旅の空色
2017年 2月号
再挑戦『人間失格』 その4
「ねえ。チェーホフの『カモメ』って話、知ってるよね」
嫁がおもむろに問い掛けてきた。知ってるも何も、このエッセイの通り太宰治の
『人間失格』に絡んで、今私が研究している課題である。そんなロシア文学に露(つゆ)
ほども縁の無い嫁が、いきなりチェーホフの話題を振ってきたのでびっくりした。
どうやら私のチェーホフ研究の師、沼野充義先生がNHKの番組「100分で名著」に
出演した折に書いたテキスト「カモメ」が、台所のカウンターに投げてあったのを見て、
聞いてきたようだ。
「今度東京でその『カモメ』の劇をやるらしいんだけど、ケンちゃんが出るみたいなんだ
よね」とうれしそうに嫁が語っている。
[ケンちゃん?誰だ?ケンちゃんって]内心いぶかしながら、ケンちゃんってどこのどいつだ
と問い正すと、「ケンちゃんって、坂口健太郎くんだよ」と嫁は赤ら顔。
NHKの朝ドラ「とと姉ちゃん」で、主人公のとと姉ちゃんこと小橋常子(高畑充希 演)の
恋人役で出ていた、あの眼鏡の青年が坂口健太郎だそうだ。その若き俳優・坂口健太郎を
身近に目の前で、生の舞台で見たいが為のチェーホフ話題であったのだ。
正直、私は呆れた。ジャニーズの観劇ばりのチェーホフのりであったからだ。
初公演以来100年以上愛されてきたチェーホフの名作戯曲のひとつ「カモメ」を
何と心得るのかと。こんなミーハーな嫁に、物語りそっちのけで若き俳優を見つめる有様に
チェーホフもあの世で苦虫でも噛みつぶしたような顔になるに違いない。
ネットで調べてみると、嫁の言う公演は池袋の東京芸術座で2週間ほど行われることが
分かった。さらにキャストを眺めると、若手実力派女優の満島ひかりを始め、
ドラマ・北の国からで懐かしい中島朋子と私自身も興味をそそられる配役となっている。
そして何よりも、チェーホフの演劇を実際に見ることによって、沼野先生が30年来悩んで
きたというある問題を自ら体験、確認したいという好奇心が強く湧いてきたのであった。
突飛で安直で不純な嫁の「カモメ」観劇希望ではあるが、案外に悪い提案ではないかも
しれない。次第にそう思うようになっていった。
「観劇など常の趣味じゃないけど、見に行ってみようか」と嫁を誘うと大喜びである。
嫁と意気投合して出掛けるなど何年振りのことであろうか。思い返せば2010年に
公開された映画「のだめカンタービレ 最終楽章 後編」以来のことである。
しかも意気投合したとは言え、嫁はジャニーズのりで、私はチェーホフ研究の延長線上でと
相変わらず目指すところはバラバラであるところが私達らしい。さらに私のもう一つの
目的は、観劇する嫁の反応をつぶさに観察することにもあった。
「せっかく見に行くのなら、少しは『カモメ』の勉強しておいた方がいいかな?」と
沼野先生のテキストを手に取り問い掛ける嫁に私は内心大慌てした。
そんなことされたら台無しである。「いや、芸術ってのは、自分の心に感じるままに
鑑賞するのが一番大事なんじゃないかな?そんなテキストで雑音を入れるべきじゃないよ」
と何とかその場を取り繕う。普段、芸術に縁もゆかりもない男が何を言い出すのかと
自嘲しながらもそう説き伏せを試みた。
「そんなもんかな〜」と嫁が一応納得の素振りを見せる。
「でもおおよそのストーリーくらいは知っておいた方が‥」と嫁がさらに
食い下がってくるので、「Just the way you are」
(=そのままの君でいいんだ)と応えて返した。すると「もしかして私の無知を
馬鹿にしようとしてるんじゃないでしょうね」と疑ってくるので、
「本当に君の見たままの感想が聞きたいんだよ」と押し戻した。本当にそこが味噌なのである。
未だ納得できない、疑いの目を向ける嫁に、ビリージョエルの歌の通りに
「I love you just the way you are〜♪」
(=そのままの君が大好きだよ)と歌って押し切った。
「悲劇」か?「喜劇」か?そこが問題だ
日本の大学の最高学府・東京大学で学び、さらに東京大学の大学院教授になるまで
スラブ語(=ロシア語)を専門に探求し、研究してきた沼野充義先生が、30年来悩んできた
