。

「これから冬の青森に行く人がそんなので大丈夫?」
やっとの思いでげっそりした顔つきで帰宅した時、嫁にそう言われた。
全く油断できない運転に加えて、途中途中スリップして動けなくなったり、
路肩に突っ込んだりして雪の餌食になった車を見ては、緊張のムチに打たれての帰路だった。
そうだ!これから私は物好きにも大雪の青森に行くのだ。
しかしそこら辺はちゃんと思案してある。行き帰りの新幹線はもちろん、
青森でもフリーパスを使って電車や路線バスでの移動を基本としているのだ。
腕を過信しないこと、また天候や万が一の事も考えて車(レンタカー)は敬遠したのだった。

 「『走れメロス』クイ〜ズ!」
今回、青森旅行において太宰治の生地を訪れるにあたり、息子には彼の代表作のひとつであり
息子にも馴染み易い内容である『走れメロス』を何回も読ませている。
そこで息子の読解力を見るにあたり簡単な5問テストを行った(さらに答えやすくするため
3択の答えとした)。果たして結果は‥ブブー!最後の1問を間違えた。5問目の設問は
「メロスはどんな男か?」というものだった。息子は「ぜったいにあきらめない男」の
答えを選んだ。しかし実は物語では一度あきらめていたのだ。帰り道、増水した川を
命からがら渡りきり、力尽きたメロスはもうどうでもよくなっていたのだった。
たまたま近くに清水が湧き出ていて、それを飲んで息を吹き返したという幸運だった。
私が用意した5問目の正解は「正義が好きだがちょっとわがままな男」だった。
気に入らないとすぐに人の首をちょん切る王様に悪行を止めるよう直訴した正義感はすごいが、
そんな王様から当然の成り行きで死刑を宣告されたメロスは自業自得とも言える。
するとメロスは死ぬ前に故郷の妹の結婚式だけは立ち会いたいと手前勝手を言い出し、
何と街にいる友人を身代わりの人質として指名している。私がその友人だったら迷惑千万な
話である。加えてメロスのそんな個人的な事情で、まだ全く準備の整っていない妹の結婚式を
新郎の家族の迷惑を顧みず半ば強引に挙げさせている。メロスこそKY(空気読めない)では
ないだろうか?ただこのメロスの性格は作者・太宰治譲りのものでもあるようだ。


■ 執筆後記 ■

 実は、私は雪かきが大好きなのである。
雪が降り積もった翌朝はわくわくしてしまう。
早く起きて、車に荒らされないうちに、
店の周りの雪をさっさと片づけ始める。

あの重労働の何が楽しいのか?
雪かき用の、あの受け手の大きい、
プラスチック製のシャベルを
道路上の雪の面にさくっと入れて、
欲張りに大きく白い平たい面の塊をすくい上げて、
邪魔にならない片隅に積み上げて行く、
その単純作業がたまらないのである。
そして少しずつ雪が片付けられた道路面が広がってゆく、
その傍らにその成果たる雪の山が大きく成長してゆく、
これはいにしえの開墾の記憶を辿る姿なのかもしれない。
働けば働いただけ自分の田畑たる支配地が広がり、
その地の稔りにより、倉に糧が溜まってゆく、
そんな大昔の法則が細胞の片鱗に刻まれていて、
雪かきに投影されているのかもしれない。

またこの単純作業は無心にもなれる。
余計な考え事は無用である。
シャベル以上の道具もない。
ただただ目の前の課題に
体力を持って挑むのみである。

やがて店の周り一面に道路が蘇ると
心は達成感で満ち溢れる。
目に見える成果だがら満足感も一入である。
雪の積もりが厚いほど、
人の動きは遅く
どうせ午前中は商売にはならない。

びた一文にもならない雪かきであるが、
その日一日心はいつになく清々しい。

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