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富山・金沢の旅
『世界遺産の白川郷を筆頭に、福光市の福光美術館に棟方志功の居住家跡、
おわら風の盆の観光会館に、滑川市のほたるいかミュージアム、海王丸パークと新港大橋、
北前船廻船問屋 森屋に、高岡大仏と国宝・瑞龍寺(ずいりゅうじ)、道の駅・氷見と
雨晴海岸(あまはらし)』。富山を訪れるにあたり、どこを観光したいのか?と問われた
ので、ここぞというところばかりを選んでリストを送った。そして返ってきた返事は、
「白川郷は雪深くって行けません」というものだった。えっ〜!世界遺産だし、
いの一番の名所でしょう。それに雪を被った合掌造りこそ風情のあるものじゃないの?
と反論したかったが、地元の人がそういうのだから反論の余地は無かった。
客として迎えてくれる地元の人に、あまりこまごまと言うのもなんなんで、結局
そちらにお任せしますということとした。
どうも北陸とは今まで立合いが合わなかった。2015年春に金沢まで北陸新幹線が
延伸されたのを皮切りに、2度ほど友人たちとの間で話が盛り上がったが、遂行人数や
スケジュールの急変で計画は流れた。今回の友人Kから来た話も、秋に訪れる話から
始まったところ、富山の友人Sの都合が合わないとかで延期となった。
そして2017年2月、満を持して旅の計画が進む中、訪問先希望のリストを送った結果が
上記の答えだったわけだ。これまでよくよく下調べはしてきた旅の計画だったので、
目玉の名所を否定されてこれまた出鼻を挫かれた形だった。本当に我々を迎える
気があるのかないのか。人任せの旅ゆえの不安と重なって、行く手には暗雲が
垂れ込めている心持ちであった。そんな不安と大宮駅で合流した友人Kとを乗せた
北陸新幹線は、大宮駅より約2時間後、定時の10時半ころに富山駅に滑り込んだ。
Kの友人という富山のSなる人物はどんな人だろう?新幹線の中央改札を出たところで
待っているという話だったが、それらしい人は見当たらない。と、まさかこの人ではない
だろうと一番低い可能性としていた人から、友人Kに声が掛けられた。
ハット帽子に地味な柄の吊しの背広にひもネクタイ。いかにもうちの親父と同じ世代
といったファッションと笑った時以外は表情が読みにくいしわの多い顔が第一印象であった。
えっ!このご老体と一緒に行動するの?不安の種がまたひとつ増えた。
確かに宮城の友人Kとも一回りちょっとの年の差があるが、友人Kは血色の良い丸顔のお陰
だろう、そんなに年齢差を感じずに、一緒にいると、少し年の差のある兄弟のように
他からはよく見られた。しかし富山の友人Sは、どう勘定しても誰しも親子ほどと
推察する容姿で、実際年齢も74才だと後に判明する。それに真面目な気質のため、
会話も固く、普段客商売をしている私とは言っても、話のきっかけが掴みにくかった。
果たしてこれから丸2日間、寝食を共にするのかと思うと、早速に気疲れを感じた。
ただひとつ、年齢を感じさせないのが車の運転であった。びゅんびゅん飛ばすし、
細いところもすり抜けて、車幅感覚も完璧。そして2日間の運転をすべてこなしてくれた。
今回の1日目は富山、2日目は金沢市内という旅行で、一番印象的だったのは、
富山・石川の両県ともにお金がよく投下されている、公共投資が目に見えて盛んという
点であった。いずれも北陸新幹線の延伸開業で、おそらくは国の予算が大きく組まれて
いるのだろう、街の開発が急ピッチである。いままでいろんな街を訪ね歩いたが、
これほど開発が賑やかに行われていると感じたのは始めてであった。それは裏を返せば
それまではさびれる一方だったとも言え、富山駅前の古びたビルのいくつかがその裏事情を
物語っているようにも思えた。
富山においては富山駅の再開発がそのシンボルであろうか。真新しい市電、路面電車が
新幹線の駅高架の下のホームに二輌並んですっぽり入るようになっていて、
アクセスがなんとも格好いい。同じく高架下に”きときと市場とやマルシェ”なる売店街も
整備され、富山のおみやげのほとんどが扱われているのと同時に、寿司や、居酒屋などの
飲食店では、富山湾で獲れた旬の新鮮な食材をここでほとんど味わうことができる。
さらに飲食店での注文は席備え付けのタブレットで出来て、英語はもちろん、
中国語、韓国語、果てはアラビア語まで対応できる徹底ぶりであった。
金沢市での目玉は金沢城の復元事業であろう。有名な兼六園(けんろくえん)のすぐ隣
である。以前は石垣ばかりが残る城跡といった、いわゆる城址公園だった金沢城を、
