旅の空色


2013年 8月号




『旅支度』

息子の旅立ち

 自宅へ帰ると…、嫁と息子があーだのこーだの何か言い合っている。
息子がまた何かしでかして、嫁の雷でも落ちているのかと恐る恐る覗いてみると、
積み重ねられた衣類の山々や数々の小物を挟んでお互い向き合い、
それだあれだ、そっちじゃない、ちゃんとどこに仕舞ったか覚えておけと息子は嫁に
厳しく指導されている。どうやら林間学校に行く準備をしているらしい。
3日分の衣類から始まり、洗面用具、筆記具一式、ジャージにパジャマ、担当係の用具等
旅のしおりによると38項目もチェックがあって、たいそう大騒ぎな荷物である。
やがて2時間後、大きなボストンバックとリュックサックに何とかそれらを詰め込んだ時には
嫁も息子もげっそりとした顔をしていた。そんなふたりの姿を変に巻き込まれないように
遠目で見ながら、私は自分の小学生の時の林間学校のことを思い出していた。
あんな大仰な用意をしただろうか?と。私の時は母がほとんどの下支度をしてくれて、
ちょっと荷物を確認しただけで出掛けてしまったと覚えている。
確か衣類と下着とジャージと洗面用具、タオル類、それに形ばかりの筆記用具さえあれば
こと足りたはずだ。そう思い返していると、当時私は林間学校に乗り気ではなかったことも
思い出した。その後の6年生の修学旅行も、中学時代の林間学校も後ろ向きな姿勢であった。
今では馬鹿が付くくらい旅行好きの私だが、当時はあまり出掛けるのは好きでなく、
いわゆる出不精の類であったのである。ただ中学3年の修学旅行直前の家庭訪問で
母が担任の先生に、息子は珍しく今度の修学旅行を楽しみにしているんですよなどと
もらしていたのを記憶しているので、どうやらそこら辺りから変化があったようだ。
何が原因でそうなったかは思い出せないが‥。
 そんな昔の心情を思い出しながら、私は息子に「どうだ。林間学校楽しみだろう?」
と聞いてみた。すると意外にも「やだなー」という答えが返ってきた。
息子は友達付き合いも良い方で、みんなで出掛けるのを楽しみにしているとばかり
思っていた私には予想外の答えであった。「なにが心配なんだ?」と聞いてみると
「布団の上げ下げが面倒」という。今回は公共性の高い青年の家を宿とするそうで、
それは当然の奉仕である。息子の言うには布団のシーツをピシッと揃えてたたむ手間が
嫌らしい。「バカ。そりゃ贅沢病だ。」と息子に返した。
そこで今度は「じゃあ、何が楽しみだ?」と林間学校にかける期待の思いを聞いてみた。
すると「バイキングとドリンクバー」だという。呆れた。
「そんなのそこいらのファミレスにあるだろう」と声を荒げた。
 息子のこのいまいち乗り気でない態度に不安を覚えた私は、お店に来る同級生の子供達に
同じような質問をしてみた。すると意外にも不安を抱える子供が多いことに驚かされた。
私の時代は多くの友達がこのような旅行を楽しみにしていて、嫌がる私は少数派だったと
覚えているが、記憶違いだったのだろうか?それとも初めて親元を離れて先生と友達だけで
過ごす日々に不安を抱えているのだろうか?まあいざバスが出発してしまえば、
なるようになるもんだとも思ったが、心意気を真っ直ぐ立てて出掛けてもらうために
何かいいアドバイスはないかと私は考えたのだった。

