旅の空色


2017年 3月号


再挑戦『人間失格』 その5

 「太宰治の小説『人間失格』の主人公・大庭要蔵は人間失格か?否か?」
そんな審判を下す試みが2009年にNHKの特別番組で組まれ、先日再放送を観た。
判決を下すのは7人の文人。取りまとめ役として一人が裁判官に扮し、残り6人は陪審員と
なって、小説・人間失格に登場する大庭要蔵にまつわるいくつかの重要なエピソードを
各個に審理して罪の有無を多数決で取り、最後に総括して大庭要蔵は人間失格か?否か?の
判決を言い渡すという裁判形式の番組構成であった。私は直感的にこの「人間失格裁判」と
いうべきものに意味があるのかという疑念を抱いていたが、それと同時にこの番組では
ふたつの興味深い見所があってそれなりに面白くも観れた。
 ひとつは陪審員の一人が当時東京都の副知事であった作家の猪瀬直樹だったことだ。
ご存じの通り、その後に猪瀬直樹は石原慎太郎の後継者として晴れて東京都知事になるが、
これまたご存じの通り、気前の良いおじさんが貸してくれたという5千万円の札束が、
自ら証言していた特定のカバンに入らないという茶番劇の末に知事辞任という不名誉な
結末を辿る。この番組を最近の再放送で見たからこその視点となるが、
まさか「人間失格裁判」の番組の数年後に、猪瀬直樹自らが「知事失格」の烙印を押される
身になろうとはと思うと、猪瀬氏の人間失格を熱く語る言葉のひとつひとつも興味深く思えた。
 もうひとつの見所は、審理された人間失格のいくつかのエピソード内、ひとつだけが
まさしく”人間失格”と判定されたことであった。そのエピソードとは、主人公・大庭要蔵が
自分の気持ちとしては遊びのつもりで起こした鎌倉での心中騒動で、心中相手の女性だけが
死んで自分は生き残ったという話であった。いくらお互いの合意の上での心中とは言え、
どんな形にせよ相手を見殺しにしたのには変わりはなく、人として許されざる行為と
判断されたのだった。しかも生き残った主人公・大庭要蔵はと言えば、相手の供養をする
どころか、警察に拘束されることにほっと安堵の感を密かに抱いていたのである。
審理された他のエピソードにおいても、人としてどうか‥という点は見受けられるものの、
人の不完全さ、弱さを考慮して、情状酌量の赦免判定となったのであるが、
この鎌倉の一件だけは酌量の余地なしという正に”人間失格”の判定となったのだった。
ちなみによく知られていることであるが、この鎌倉の話は太宰治が実際に起こした心中事件を
元に書かれた話でもある。

チェーホフ戯曲の原点

 今回、太宰治の代表的小説『人間失格』を読み解くあたって、ここまで書いてきたように
ロシアの文豪、アントン・パーヴィロヴィッチ・チェーホフの戯曲『桜の園』をその突破口と
して試みた。これまでは、チェーホフと太宰治の繋がりは『桜の園』→太宰の小説『斜陽』
繋がりという解釈が一般的に広く知られているところと思うが、太宰治のチェーホフ贔屓を
頼りに、『桜の園』→『人間失格』という新解釈に挑んでみたわけだ。
ここで改めてお断りしておくが、なにせ素人による趣味の延長線上の話なので、
大の太宰ファンの人や、太宰の研究家においては異議のあるは当然と思われるが、
こんな突飛な意見もあるのかと心を大にして読んで頂ければ幸いである。

