旅の空色


2017年 1月号


再挑戦『人間失格』 その3

〜チェーホフの牡蠣にあたった私 〜

 生の牡蠣(かき)、生牡蠣にあたった人を見たことがあるだろうか?
私は見たことがある。なんたって私の妹だった。2才年下の妹が中学生の時だったと思う。
母の大好物とあって母の頼んだ旬の生牡蠣を妹も一緒に美味い美味いと食べた後、
2時間くらいしてひどい吐き気と下痢に襲われた。ひどいというよりも死にそうなくらいと
言った方が正確だろう。妹は散々にのたうち回った末にげっそりと衰弱して
ついには動けなくなり、私は今夜が今生のお別れかと思ったくらいであった。
真夜中ながらもなんとか医者を見つけて診てもらい、どんな処置を受けたのかは
知らないが、翌朝にはほぼ回復していた。ところで一緒に生牡蠣を食べた母はというと、
けろっとしていて、どこ吹く風といった風であった。妹はその日たまたま体調が悪かった
のか、体質的に合わなかったのか、その日以来牡蠣フライすら見るのも嫌になって
しまったので分からないが、誰でも生牡蠣にあたることは希にあるそうだ。

 チェーホフの短編に『牡蠣』という小品がある。ほんの10ページくらいの物語で、
ささっと立ち食い蕎麦でも食べるように読めてしまう作品なのだが、私はその作品を
読んだ時に稲妻にでも打たれたような、背筋にビビビっと電気が流れるような感銘を受けた。
主人公の少年が見たこともない「牡蠣」という代物を勝手に想像するチェーホフの表現力も
凄いが、何気ない記述の奥に何層にも広がる奥深さを感じた時に、たった10ページという
限られた空間にこれだけのものを詰め込めるチェーホフの筆力の恐ろしさとその才能に
震撼させられたのだった。そんなに難しい文体でもないので、早速に息子(14才)に
読み聞かせてみたところ、いきなり作品の冒頭に登場する「物乞い」、もしくは「乞食」
という単語でつまずいた。息子曰く、そんな人見たことがないというのだ。
時代や世代のギャップと言えばそのまま笑い話で終わる息子の主張であるが、
これは私とロシア文学のギャップと同じとも言える。沼野先生によるチェーホフの人物像、
チェーホフが生きた時代の世相や思想などの時代背景の手解きがなければ、チェーホフの
作品の数々を読んでも、わからないままで素通りした文言や、その文章の意味するところ、
そしてさらに深掘りすべきところなど、その多くを見逃したままにしたに違いない。
そしてこの『牡蠣』という短編に秘められた、チェーホフの裏メニューというか、
隠れ主張に気付くことなどもなかったであろう。

 ところで「物乞い」と言えば、本当に久しぶりに最近見かけたことを思い出した。
JR有楽町駅の東京交通会館側の真新しくなったロータリーに年齢は定かではないが
女性の乞食がビニールシートの上に座って道行く人に空き缶を差し出していたのだ。
私の小さい頃には、上野駅の地下道に主に男の乞食がずらりと並んでいて、その風体といい、
臭いといい、嫌な思いをしたことを強烈に記憶に焼き付けていて、その女性の乞食を見た時に、
そんな昔の思い出が、哀愁を込めて蘇ってくるのと同時に、その女性の乞食にただならぬ
オーラも感じたのだった。

 今の豊かな日本にあって、飢えと寒さで死ぬのは希である。
例え本人がそう望んでも、公衆の面前でそれを許す社会ではない。ではあの女性は本当に
困窮の末にあのような物乞いをしているのであろうか?「坊主と乞食は三日やったら
止められない」などと言うが、シャーロック・ホームズの「変身」の話に出てくる
にせ乞食のように、結構な日銭を稼げるのであろうか。どう見ても通り行く人々はその女性と
ある程度の距離を保って流れて行くので、そんな甘い現実はないように思われる。
と、そのシャーロック・ホームズの話で、そのにせ乞食が言っていた台詞を思い出した。
見知らぬ人々が見下す冷徹な目は、最初は自尊心を傷つけるが、やがて人々が気味悪がる
その様子が快感になってくるんだと。もしかしたらあの女性は、お金が欲しくて座っている
のではなく、自分の無様な成れの果てを公衆の面前に晒す事によって、ささやかな復讐を
果たしているのではないかと。通り過ぎる人々が哀れみや、軽蔑や、畏れの目線を女性に
投げかける度に、実は女性は少しずつ心を満たされているのではないかと。その本意を女性に
聞くわけにもいかず、真実は定かでは無いが、昨今の都内ではそのような物乞い行為や、
彼らのような人々のちょっとした休息でさえも区の条例で禁止されているそうで、
あの女性が物乞い行為を長くは続けられないことだけは確かと思われた。

