旅の空色
2013年10月号
馴れないことはするものでない。すぐにそう思った。
ちょっと登っただけでもう息が上がってきた。昨日寝付きが悪かったので、
睡眠不足が祟ったのか。それともロープウエイで一気に上がってきたので、
高山病の初期症状かもしれないなどと考えあぐねた。とにかくはあはあと息苦しくて、
息絶え絶えで、とてもこれ以上登る気にはなれなかった。妻の様子はと見てみると‥、
やはり同じような具合らしく、息苦しそうな顔をしている。
私はあごで場所を示し、少し休もうと合図して、二人揃って岩陰にしゃがみ込み、
あまり無理はしないで引き返そうかと額を寄せ合って相談した。
すると頭の上から‥「パパ〜。ママ〜。」と元気な声が降ってきた。
息子・錬は猿のような身軽さでひょいひょいと岩と砂利の傾斜を登っては
振り返り振り返り手を振り、早く早くと誘っていた。随分と長い間、狭い車の車内に
閉じ込められていた反動か、今日は堰を切ったように馬鹿に元気がいい。
私たち夫婦は疲れた顔を見合わせてうなずき合い、仕方なくまたとぼとぼと登り始めた。
私の顔によっぽど疲労の色が出ていたのだろう、上から下りてくる小学校低学年くらいの
子供に挨拶代わりに「がんばってください」と励まされた。しっかりした足取りの
子供だった。それに比べ我が身ときたら情けないったらありゃしない。
那須高原の行き止まりにある那須岳、別称・茶臼山は標高1915mあって
この付近では一番高い山である。正確にはすぐ近くにある三本槍岳が1917mと
わずかに高いが、これまた近所の朝日岳(1896m)とみっつの岳をくくって、
日本百名山のひとつに数えられる名峰となっている。普段登山に縁の無い我が家が
随分と高い目標を目指したように見えるが、実はこの那須岳(=茶臼岳)、
7合目まで舗装路が整備されていて、楽々と車で登れる。しかも七合目から
九合目まではロープウエイでひとっ飛びという、山の素人には至れり尽くせりの名峰なのだ。
九合目からは頂上まで残すところ231mの高さという、なんちゃって登山の山である。
の割には空気が薄いのか、ちょっと登っただけで息が上がってしまった私たちであった。
そんな両親の事情にはお構いなしに、息子はどんどん元気に登って行き、仕方なく付き従う
形の登山であった。しかししばらくすると体が馴れてきたのか、呼吸も踏み出す足も
だんだんと軽くなってきた。そして登り始めてから苦闘約1時間、
岩と砂利の山肌と格闘の末、ついに私たち家族は那須岳山頂に立った。
登り切ってみると、今までの苦しさが嘘のように晴れて、清々しい気持ちで
山裾に広がる下界の美しさを堪能できる。見飽きることのない景色である。
心が洗われるような視感と体感、そして澄んだ空気が山登りの醍醐味であることを
改めて思い知らされた。ああ、やっぱり登ってよかったとしみじみと感じる入る。
そして山頂でさらにハイテンションの疲れを知らない息子の姿に目を細めては
改めて子供の成長にも気付かされるのだった。
その日最高の笑顔
初秋の三連休のその日、那須岳は久しぶりの晴天に恵まれたそうで、
多くの人々で賑わっていた。残念ながら紅葉にはまだ少し早く、近隣の山々では肩から上が
黄色く色付き始めた程度だったが、訪れる人々は本格的な登山者を始め、
家族連れやカップル、女子会、男子会、気の合うグループとあらゆる色彩が入り交じっていた。
ロープウエイの頂上駅からは、それらの色色が細い登頂ルートに沿ってつぐまれ、
カラフルなアリの行進のように1本の糸となって山の頂上に向って伸びていた。
登って行く色もあれば、下ってくる色もあった。
私がその三人と出会ったのは、山から下りてくる途中であった。大勢の人が絶えず
行き来しているので、特段そのひとりひとりに注意を払うことはなかったのだが、