大名としては最大、加賀百万石時代の金沢城の勇姿に復元しようという事業である。
城郭規模(城郭=城全体)で、復活させようという試みも前代未聞の大事業であるが、
さらに酔狂なことに、可能な限り、当時の姿、太い木材と、漆喰の壁、厚い屋根瓦に
くぎを使わない技法で復活させようというのだから、城マニアである私もその野望の
大きさに度肝を抜かれた。熊本城天守閣などもそうだが、普通、当時の姿がそのまま
残っていない場合は、限られた予算の中では丈夫で造りやすい鉄筋コンクリートでの再建が
基本である。金沢城では実際、すでにいくつかの大門と櫓(やぐら)が往時の木造建築で
蘇っていて、中でも最大の大きさを誇る、長さ100メートル大の五十間長屋は、
(ごじゅっけんながや。尺貫法で1間[けん]は約1.8メートル。掛ける50の長さ)
高い石垣の長い縁に立つ外観も、また二階建ての内部の細長い吹き抜けも壮観である。
この棟だけで建造費36億円を有したとか。ガイドのおばちゃんが、加賀百万石の殿様は
その大国ゆえ幕府ににらまれないように、時に馬鹿を演じたんですよと解説するので、
その流れで大枚はたいてこんな建物作っちゃったんだと突っ込むと閉口してしまった。
冗談ですよ、ジョーダンとフォローしておいたが‥。
金沢ではもうひとつ感嘆と感銘を受けたのが武家屋敷の庭だった。
城の西側、長町地区にある武家屋敷の町並みは、往時の姿そのままで残っていて、
代々続く武家の子孫が今も生活の居として命脈を繋いでいるようだ。屋敷町を左右に連なる
漆喰の土塀が、茶褐色の見事な塗りとなっていて、おそらくは行政の予算で外塗りだけは
修繕したのであろう、きりっとした武家の空気を代弁するように、この地ならではの規律を
町並みにもたらしている。先に書いたように、今でも生活者の居でもあるので、
敷地の中を伺うことはできないが、唯一観光用に開放されている屋敷と敷地が
野村家であった。
屋敷そのものは、幾重にも間仕切りされた、各地方にもある武家屋敷らしい造りと、
さして珍しさはないが、庭の凝った造りには感嘆の息しか出ない、見事なものがあった。
庭の広さは10坪くらいだろうか、たいして大きくはない。しかしそこにかなりの高低差を
つけて、岩やコケや樹木を配し、険しい山の谷の奥、滝と滝壺と渓流と木々の
完成された世界を作り上げているのだ。流水の音、滝の音、そしてししおどしの音も
重なって、瞑目してもその世界が広がる仕組みともなっている。
水は屋敷の外廊下の脇の水道を抜けて、常と勢いよく滝壺に落ちている。水の豊かさが
なければ出来ない技でもある。そう言えば以前、タモリの番組で、名園・兼六園はもともと
消火用の貯水池として、山から水道を引いたのが始まりと聞いた。その豊かな水源は、
やはり消火用に武家町にも引かれて、その流水を遊びに転じたのがこの庭であろうことが
想像できた。そしておそらくは、趣向の違う庭が、公開されていない他の武家の敷地内にも
数多くあるのだろう。箱庭と呼ぶにはまだ坪数があるが、この限られた空間で
日本の自然美を凝縮させる感性と技量に、日本人として誇れる美の一端を見ることができた。
金沢に随分と紙面を割いてしまったが、2月の富山では、花より団子。富山湾という
天然の生け簀(いけす)からあがる海の幸が旅人の舌を楽しませるといっていいだろう。
氷見の寒ブリ、白えび、松葉ガニ、鱈の白子、そして早春となれば滑川のホタルイカが加わる。
初めて食べた厚切りの寒ブリのしゃぶしゃぶも得も言われぬ絶品であったが、
意外だったのはブリ大根の再発見であった。正直、今までのブリ大根は、自分としては
ブリと大根と煮汁の三重奏がぎこちなく、ブリの身がぱさぱさで、少し臭みも残っていて、
上品なものとは思えなかった。ところが、今回体験したブリ大根は、一見して豚の角煮と
間違える容姿をしていた。よくよく見ると、真ん中に寒ブリを抱いて、両側を丸切りの
大根が挟む、まるでハンバーガーのようなブリ大根であったのだ。それを真ん中から
ふたつに切り分けて、断面を見せた盛り付けだったため、大根の部分が当初厚切り豚肉の
脂身に見えたわけだ。よく煮詰めてあるため、豚の角煮の良品と同じく、
箸で簡単に切れてしまう柔らかさ。そして寒ブリのほどよい脂ののった旨みと、
煮汁を十分に吸った煮大根との味のハーモニーは、そのまま一個の食材として始めから
存在したような錯覚を思わせる、相性抜群の完成したご馳走であった。
旅から帰って、早速に嫁にその再発見の子細を告げると、そんな手間の掛かるモン作れるか!