 チェーホフの『牡蠣』の話に出てくる8才の主人公の少年は乞食の子供である。
正確にはその日、乞食になりたての父親と冬のモスクワの雪降る通りに二人並んで立っている
ところから話が始まる。少年は今にもぶっ倒れそうな病気にかかっていて、
もし少年が病院に担ぎ込まれて医師の診断を受けたならば、医学事典に載っていない
診断結果をラテン語で書かれて貼られるはずだという。曰く、「fames(腹ぺこ)」と。
本業が医師というチェーホフならではの知的でユニークな書き出しである。
今日から乞食と決意を立てながらも、なかなか道行く人々にお恵みをと声を掛けられない
その親父の横で、ふらふらと今にも倒れそうな少年は時に意識を失いかけながらも、
逆に合間に研ぎ澄まされた鋭敏な精神状態にもなり、やがて向かいの居酒屋の窓越しに
部屋の中に小さく書かれた「牡蠣あります」という張り紙を見つけ出す。
「牡蠣?牡蠣ってどんな食べ物だろう?」。食べられるものなら今すぐにでも胃袋に入れたい
少年は、やっとのこと喉から搾り出したか細い声で隣の親父に尋ねるのだった。
 沼野先生はこのチェーホフの小説は、日本で例えるならば小説の神様と言われた天才作家、
志賀直哉の作品『小僧の神様』に似ているという。小説『小僧の神様』はお店で小僧勤めを
する少年が、お客と一緒に家まで品物を配達した帰り際に、そのお客にお寿司をご馳走になる
話である。当時のお寿司は屋台の立ち食いが主流で、お客は寿司屋の主に十二分な前金を
渡してから、小僧の少年に好きなだけ食べてゆきなさいと伝えて立ち去るのだった。
配達のお駄賃にしては大袈裟で、丁稚奉公の日頃の苦労をねぎらう気持ちもあると感じる
お客のもてなしで、なんとも粋なはからいの美談となっている。そんな思いがけない
お客の心遣いに、少年はあのお客はきっと神様に違いないと確信するのだった。
もてなす方も、もてなされる方も、いずれも心の温まる、正に美しい話である。