というチェーホフの問題、それを先生は「チェーホフの喜劇問題」と言っている。
アントン・パーヴィロヴィッチ・チェーホフは亡くなる前に、4本の戯曲を書き下ろしている
のだが、その内の2本、『カモメ』と『桜の園』の副題には「四幕の喜劇」と書かれている。
「四幕の喜劇」とは、4つのシーン=舞台設定からなる喜劇ですよというそのままの意味で
素直に受け止めればいいのであるが、とりわけ『カモメ』においては100年以上前の
初演当時から、この「喜劇」という副題に異論が立っているのだった。
なにせこの『カモメ』の公演を行った他ならぬモスクワ芸術座の舞台監督たちスタッフから、
この『カモメ』という物語はどう見ても悲劇ですよとクレームが付いたのだった。
チェーホフと演劇スタッフとの論争は時に激しく、喜劇風にテンポの軽やかな舞台進行を望む
チェーホフに対して、異を唱える舞台スタッフとの対立は深刻で、こんな調子では
三幕までの上演しか認めないとチェーホフが珍しく激怒したという話だ。
ところで実際のところ戯曲『カモメ』は、「喜劇」なのだろうか?それとも「悲劇」
なのだろうか?私が日本語訳『カモメ』を読んで見たところ、確かにこの話のどこが
「喜劇」なんだとの印象を受ける。物語のオチというか、結末から見れば明らかに「悲劇」
である。沼野先生においても、日本語訳はもちろん、スラブ語での解釈、とりわけ文化や
時代背景を考慮に入れても、はやり「喜劇」と解釈するには至らなかったそうだ。
戯曲『カモメ』のどこが「喜劇」なのか?喜劇と言うからには笑い所があるのか?
いや、もしかしたらギリシャ演劇の笑劇(ファルス)から来る世代ギャップのちぐはぐさが
面白みの醍醐味なのか?などなど、生真面目な学者肌らしく、30年以上この問題を
悩み続けてきたそうだ。そしてある時、沼野先生はその答えとなるヒントを得た。
それはあの三谷幸喜が脚本を手掛けた正にチェーホフの『カモメ』を見た時だそうだ。
沼野先生がどのように笑ったのかは分からないが、とにもかくにも”笑える”と感じた
のだそうだ。さすがはコメディー作品の名手・三谷幸喜である。おそらくはチェーホフの
目指すところの面白さの原点を見事に看破したに違いない。蛇の道は蛇とも言える。
もっとも頭抜けて優秀な沼野先生を始め、凡人の私も、そしてほとんどの人も、物事を間近に、
真面目に見すぎて、大局観に至らないのがその原因かもしれない。
その人には「悲劇」でも傍目には「喜劇」
沼野先生の生涯の課題のひとつだった「チェーホフの喜劇問題」。
その答えを沼野先生はあのバナナの皮で転ぶという良く知られた喜劇で説明をする。
曰く、「バナナの皮で滑って転ぶ。転んでしまった当人にとっては痛い思いをして
悲劇に他ならないが、見ていた他人にとってはそれは喜劇になると」。
言い換えればこれは主観と客観の違いともなる。主観(本人、主人公、舞台の役回り)に
とっては「悲劇」でも、客観(他人、第三者、観客)にとっては「喜劇」と成り得る。
この主観と客観の視点の違いに加えて、チェーホフ劇特有の中心のない、主人公不在の
軸のないキャラクター設定や、お互いの話が通じない、聞こうとしない、聞く耳を持たない
ディスコミュニケーションの会話や、誰かが誰かに恋してるといった気持ちが見え隠れする
面白さなど、劇全体を鳥瞰すると「喜劇」となるというのである。
と、一応私なりの説明を書いたが、果たして読者の方々にうまく伝わったかどうか、
自信は無い。この三谷幸喜からヒントを得た沼野先生によるチェーホフの喜劇解釈を聞いた
後日に、三谷幸喜が脚本を書いたNHKの大河ドラマ「真田丸」に主演した堺雅人が
「真田丸」最終回直前に出演した特番のインタビューで語っていた話を聞いた時に、
この「チェーホフの喜劇問題」の解釈に繋がるものを感じてハッとさせられた。
堺雅人の話では、ドラマの中盤に主人公であるはずの自分が、襖の開け閉めに終始して、
主人公らしからぬ、ほんの脇役のような出番で終わった時があったという。
それは真田信繁(堺雅人 演)が、人質兼お世話係として、豊臣秀吉(小日向文世 演)
の側に仕えていた頃の話で、確かに飛ぶ鳥を落とす勢いの天下人・秀吉の前では、