 チェーホフの戯曲『桜の園』の真髄は、前にも触れたように、
そして副題の通りに、「喜劇」である。これは同じく喜劇と副題の付く戯曲『かもめ』も
そうであるし、他の4大戯曲のふたつの作品、『三人姉妹』(副題は四幕のドラマ)や
『ワーニャおじさん』(副題は田園生活の情景)にも、やはりその喜劇的要素が
底辺で流れているように見てとれる。しかしながら、これもまた紹介したように
チェーホフにおいては「喜劇」と副題に記しながらも、戯曲という演劇の台本のような作品を
読む限りでは、どちらかというと「悲劇」に見えたりするのが、チェーホフのややっこしい
ところでもあるのだ。なぜこのような意地の悪い、ひとひねりした様な作風をチェーホフは
書くに至るようになったのだろうか?
 チェーホフ研究家の間でその作風の転換点となったのは、30才の時、1890年に
断行したサハリン島への旅行がきっかけと言われている。なぜ”突然”、首都・モスクワから
見れば地の果てのようなサハリン島を目指したのか?今もって解明されない謎であり、
加えてチェーホフ自身、結核の病状が進行している時でもあって、片道3ヶ月の旅は
命を危険にさらす旅でもあったし、またサハリン島も当時は囚人の流刑地で、
格段見るべき珍しいものがあったわけではない。そんな当時の余人にとっても謎の多い中で
チェーホフは現地の行政関係者の協力を取り付けて、延べ1万シート以上に及ぶ戸籍調査や
病状調査を精力的にこなして9ヶ月の旅程を完遂したのだった。このサハリン行きの旅は、
その後1895年に「サハリン島」として旅行記となっていて、地の果ての現場報告として
人々の認識や政治的な影響力が多少あったと聞くが、文学作品としては評価できない
というのが通説のようだ。ただ、本にこそ詳しくは書かれていないが、現地での、
サハリン島での人々の生活状態は、都会生まれでハイセンスな文明社会に住むチェーホフには
大きな衝撃を与えたらしい。流刑地であるサハリン島では、緩慢ながらも
看守と囚人という二階層社会となっていて、その社会の底辺の悲惨さは筆舌し難いものがあり、
さらに無教育と一方的な秩序は、二世代、三世代にまたいで、不幸の連鎖を生んでいたようだ。
そんな絶望的な現場の中で、ある時チェーホフは人間の本質に辿り着いたのではないか?
と思われる。そんな中でもなぜか笑顔はある。作り笑いかもしれないが、なぜか笑っている。
つまりは、悲劇の中に喜劇を見たのではないか?

チェーホフ的世界観から見る

 太宰治が戯曲『桜の園』を読んだり、演劇で観た当時、チェーホフが戯曲に込めた喜劇性
への思いはどれほど理解されていたのだろか?それを知る術はないが、きっと文学命の
太宰だから、観察眼の長けた太宰だから、「人生とは(主観=当人にとって)悲劇であり、
そして(客観=第三者がその人の人生を見れば)喜劇である」みたいなチェーホフの
メッセージをしっかりと受け止められたに違いないと私は考える。
[補足:確かに人生には楽しいことも多いので、当人にとっても禍福はあざなえる縄の如し
=幸不幸は順繰りでやってくると言えるが、人生が好むと好まざるとに関わらず、
死という終焉に向かって進むという大局から見れば、悲劇とも言えるのではないだろうか。
そして第三者から客観的に見れば、他人の喜劇も悲劇も、死が絡まない限りは喜劇になると
私はチェーホフのメッセージを解釈するに至った。]