息子へのアドバイス

 息子・錬(れん)は集中力が足りない。ぼーっとしている方である。
だからこまごまと言って聞かせても身に付かない。正に馬の耳に念仏となる
(とこの箇所を息子に読み聞かせると、うんうんと本人も全肯定していた)。
そこで林間学校出発前夜、息子を捕まえて向かい合って座らせた私は言葉を選んで
息子に告げた。「お前は明日からの林間学校にちょっと不安を感じているかもしれない。
でもよく考えて見ろ。お前ほど旅に慣れた子供は周りにはいないだろう。
ここ2年、パパと二人で4度ほど出掛けている。宮城に行って大津波に襲われた街跡を見たり、
大雪の降る凍り付くような青森を歩き回ったり、岩手の断崖絶壁の海を探検したり、
自分の荷物は自分で背負って、自分の面倒は自分でみてきたじゃないか。
だからたくさんの先生や友達と行く林間学校なんて何も心配することはないよ」と。
このアドバイスが効いたのかどうかはわからないが、息子は旅立ち前夜、
叩き起こさなければ起きないほど熟睡していた。
 3日後、息子は林間学校から元気に帰宅した。お友達も特に体長を崩した子もなく、
天気にも恵まれた旅行だったそうだ。さて、息子にとって林間学校はどんなものだったの
だろうか?と思い出を尋ねてみると、山登りで自らの健脚ぶりが披露できたと自慢げに
話していた。そう言えば機会あるごとに足も鍛えてやったものだ。
高尾山から始まり、山梨の塩山、金時山、東京青梅の御岳山、日光戦場ヶ原と親も歩きは
素人ながらも、楽しく歩くことは教えてきたつもりで、その成果はあったようだ。
ところで一番楽しみにしていたというドリンクバーは‥、コーラが出ないようになっていて
期待は裏切られたそうだ。大体、学校の行事でコーラ飲み放題になんて聞いたことがない。
 そして失敗がひとつ。頼んだつもりはないのだが、何を気を利かせたのか私にも
おみやげを買ってきた。小さな銀色のリンゴに青いガラス玉を埋め込んだアクセサリーで
何でも仕事運が上がるという。「いつもお仕事がんばっているから‥」などと
うれしい台詞まで付けて、私も一時胸にぐっと込み上げるものがあったが…、
「おい!これは買っちゃいけないおみやげだって先の旅行で教えたばかりだろう」
という話に急展開となった。先の旅行でも友達におみやげを買うんだと選んだものが
日本刀のミニチュアアクセサリーで、いかにも男の子らしい選択ではあるが、
そんなものはどこにでもあるもので、せめてそれでも買った場所の地名やいわれの刻印ある
ものを選べと教えたばかりなのだ。案の定、その銀のりんごにはなんの刻印もなく、
下手をすれば高速道路のパーキングごとに置いてそうな代物である。
ただただきらきらとした綺麗さに見とれて手が伸びたのだろう。
まあ息子の気持ちも汲んでくどくどと言わずに、次回失敗しないように注文は付けて、
その銀のりんごはありがたく頂戴し、私の携帯電話のストラップに収まっている。
 いつか息子が大きな旅立ちをする時には、昔読んだ小説のように学業のこと、
人との付き合いのこと、酒席でのこと、異性のことなどなど細々とアドバイスしたいものだ。
そして何よりも「いつでも親として心配している」という気持ちを伝えたい。
たとえ煙たがられても、執拗にしつこく、何度でも‥。


■ 執筆後記 ■

 息子・錬(れん)が小学校4年生になってから
ここ2年ばかり、旅好きな私は息子を連れて
旅をするようになり、エッセイにおいても
親子ふたり旅と紹介しているが、
実はこの親子旅には毎回もうひとり、
私の友人Kが参加していて、
厳密に言えば親子ふたり旅とは言えない。

 純粋に息子とのふたり旅でも
私自身はもちろん息子も
なんら不便はないのだが、
友人Kには必ず誘いの電話をして、
結果毎度3人で出掛ける形になっている。

 友人といっても私より一回り以上年上で、
体格もよく似ているので、知らない人が見れば
親子と見間違う友人Kである。
息子も以前から知っていて
よく懐いているので、お互い気兼ねなく
旅行に行けるというわけだ。

 友人Kを誘うのは、友人Kの一身上の事情で
Kを元気付ける理由もあるのだが、
その事情は別の機会に紹介するとして、
私の息子にとっては甘えられる他人として
毎度お誘いしているわけもある。

 以前エッセイで紹介した通り、
息子に少しでも独り立ちする機会を与えようと、
知らない町を歩かせているわけであるが、
と同時に時には他人に甘えることの大事さも
教えるために友人Kがいるのである。
いつまでも私たち父母が息子を見守るわけにもいかず、
といって世を渡って行くには様々な人に世話になることが必要で、
とりわけ他人でも味方になってくれる人は百人力とも言え、
その第一歩が友人Kというわけである。

 息子と二人で旅行なんて羨ましいと思われる方もいるだろう。
もちろん毎回なんだかんだとありながらも楽しく過ごしている。
しかし当然のことながら、ただでさえ旅行にはお足が要るのに
息子の分もとなると、さらに1.5倍の負担となっている。
私自身けっして豊かな身分ではないので、
現在お財布は火の車だが、素直について来る今こそが
息子との黄金期だと、爪に火を灯すような倹約の元、
何よりお金より時間と機会を優先して連れて歩いているのだ。

後にこの文章を成長した息子が読んだならば、
涙を流して父に感謝するだろう。
必ず、きっと、たぶん、おそらく、そうあるべきだが、
そのはずで、そのようになってほしい、と願います。

(2013年7月。青森・種差海岸にて。息子・錬と友人K)

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