信濃の山猿の子供ひとりなど目立つ役回りも無いのも道理であり、そう言われ思い返せば
あの大河ドラマは、堺雅人を凌ぐ名男優・名女優に囲まれて、話の中心となる人物が
その時代時代によって二転三転していたようにも見える。またさらに思い起こせば
会話の不成立も随所にコント的要素としてよく挿入されていた。信繁に想いを寄せる
幼なじみのきり(長澤まさみ 演)の気持ちが毎度全く通じないのがその好例であるし、
また一例として父・真田昌幸が残した遺言となる兵法書を見た兄・信幸(大泉洋 演)が
弟の信繁に「お前にはこれが分かるのか?」と尋ねたところ、速攻で「さっぱり」と返した
時には大笑いしてしまった。そして何よりもあの大河ドラマは全体的に見れば「喜劇」と
見えないこともない。最後には真田信繁改め、真田幸村があと一歩のところで徳川家康の
首に届かずに、大坂夏の陣で敗れて自刃してしまう「悲劇」が基本ストーリーではあるが、
ドラマの随所随所に今までの歴史考察に挑戦したような、悪く言えば丸っきり無視したような
歴史イベントが「喜劇」として放り込まれているのである。最大の例を挙げれば、
豊臣秀吉の天下統一の総決算となった北条氏の小田原城攻めで、東北地方の覇者・
伊達政宗が遅参して、危うく首をはねられる寸前であったことは有名な故事であるが、
まさかあの伊達政宗が秀吉のご機嫌を取るべく自ら餅を搗いて、仙台名物のずんだ餅を
振る舞うなどあり得ない話である。というか、地元宮城県の伊達政宗ファンにとって、
そんな太鼓持ちのような伊達政宗の姿は屈辱でしかなかったかもしれない。しかしあまりの
常識外れのそのギャップに私は思わず大笑いさせられてしまった。
放映終了後は”真田ロス”とまで言われた人気大河ドラマ「真田丸」を
このように改めて考えてみると、多分にチェーホフ的喜劇要素がちりばめられている
とも見えて、もしかしたら三谷幸喜の大いなる野心的・実験的挑戦であったのかもしれない
とさえ思えてくる。
こんな風に、副題に「喜劇」と書かれていても、少々ややっこしいチェーホフ劇であるので
まるっきりそんな情報のない人が『カモメ』を見たらどのように感じるのか、その実験的
試みが嫁と一緒に観劇に行くという普段の私たち夫婦らしからぬ計画となった訳である。
つまり嫁は私にとってチェーホフ研究における被験者、実験体であったわけだ。
「ケンちゃんは良かったけど、なんの話だかさっぱり分からなかった」という嫁の感想を
予想していた私であったのだが、残念ながらこの観劇計画は実現することはなかった。
チケットを取ろうと公演予定を見たら、見事に我が家の定休日の月曜日と劇の休演日とが
重なっていたためだ。確かに月曜日は美術館や博物館などの休みが多いが、
たった2週間程度の公演なんだから休まずやれよ!とややむっとした私でもあった。
チェーホフ戯曲の特徴、「悲劇」と「喜劇」の共存に、主人公不在のキャスト、
会話不成立の台詞と、複雑な恋愛相関図、これらを意識した上で改めて戯曲を再読してみると、
なるほど、『桜の園』は大いに笑えた。しかし『カモメ』は未だその境地には至らなかった。
『桜の園』はチェーホフ最後の作品であるので、やはり完成度が高いのかもしれない。
ところでチェーホフ談義はここまでとして、肝心要の太宰治の小説『人間失格』との
相関である。ここまでチェーホフを追い求めて、戯曲『桜の園』を通して、太宰治に
繋がるものを発見できたのか?ということである。そして私としては大いなる収穫があった
と自負している。まずは先に挙げた「悲劇」&「喜劇」の共存の話であるが、
『人間失格』の作中に「悲劇名詞」&「喜劇名詞」という対義造語が登場する。
ある言葉を「悲劇名詞」か「喜劇名詞」かに分類するという『人間失格』の主人公の
大庭要蔵が編み出した遊びで、要蔵によれば汽船と汽車は悲劇名詞、市電とバスは喜劇名詞
になるらしい。この違いが分からぬ者は芸術を語る資格がないそうで、喜劇にひとつでも
悲劇名詞を使っている劇作家は落第と断じている。正直、私にはこの分類の規則性が
さっぱり分からないのだが、チェーホフが劇作家の顔を持つことを考える時、
意味深な文章に見えてくるのは私だけだろうか。また『人間失格』の小説の構成も
