旅の空色


2013年 4月号




『錬観察』

 私は子供の授業を見学するあの授業参観が大好きである。
息子が小学校に入学して以来、呼ばれるとほぼ欠かさずに参加してきた。
ほぼというのは一度少し遅れて行った時があって、見学者の多さに教室に入ることができず
そのような場合には廊下から教室の狭いドア越しに、まるでのぞくように、
授業を見学する体となるが、そんな映画の立ち見のような状態に我慢できなくて
ひとり腹を立てて、息子の目線を背に早々と帰ってしまったことがあったのだった。
だからその失敗を教訓に、今では父兄の中では大抵一番乗りに教室に入ってよい場所に 
陣取っている。私にとって授業参観は趣味の一環なのだ。時たまある学校からの
アンケートには授業参観の機会をもっと増やしてくれるよう嘆願している
(ちなみに学校としては予め断りがあれば、大抵いつでも授業風景を見られるそうだが、
そこまで熱心ではない。それではちょっとモンスターペアレントっぽいし)。

 毎度息子には私が見に行くことを予め伝えることはない。いよいよその時間が迫ると
キイコキイコと自転車をこいで学校に向かい、息子が校庭で遊んでいる隙を見計らって、
そろりと教室に入る。そしてまずは顔見知りの息子の同級生たちに挨拶する。
私は商売がら店にいることが多いので、多くの子供たちと顔見知りであり、
そんな彼ら彼女らと改めて学校で挨拶するのも楽しみのひとつでもある。
学校ではいつもと違ってツンとする子や、シャンとかしこまる子、
また気兼ねなく向こうから声を掛けてくる子と反応も様々で面白いものだ。
私はいちいち丁寧に相手に応じて目や言葉で挨拶を交わす。すると子供たちは一様に
「錬くんのうちはあのお父さんが見に来た」といった意味を含む笑顔や細笑みを
返してくる。やがて授業の始まりを知らせる予鈴が鳴り、外で遊んでいた子供たちが
元気よく教室に戻ってくる中に我が息子を見つけ、ついに目と目が合う。
すると息子は決まって「ちぇっ!パパが来た」とばかりに舌打ちする仕草で嫌な顔を向ける。
私の挨拶代わりのささやかないたずらの成功である。息子のその顔がまず見たかったのだ。
息子が自分の席に着くと、私はそっとその近くまで寄って行き、両腕を組んで
厳しい顔で仁王立ちし、背後より息子をにらみつける。息子は振り返ると、
私の様にびっくりして、また嫌な顔をする。そう、お前はこれから厳しい監視下となるのだ。
肩をすくめて前を向き姿勢を正す息子。でもその背中はどこかうれしそうでもある。
いよいよ授業が始まると、私のにらみの効きもあって、息子はしごく模範的な姿勢で
勉学に励む。が…しばらくすると気が緩み始め、いつもそうしているのであろう
落ち着かない仕草を見せ始める。貧乏揺すりをしたり、椅子を仰け反らしたり、
爪を噛んだりといった具合である。私は咳払いをしたり、背中を突っついたりして
息子に緊張を戻させる。授業中そのイタチごっことなる。
やがて授業が終わると息子への声かけもそこそこに早々に教室を退散してお店に帰る。
その後はやはり自転車でキイコキイコと後からやってくる嫁に途中ですれ違い様に
バトンタッチ。参観後の父兄の話し合いなど面倒なことはすべて嫁任せなのだ。