と一喝されてしまったが‥。
富山と言えば、立山に厚く積もった雪を掘り下げて、高さ20メートルにも及ぶ雪の壁の
間の山道を行く”雪の大谷”が4月頃より開通したと毎年報じられるが、近年は外国人客の
取り込みも狙って、2月頃からの開通を模索しているらしい。また富山の祭りと言えば、
9月1〜3日に行われる富山市八尾のおわら風の盆が有名だが、昨年からは滑川で
7月に独自の祭りを立ち上げるという気運も生まれた。富山にしても、石川・金沢にしても
今勢いづいているのは間違いない。そしてそれは北陸新幹線の延伸開業と、それに伴う
財政支出、そして地元の人達のかつてない期待の賜であろう。まだまだ見たりない、
食べ足りない、そしてこれから面白くなる、北陸である。
さて、富山のSさんとであるが、やはり最後まで水魚の交わりという
までには至らなかった。まあ、初対面の相手でもあるし、固い気質もにじみ出て、
なんといっても一番は、年齢差からしてそう易々と馴れ馴れしくできない相手である
ことは、常識の範囲内かもしれない。またSさんからしても、昔なじみのKはともかく、
ご子息と同年代の私には客人としてそれなりに気を遣っていてくれたのだろう。
ところでこの宮城のKと富山のSのふたり、昔なじみといっても、最近再会を果たした
ばかりで、それまでは50年近く年賀状をやりとりするだけの間柄だったそうだ。
ふたりともにいわゆる金の卵といわれた時代のひとで、それぞれの地元から東京に
働きに出て、たまたま会社が近所で知り合ったという。そんな気の合う仲間内数人と、
呑んだり、遊んだり、馬鹿したり、東京で青春時代を過ごした昔なじみであったわけだ。
そして今、晩年を迎えて、富山のSさんはそんな昔の仲間たちに今一度会いたくなって
改めて連絡を取ってみたのだそうだ。ところが、Sさんの想いに反して、
当時の仲間のほとんどが今更会いたいとは思わないとか、人によっては昔のことは忘れた
といった反応だったという。懐古と期待が打ち砕かれる中で、唯一人喜んで再会してくれた
のが、宮城のKさんだったのだ。まあ、人懐っこいKさんらしい付き合いでもある。
ただ、昔を懐かしむひとばかりでないこともわかる気がする。50年もブランクが
あれば、決していい想いをしてきたひとたちばかりでもないだろう。逆に今更思い出したく
ない、記憶から消したいような出来事もあったかもしれない。実際に私も最近まで
学生時代に学んだ研究会のOB会に誘われていたが、何かと理由を付けては行く気には
なれなかった。当時は研究会の仲間と共に学び遊びと楽しく過ごしたいい思い出なのだが、
その時学んだ内容は一切に生かされず、また今となっては記憶の断片にもなく、
全く違った方向に好奇心を注いでいて、指導してくれた先生に申し訳ない気持ちで一杯
なのだ。”師弟”とか”門下”とか、とても名乗れない自分であるのだ。
北陸の旅行から2週間後、携帯電話に知らない番号から電話が掛かってきた。
はてなと思って出てみると、富山のSさんであった。旅の写真のデータを宮城のKに
送ったところ、それが経由してSさんにも渡って、そのお礼が言いたくてKに私の連絡先を
教えて貰ったという。こちらも地元のひとに案内して頂いたお陰で、良い名所を効率よく
見る事が出来、また終始車の運転もして頂いて、重々にお礼を申し上げた。
と、話の最後にSさんが「最後にひとつお願いがあるんですけど‥」と切り出してきた。
え!?私にお願い?私に何かできることがあるのか?と考えて、「何でしょう?」と
尋ねると、「できたらまたこちらに来て下さらないだろうか?あいつ(K)ひとりじゃあ
来られないっていうもんで。私ももう年なんで、できれば2年以内がいいかな。
今度は能登半島の方をご案内しますよ」との話。こういう時は考えちゃいけない。
嘘や社交辞令もいけないが、曖昧さも失望を与えてしまう。大体、自分は馬鹿の付く