チェーホフを踏まえると今までと違って見えてくる。『人間失格』は、主人公の大庭要蔵が
残したという三冊の手記を、その手記を預かった小説家がそのまま公開した形となっている
のだが、見ようによっては各手記は大庭要蔵の人生における三幕の舞台となっているようにも
思える。つまり舞台のような小説構成に見えるのだ。そして私が一番最初に『人間失格』を
読んだ時の感想が、「なんて不運で不幸な人間なんだろう」という悲劇的な見方が
一番先に立ったのであるが、今改めて『人間失格』を読み直すと、実はこの小説は「喜劇」
ではないのかという疑念が湧いてきた。普通の人間における、普通の人生をあえて誇張して
面白く書かれたものではないかと。まあ、これらの見解は、チェーホフという名の酒を
呑み過ぎて、酔い過ぎた末の戯言かもしれないが‥。
次回ではいよいよ本題の太宰治の『人間失格』を総括したい。
■ 執筆後記 ■
「悲劇の中でも人はなぜ笑うのか?」
あの東日本大震災の時、
不可解に思ったことがある。
被災した人々をテレビがインタビューする中で、
近親者を亡くしたり、家屋私財を流された人々の多くが、
笑い顔で答えていることであった。
もちろん愉快な気分だからではないだろう。
言うならば”もう笑うしかない”という
究極の心理状態が成せる技だったのかもしれない。
しかし泣き叫んでもいい過酷な状況の中でも
なぜカメラに向けて形だけでも笑顔を作れるのか?
テレビに次々と現れるその顔を見ながら、
不可解に感じていた。
人間を人間たらしめるひとつに”笑顔”の存在がある
ということを人間を考察する特番で見たことがある。
大昔、人間がまだ小さな地域で小集団ごとに
狩猟採取で暮らしていた頃、
気候変動によって飢饉が起こり、大移動を余儀なくされた。
いわゆる南部アフリカからの人類大移動である。
その過酷な旅路では当然他の部族とも遭遇する機会がある。
その時に争いを避けるために、同類同士の衝突を回避するために、
役立ったのが”笑顔を送ること”という仮説だ。
地球上の生物で、”笑顔”を作れる生き物は
人類をおいて他にはない。
なぜ人は笑顔を作るようになったのか?という根本要因は、
さらに奥深く、私は語る知識を持ち合わせていないが、
”笑顔”がコミュニケーション手段として強力な力を持っていることは、
当たり前のように誰しもが認めることであろう。
まあ、時と場合によっては不適切な場合もあるが‥。
”笑顔”の持つ力については、
イラク戦争という戦場でのエピソードも別の特番で見たことがある。
偵察に出たアメリカの小部隊が、イラクの小さな町に入った時、
広場でその町の住民に囲まれてしまった話だ。
もともと敵味方意識の低い中立的な立場の町との認識だったので、
アメリカの小部隊としてもそれほど警戒してはいなかったのだろう。
しかし町の住民としては、異国人が何しに来たのだろう
という警戒感と好奇心があったのかもしれない。
方や武器を持った小集団が、方や不信感を持った多くの住民に囲まれ、
言葉も通じない中で、お互いに一気に緊張が高まった。
そこでアメリカの部隊長が出した命令が”やさしく笑う”ことだった。
兵士たちが笑顔になると、イラクの住民たちも笑顔を返して
事なきを得たという戦場での美談であった。
そう書いていて思い出したが、
ブルース・ウィルスの出世作、映画『ダイ・ハード』のラストシーンで、
絶体絶命の主人公が笑い出したのを機に、
敵も思わず笑い出して、引き金に掛けた指を緩めてしまい、
隙を作って主人公にやられてしまうシーンがあったが、
”笑い”は心をほぐしたり、ゆるめたりする効果があるとも改めて気が付いた。
そんな油断はゴルゴ13に言わせれば、
「無駄口をたたいている暇があったら撃て!」と一蹴されてしまうだろうが。
ゴルゴ13が笑ったシーンはほどんどない所以でもある。
このように考察してくると、最初に紹介した被災者の笑いは、
自らの緊張をほぐすとともに、インタビュアーや
テレビの向こうの視聴者に対しての思いやりの笑い顔であると
ひとつの結論を導き出せたようだ。
”大変だけど、なんとかやっているよ”というメッセージが
作り笑いにあったのだろう。
一つ戻る