 対してチェーホフの小説『牡蠣』は、腹を空かせた乞食の少年が
通りがかりの人に牡蠣をおごってもらうという設定では『小僧の神様』と話が似ているが、
志賀直哉の話が美談なのに対して、チェーホフの小品は「冗談」、もしくは「悪戯」に
なっている。親父の牡蠣についての細切れの説明に、少年は気味の悪い食べ物と空想し
ながらも、あまりの空腹から無意識の内に「牡蠣が食べたい!」と思わず連呼してしまった
ところに、通りがかりの二人の紳士に「この坊主、牡蠣が食えるのか?」と興味を持たれて、
少年は両脇を紳士に抱えられて居酒屋に連れ込まれるのだった。二人の紳士の申し出は
すぐに善意ではなく、悪意であるとわかる。酔狂な余興のひとつとして、
少年を見せ物にしようとするのだった。居酒屋の大勢の客が見守る中で、少年は皿に盛られた
牡蠣を目をつぶったままがむしゃらに食べて、最後にはぶっ倒れてしまう。
しょっぱくてぬるぬるとして歯ごたえの無い食感の牡蠣は、少年にとっては決して
ご馳走ではなく、ただただ薄気色の悪い食べ物の限りだったが、極度の空腹においては
背に腹は代えられずに、人々の笑いの中でも、必然と手が動き、口に運ばれ、
胃に流し込まれて、最後は牡蠣にあたったのか、理性が限界を超えたのかして、
大笑いのオチを人々に見事に提供したのだった。ところでこの生牡蠣であるが、
内陸にある首都・モスクワでは当時、フランスから特別冷蔵列車で運ばれる高級料理であり、
1皿2万円ほどしたというのだから、小説『小僧の神様』同様に、おごってくれた紳士は
なかなか気っ風がいいとも言えるだろう。しかし同時に、ちょっとしたお遊びに、
惜しげも無くお金が投げられる人が居る一方で、他方には主人公の少年のような
空腹で倒れそうな子供たちが当たり前のように居る世相もあり、作品の書かれたのが
1884年と、1917年のロシア革命まではまだ間があるが、
どこか間違った社会の有り様を垣間見せる作品のようにも見える。
 『牡蠣』という話の内容は、だいたいこんな感じなのだが、私を震撼させたまず最初の
箇所は、小説の結末であった。牡蠣を食べてぶっ倒れた後、小さな部屋のベットに運ばれた
少年は、薄れゆく意識の中で、小部屋の中をぐるぐると歩きながらぶつくさとつぶやく
親父の姿を認める。「牡蠣をご馳走してくれるくらいだから、頼めばお金も貸して
くれたかもしれない」と親父はぼやいていたのだった。しかも翌朝少年が目覚めると、
昨夜と全く同じ動作で、親父はぼやきながらながらまだ歩き回っていたのだった。
なんと情けない親父だろう、私はまずそう思った。そして次に私がその立場ならと考えた時に
…、悪寒が背中を走った。私もきっとこの親父と同じく、道行く他人に物乞いを出来ずに、
最後は頭を抱えて部屋の中をぐるぐるとするしかなかっただろうと。
作中の父親は少年を連れてモスクワに仕事を探しに来た人であった。事務職を探して数ヶ月
歩き回ったが仕事は見つからずに、手持ちのお金が尽きて前述のような物乞いとなった。
ところで沼野先生が言うのには、当時のロシア帝国では、首都のモスクワでさえ、
識字率=読み書きが出来る人の割合は10%程度であったそうだ。それを考え合わせると、
事務職ができるこのお父さんは、実はそこそこ教養のある、学識のある人物であったことが
覗える。しかしその素養を生かせる機会はモスクワでさえ無かったというわけだ。
チェーホフの短編にはコネが物を言う社会であったことを暗示する作品もある。