旅行好きではないか。「わかりました。また一緒に行きますよ」とはっきりと伝えた。
今度はもう少しSさんと親しくなれそうだ。
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■ 執筆後記 ■
ここでは富山・金沢で訪れた名所を順番に紹介し、
簡単にその解説を試みたい。
(1日目)
@『ほたるいかミュージアム』富山県・滑川市(なめりかわ)
名前の通り富山湾名産の「ほたるいか」についての展示施設。
「ほたるいか」の時期には、この施設の目の前の海で、
間近にホタルイカ漁が行われる。
他に天然の生け簀(いけす)と言われる富山湾の解説もある。
できれば「ほたるいか」の時期である、春先の訪問がおすすめ。
生きた「ほたるいか」が施設で見れるようだ。
あと最近始まった7月の滑川市の手作りのお祭りも楽しそうだ。
A『北前船廻船問屋 森屋』富山県・富山市
江戸時代に日本海航路で国内貿易を行った
「北前船(きたまえぶね)」で財を成した廻船問屋の屋敷。
当時としては贅を尽くした造りで、見学客が空いていれば
事務所の人が丁寧に見所を教えてくれる。
明治以降の富山発展の歴史も垣間見られて
一見の価値ある名所だ。
この近くまでは「富山ライトレール」という路面電車で
行くことができる(「競輪場前」下車。200円均一料金)。
B『海王丸パーク』富山県・射水市(いみず)
富山港にある臨海公園。
帆船の「海王丸」や富山のシンボル的ベイブリッジ
「新湊大橋(しんみなと)」を眺めることができる。
海上保安庁の機関砲付き巡視船も停泊していた。
ただ平日は「海王丸」の見学を始め、
周りのお店はすべて休業しているので、
訪れるなら週末や祝日がいいだろう。
すぐ近くにある「新湊きっときと市場」は、
新鮮な魚介類やお土産を売っていて、レストランもある。
こちらはほぼ年中無休のようだ。
『海王丸パーク』にて。左から「海王丸」、「新湊大橋」、「巡視船」。
C『高岡大仏』富山県高岡市
富山の観光名所として定番の有名な大仏様。
まあ一度は訪れて、ご挨拶すべきだろう。
JR高岡駅から北へ300メートルほどのところにある。
小さな寺領なので、参拝はすぐに終わります。
D国宝『高岡山 瑞龍寺(ずいりゅうじ)』富山県高岡市
富山県では唯一の「国宝」。
加賀百万石、前田家の菩提寺で、曹洞宗のお寺。
加賀藩、前田家の歴代の墓所も離れてある。
「国宝」指定らしく一見の価値あり。
各伽藍は歴史を感じ、寺を囲むように作られた回廊も面白い。
また高岡市も昔ながらの路面電車が走っていて風情ある街である。
E『氷見漁港場外市場 ひみ番屋街』富山県氷見市(ひみ)
名前の通り新鮮な魚介類を売る場外市場と一部なっているが、
まあ観光客相手の特産品売り場が並ぶ”道の駅”といった具合である。
いろいろなお店があるので、全部回るのに小一時間ほど掛かる。
「氷見漁港場外市場 ひみ番屋街」の様子。
すぐ近くに写真のように吊り橋があるのだが、
デザイン性であえて支柱が斜め建てられている。
地元の友人Sの話によると、富山は河川が多いため
高い橋梁技術(橋を架ける技術)があるそうで、
「新湊大橋」にしても、この橋にしても、富山の誇りがあるそうだ。
F『曹洞宗 光禅寺』富山県氷見市
著名漫画家の「藤子不二雄A」の実家のお寺にあるキャラクターの石像。
見所はこれだけだが、訪問の価値はあるだろう。
このすぐ近くの比美町商店街にも色付けされたキャラクター像が
そこかしこに見られる。
→一日目はここまでの観光で、
今宵の宿である「
九殿浜温泉 ひみのはま
」に向かった。
(2日目)
二日目は宿を出た後に高速道路に乗って、金沢市に向かった。
G『兼六園(けんろくえん)』石川県金沢市
日本において有数の名園であり、金沢と言えばいの一番の