その三人は流れから少し外れて引っかかっていたので私の目に止まったのだ。
老齢の夫婦と小学校3〜4年生と思われる女の子の三人であった。
夫婦は軽装ながらも靴からズボンから上着まで、ちゃんとした装備をしていて
いかにも山慣れした二人であった。お嬢ちゃんも真新しい装備一式にストックを持って
一端の格好である。が、どうも山登りは初めての様子で、砂に足を取られて遅々として
登ることができなかった。老夫婦は少し上の斜面から女の子を励ましていた。
もうお昼はとっくに過ぎているし、頂上まではまだまだ道のりもあり、
この調子で果たして登り切れるのか、私は傍目に気の毒な思いがした。
もしも我が息子・錬がその状態ならば「なにやってんだ!しっかりしろ!」とばかりに
きっと檄を飛ばしただろう。山慣れした老夫婦もさぞかし困り顔だろうと伺うと、
二人とも仲よく並んでニコニコと愛孫を見守っている。まるで山に咲いた一輪の花を
愛でるような、満面のやさしい面持ちだった。私はその温かな陽を放つような笑顔に
気付かされたのだった。老夫婦にとっては、自分たちの大好きな趣味に孫がついてきて
くれただけでも至福のことだったのだと。孫に山衣装をまとわせて、
山の裾に立たせただけでも十二分に喜ばしきことだったに違いない。
その日は午後から少しずつ風が強くなってきたので、山慣れしたその老夫婦が
不慣れな孫を頂上まで連れて行けたかは分からない。でも老夫婦にとっても、
四苦八苦したお嬢ちゃんにとっても、輝くよい思い出の1枚になったことだろう。
私たち家族も、とりわけ達成感いっぱいの頂上において、輝かしい写真を何枚も納めてきた。
頂上では他にもたくさんの人々が同様に思い出の写真を笑顔一杯で撮っていた。
その日多くの笑顔で埋め尽くされた那須岳であっただろうが、私にはあの下りの途中で
出会った老夫婦の笑顔が一番まぶしく思えた。
やっとロープウエイの駅に辿り着くと、ちょうど今登って来たいろいろな色の
お客さんたちとすれ違った。中でも若い女の子たちのグループは異彩を放っていた。
ハイヒールサンダルにひらひらとした薄手の服にラメラメとした厚化粧。
原宿辺りから迷い込んできたような女の子たちであった。
那須岳は来る者は拒まない懐の深い山である。
■ 執筆後記 ■
(2013年10月14日。那須岳頂上にて。息子・錬と嫁を写す)
家族で那須岳に行くよっと
山好きの友人に言うと、
早めに出掛けた方がいいよ、混むから、と忠告をくれた。
しかしその時その忠告の意味をよく理解できていなかった。
果たして那須岳のロープウェイ付近まで車で登ると‥、
大渋滞であった。
途中、那須温泉郷などはすいすい通過したので
無用な忠告だったと安心していたのだが、
ロープウェイまであと2km足らずというところで
車列にピタリと車が動かなくなった。
結局、急な斜面の中に作られた
猫の額ほどの駐車場に入るまで
そこから2時間近くを要した。
中にはこの渋滞に耐えきれず、
途中の道ばたに路上駐車してしまう車も
数多くあり、ただその車のタイヤには
警察が付けた違法駐車を示すチョーク跡もあったりで、
そう安直にそんなマネもできないように思われた。
但し路線バスは反対車線を使って渋滞を回避しながら
行き来する特権があるようで、とりわけ休日などは
那須温泉郷あたりからバスを使った方が有利かもしれない。
後日この顛末を忠告をくれた友人に話すと
だから言った通りでしょ!っと呆れられ、
だいたい山登りってのは
夜明けと共に登り始めるものだよっと
お説教を食らった。
たいてい我が家では夜明けと共に布団から起き出して
出掛けるのが常である。
フツーはそうだよね?
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