〜 子供の見方の大ギャップ 〜

 情けない限りの父親であるが、唯一の救いは少年が親父を慕(した)っていたことである。
馬鹿な親父だが、お気に入りのコートがぼろぼろになればなるほど、俺は親父を好きになった
と少年の気持ちが綴られている。一見、極ありふれた親子愛に見えるのだが、この時代の
ロシアにおいては実は希な例と言える。8才ともなれば、早くも労働力として扱われる、
当てにされる時代でもあったのだ。ましてや経済的に困窮している家庭では、わずかな
礼金目当てに早々と奉公に出されていた。当時の日本で言うところの口減らしである。
先に紹介したチェーホフの傑作短編、『ワーニカ』と『ねむい』もそんな少年少女が
主人公である。私がチェーホフ研究においてショックを受けた子供に対する見方がある。
沼野先生の解説によれば、当時はそんな労働力として見なされる少年少女を指して
「小さな大人」と表していたのだそうだ。私には何とももの悲しい言葉に響いた。
加えて我が子はもちろん、少年少女の下男下女に対して躾(しつけ)と称して日々体罰が
当たり前であったという。『ワーニカ』では靴職人の親方に靴の型で殴られて泡を吹いて
失神したことが語られているし、『ねむい』の少女においては、犯した罪は確かに大きいが、
裁判を経ずしてなぶり殺しにされるであろうことが暗示されている。先の識字率の統計からも
分かる通り、当時のロシアの子供達は、その多くが教育を受ける機会はもちろん、
遊ぶことさえ奪われていたのだった。今日の日本から見れば、異次元のような世界であろう。
 『牡蠣』に登場する父親が、日々の生活に困窮しながらも、我が息子を手元に止めている
のは、「小さな大人」という現実から我が子を守りたい一心であったからかもしれない。
また息子が親父を慕っていたのは、明らかに折檻をしなかった、暴力を振るわなかったから
である。実はこの親子関係の設定は、チェーホフの少年時代の経験の裏返しから来ている。
チェーホフの少年時代は厳格で権威主義の父親に労働や奉仕を強要され、体罰を受けていた
のだ。ところがその父親の無能さに家業は破産し、一家は夜逃げ同然となる中で、
学業優秀であったチェーホフだけが現場に止まって財務の後片付けをすることになった。
それまで当たり前だった父親の威厳が瓦礫(がれき)と化した時、チェーホフはおそらく
父性や男性の本質の一面に気が付いたのではないかと思われる。プライドが高い割には、
強がっている割には、いざとなると意外に脆(もろ)く、情けない姿の一面に。
これに対して短編『ねむい』では母性の強さに触れている箇所がある。腹を空かせた我が娘の
ために、母親は道行く人々に「マリア様にどうかお恵みを」と物乞いさえ厭わないのだった。
男性と女性、父性と母性、どちらが優れているかという比較を、優劣を付けるというつもりは
チェーホフには無いと思うが、さりげなくその本質を読者に覗かせて、さらにはそれぞれの
心の鏡で我が姿や近親者と比べさせる隠された意図があるように思われる。
 作り話とは言え、果たしてこの父親は息子を守り切れたのだろうか?それとも手放さざるを
得ず、少年は「小さな大人」という当時の現実世界に投げ込まれてしまったのだろうか?
答えの無い”その後”を時々思い巡らしては、呑気に生きている我が息子と比較したり、
また我が身を振り返ったりして、ロシア語でいうところの「トスカ」=”切なさ”を
反芻(はんすう)、繰り返し思い起こされては、チェーホフの用意した無限地獄の罠にはまり、
私自身も得体の知れない熱いような冷たいようなどろどろとした鉛のような固まりを
口に流し込まれるような気持ちになっている。


■ 執筆後記 ■

「愛」について

ひとことで「愛」といっても、愛にも様々な形がある。
「親子愛」、「夫婦愛」、「兄弟(兄妹)愛」、「恋愛」、「隣人愛」、「人類愛」。
とりあえず私が思いつくのはこの程度であるが、
人が生まれてから感じるであろう順番で並べてみた。

先日、読売新聞の連続コラムで美輪明宏が
「愛は無償」と述べていた。
さらっと書いた文章であったが、
「無償」とは「タダ(no charge)=無料)」と
当世風に安直で野暮な見方もできるが、
本意は「見返りを求めないもの」、
もしくは「与え続けるもの」であろう。
私も全く同じ意見であり、とても共感を覚えた。

いかにももっともらしい聖人君主の言い回しと、
偽善と批判を受けかねないかもしれないが、
半世紀以上生きてきて、ひとり息子の成長を見てきて、
その結果得られたひとつの真理と私は確信している。

ところである友人が酒席で、同じ会社の人同士で
結婚したカップルの話をして、
結婚したはいいが、お互いに仕事を続けて忙しく、
結局ふたりの共同生活が成り立たなくて、
間もなく離婚することになったという。
その友人曰く、お互いがお互いの義務を果たせないんだから仕方が無い、
結婚生活は”ギブアンドテイク”なんだからと語っていた。

う〜む、果たしてそうだろうか?
私はその”持ちつ持たれつ”の前提条件に違和感を覚えて、
先の”愛は無償”という反論をやんわりと述べた。
しかし彼の反応は”???”というものだった。
ちなみに彼は未婚者で、与えた分は返して欲しいと力説していた。

まあ、先の離婚した彼の同僚に関しては、
お互いがそれぞれやりたいことを優先して、
折り合いが付かなくなったことが原因と言えなくもないが‥。
もしくは、当世風の激しい経済競争に追われて、
プライベートな時間が持てない結果の犠牲者かもしれない。

ひとそれぞれ生い立ちや経験、思想の違いがあるので
愛についても何が正解とは一丸に言えないが、
私は少なくとも好きな相手や大切な人の幸せを常に願うことは、
愛の最低条件であるとも考えている。

一つ戻る