観光名所なので、もちろん訪れるべきであろう。
ただ、できたら庭園のうんちくを解説してもらった方が
有り難みが増すので、ガイドを頼むか、
添乗員のいる団体客に紛れた方が得策と思われる。
私はちゃっかり団体客と一緒に回った。
あと65才以上の方は、証明書があれば入園無料となる。
友人Kとそのまた友人のSは該当してタダだった。
H『金沢城公園』 金沢市
エッセイの中でも紹介したが、かつての加賀百万石の城の栄華を
復活させるべく、現在城郭の復元が行われている、
「兼六園」のすぐ隣なので、こちらもぜひ散策すべきだ。
現在最大の城郭「五十間長屋」のみ入場料を取られる。
ただ「兼六園」同様に、65才以上は証明書さえあれば入場無料になる。
復元された「大門」(中央右)と「五十間長屋」(中央左奥)。
いずれの建物も木造と白壁造りのこだわりである。
「五十間長屋」の内部。端から端までの吹き抜けていて二層の2階建てである。
「五十間長屋」の中にある加賀百万石時代の金沢城城郭を復元した模型。
果たしてどこまで復元させようと言うのか。
金沢城跡はなんとなくそうではないかと察していたが、
やはり戦前は北陸の陸軍師団の司令部として使われていた。
(ちなみに仙台の青葉城は東北の師団司令部だった)
「五十間長屋」の南端、二重屋根の櫓(やぐら)の向かいの斜面に
トンネルが開いているので、何かと思い係の人に聞いてみると、
トンネルの奥に土塁で囲まれた軍の弾薬庫があったという。
金沢城が大名格では日本一の規模、百万石時代の栄華を取り戻すことを
城好きとしては楽しみにしている。
ただ少々凝り過ぎではないかとお金の心配をしつつ‥。
I『ひがし茶屋街』 金沢市
金沢の遊郭街の雰囲気を残す街並み。
軒を連ねる格子窓の店跡に風情があり、写真映えするだろう。
現在はお土産や小物を売る店や飲食店が入っている。
一部店舗では芸子の踊りを鑑賞できる。
J『近江市場(おうみ)』 金沢市
JR金沢駅から北に800メートルほどにある
金沢市民の台所と言われる生鮮市場。
こちらもテレビの旅番組では常連の金沢名所。
ちょっと観光客相手の商売になってきている印象を受けた。
K『長町武家屋敷』 金沢市
一帯がまるごと武家町の名残を見せる区画。
外壁が統一してきれいに塗り直されていて、昔の栄華の面影を復活させている。
今も武家の子孫たちが暮らしているらしく、立派な門構えが並ぶが、
屋敷の中や庭は見ることができない。
ただ一軒だけ『野村家』だけが開放されてきて、有料で見学できる。
とりわけ庭の造りがエッセイで紹介したように素晴らしく、見る価値”大”。
限られた空間に作り出す日本人の美意識の結晶とも言える名園だ。
「野村家」の庭の写真。写真では伝えきれないもので溢れている。
きっとあなたの美意識に変化をもたらすことだろう。
L『呉羽山公園展望台(くれはやま)』富山県富山市
旅の最後に富山の友人Sさんは、JR富山駅より西に3kmほどにある、
この小さな展望台公園に連れて行ってくれた。
ここは天気さえよければ、見事な立山連峰が屏風のように
背景に立つ中で、その手前に富山の市街地を一望できる
絶景スポットである。ただ冬の富山では残念ながら、
晴天は珍しいとのことなので、下の写真のようにその景色は叶わなかった。
富山駅まで送ってもらってSさんと別れた後、
駅に隣接する「きときと とやマルシェ」という新幹線高架下の
商業施設でおみやげを買って、施設内の居酒屋
「海幸山幸越中茶屋」で反省会を開いた
(といっても友人Kとふたりでだが)。
ここの居酒屋も何を食べても美味しく、
イカの一夜干しや鱈の白子、白エビ揚げと
最後まで富山の美食を満喫できて、結局反省など語っている暇はなかった。
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