 実にほほえましい様子で我が息子の授業参観を紹介したが、
実際には傍目から見ればおそらく退屈極まりないものだろう。大体我が息子には
見せ場というものがない。手を上げて答えることもなければ、前に出て発表することもない。
一度だけたまたま当番で前に出てスピーチする機会があったが、
緊張のため混乱してしまってほとんど何もしゃべれず、見ていて冷や冷やしたことがあった。
五年生となった今でも、ちゃんと先生の話を聞いているんだか、言われたページを
開くのも遅いし、時には違う教科書を開いている時もある。ノート取りも乱雑で、
出された課題の取り組みもやる気薄に見える。周りのクラスメイトと比べると
とても幼稚に見えて、毎度情けない思いである。自分の息子を捕まえてこう評するのも
なんだが、息子はとりわけ得意なものがあるでなし、熱中するものもあるでなし、
根性もなく、集中力に欠けて、要領も悪い。基本、気力のない、いわゆるヘタレキャラ
なのである。ただ私にはその息子らしいヘタレ振りが面白く、毎度情けない思いをしながらも、
本日のヘタレ具合を楽しみに授業参観に参加するのだ。はなから期待しない分
また失望も少なく、その点は気楽に行ける授業参観とも言える。
散々な言われようなので一応息子のよいところも紹介すると、明るい性格であることと、
くよくよしないというところか。ひどく怒られても、しばらくすると鼻歌などを歌い出し
すっかりリセットされている変わり身の早さは見事であり、ある意味才能かもしれない。
ただそんな場合多くは反省が足りないと再度怒られる羽目となるが‥。
 「錬観察」。息子・錬(れん)を観察するのは実に面白い。
ヘタレ具合といい、運動神経の悪さといい、まるで過去の自分と対峙しているようにも
感じる。しかしやはり息子は息子で、昔の私よりは成績は良く(低レベルでの比較だが)、
神経質で臆病だった私と違い、大ざっぱで恐いホラーものにも強く、どこでも寝ることが
できる。今でも枕が違うと眠りが浅い私としては、一緒に旅に連れ歩いても楽である。
人見知りもしないので余計に都合がよい。徒競走や持久走の成績はビリエリアなのに、
歩くことは強く、先日2月の青森旅行でも1日あっちこっち雪で足の悪い中、
散々歩き回った割には、おそらくは電車の乗り換えなども含めると10kmほど
歩いたと思うが、自分の荷物をリュックに背負いながらも、一言も根を上げずに
楽しく歩き切り、久々に息子に感心した。前から健脚であるとは思っていたが、
やはり足に自信がある私でさえもかなり疲れを覚えた旅程だったので、
ちょっと大人になった息子を見れたようだった。
 ただ最近残念なことは、だいぶ自主性に任せる年頃となったため、遊びに出た切り、
どこで何をしているやら、その行動が見えなくなってきたことだ。またやがて
中学ともなれば、授業参観などもなくなり、、ますます観察する機会は減るだろう。
旅行にもいつまでついてくるやら、あまり期待しないようにしている。
しかし何らかの方法で、遠くからでも密かに観察は続けたい。温かく見守るというよりも
一人の人間の成長と挫折とヘタレをこれほど間近に観察できる機会など他にない、
絶好の観察&研究対象でもあるからだ。
 なお、今回息子をいじり過ぎたかと思い、息子にこのコラムを読ませて内容確認を
させたところ、「僕はヘタレです」という快諾を得た。


■ 執筆後記 ■


さんざん歩いてもこの元気!
2013年2月 青森県弘前市、弘南鉄道駅舎前の道路から除雪された雪山上にて。

 この日、朝4時半起きで大宮駅6時30分発の東北新幹線に乗り、
朝9時半に新青森駅着後、三内丸山遺跡の雪に覆われた広い敷地内を歩き回り、
青森駅前のねぶた会館=ワ・ラッセや青函連絡船メモリアルシップ=八甲田丸船内を観光、
そして弘前へ電車で移動後、この南弘電鉄で黒石市へ移動し、
市内こみせ通りを雪行軍、さらに雪祭りの明かりに誘われて広い弘前城城内を
綿雪の降る中を歩き回り、この日1日10km超、
半分は足元の悪い雪道を歩いたにも関わらず、
息子・錬は根を上げるどころか、終始笑顔で歩き切った。
私や友人Kと過ごした時間がよほど楽しかったのか、
幼き頃より抱っこより歩かせたのが功を奏したのかはわからないが、
旅のパートナーとして、お荷物にはならない、信頼できる脚力と感心した。
『旅友育成計画』ココニ完成ス。

正直、翌日の疲れを心配したが、この元気!

翌朝、弘前駅9時14分着の寝台特急「あけぼの」と息子・錬。
「あけぼの」は2014年3月14日を最後に定期運行終了した。

この後、9時28分発の五能線で五所川原市に向かう。

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