 あくまでも「人生は悲劇であり、そして喜劇である」という
チェーホフのメッセージを太宰治が受け取ったと仮定した話となるが、
チェーホフの戯曲『桜の園』のような悲喜劇二重構造の話に太宰も挑戦しようと考えたのは
新しい構成やネタを常に探し求めている太宰にとって自然の流れと言えるのではないだろうか。
そして当初は正に『桜の園』の設定によく似た、自分の実家の没落を悲劇として、
同時にコミカルに描こうと構想していたところ、たまたま愛人・太田静子の家族の没落の
様子を記した彼女の日記が目に止まり、さらにその後太田静子が太宰の子を身ごもると
いった想定外の要素も加わって、当初の計画からは外れた小説『斜陽』が生まれた。
太宰にとって『斜陽』は、それはそれで満足の行く仕上がりであったと思われるが、
次作こそ本来取り組みたかったチェーホフ的世界観を再現したいと太宰は考えていたと
私は推測したのだった。
 豊かな家庭に生まれて、利発でもあり、何不自由なく生まれ育った子供時代。
少し発想には変わったところはあるけれども、他人に好かれようとお道化をするのは
子供にはままある姿である。やがて青年期を迎えたあたりから悪い遊びに触れる機会も
増える。これも青年期にはありがちな誘惑で、善道を選ぶか、悪道を進むかで影響もあるが、
一時の熱病のようなもので収まることも多い。しかし彼の場合は違った。
さらにぴったりの悪友のおまけも付くのだ。でもその悪友は実はもうひとりの彼の分身で、
いいわけの口実にしか過ぎない存在だった。また女性の方から寄ってくるという彼の特性に
より、つまりは”もてる”ということだが、聖女が次々と彼の前に現れ手を差し伸べたが、
彼にひとときの安堵感も与えることはついに出来なかった。
やがて何事にも満たされないと悟った彼の悪道はピークに達し、悪い酒と薬に溺れた末に
自殺未遂を起こして、脳病院に入れられる運びとなる。もはや”人間として失格”と審判が
下されたのだった。そして最後は実家の計らいで、30前という若さにして、
ボロ屋での隠遁生活に入る。
 改めてざっとストーリーを眺めると、こんな人生ってあるの?と疑うが、物語の多くの
部分が太宰治の半生における実際の事件と重なって、実に説得力のあるリアリズムで
迫ってくる。加えて、人生転落、人間失格の物語ながらもところどころ妙に可笑しい。
30前にして、はや白髪の多い老人のような姿になり、世話係の老婆とまるで夫婦のように
二人きりで暮らすというぞっとするような孤立無援の結末ながらも、この二人の生活、
最後にぷっと笑わせてくれるサービィスが付いているのだった。
 主人公・大庭要蔵にとっては楽しい思いもしたけれども、最後は悲運悲劇の人生であり、
それを読み手として眺める読者にとっては、まるで太宰治の自伝のようにも見えて興味深く、
”ああ、この人らしい”と笑わせてくれるである。ハチャメチャだけど、これだけ好き勝手に
生きたのだから、きっと楽しい人生だったに違いないと喜劇的な見方で眺めるのだ。
たとえ本人にとっては、悩み悩んで苦しみ悶えながらやっとのこと歩んできた道でも。
 このように小説『人間失格』を改めて考察してきて、私としては確かにチェーホフ的
世界観である喜劇を底辺とした悲喜劇の二重構造がこの小説で形作られていることを
確認できたと満足している。そしてさらに太宰治が「人間失格」という一文に
彼なりの思いを重ねたことも再発見させられたのだった。

『人間失格』の真意を息子へ

 先に紹介したNHKの特別番組「人間失格裁判」。判決はどうなったのだろか。
一部、人として許されざる行為が認定されたが、総合的には主人公・大庭要蔵も
不完全でか弱いひとりの人間であり、”人間と認定す”という判決をもって結審した。
あまりにも予想通りで、当たり前過ぎるといった判決に少々拍子抜けしたのだが、
では小説でも「人間失格」と審判されなかったのかと言えばそうではない。
それなら一体誰が彼を裁いたのだろうか?神様であろうか?作者であろうか?読者か?
脳病院に入れた人たち?幽閉した実家の面々?一体誰なのか?
 小説『人間失格』の作中、”人間失格”の文字が現れるのは一度しかない。
有名な読点(、)の付いた一文、「人間、失格。」の箇所である。題名と違って読点が
付くことで、まるで膝が折れて倒れ込むような一文となっていて見事な表現力の極みと
言えるが、誰が言っているのかというと、他ならぬ主人公・大庭要蔵その人である。
つまり大庭要蔵は自分で自分を裁いたのだった。神でもないいち人間が勝手に自身を裁く、
そんなことが許されるのだろうか?そこに裁きとしての公平さ、正しさはあるのだろうか?

 ここで話はがらりと変わるが、我が息子・れんは春より中学3年生であり、ということは
年が明ければ受験を控えている。この息子がまたさっぱり勉強に身が入らない。
普段の成績ももちろん芳しくないので、内申も期待できない。このままでは高校の門は
くぐれないというわけで、普段から私と嫁にガミガミと言われている。馬を水場にさえ
連れて行けない状態に親の焦りは募るばかりなのだ。どうにか良い説得材料はないかと
考えあぐねていた時に、「人間失格」の一文が頭をよぎってハタと気が付いたのだった。
大庭要蔵が自分自身を自ら裁いたその意味は、結局のところ罪を犯した当事者が心から罪を
認めなければ、周りがどんな裁定を下そうと本人の心には届かないのである。
犯罪者ならば法と裁きに従って刑務所に服役することになろうが、その犯罪者が自らの
罪を認めていなければ、不服が残るならば、服役も形ばかりの不満に満ちたもので、
贖罪にはならないのである。そんな犯罪者は、俺よりももっと悪いヤツがいると
悶々とするばかりであろう。その点、大庭要蔵は自らを「人間失格」と裁いた。
そして周りの言われるままに、脳病院に入り、隠遁生活も受け入れた。
今はもう、時がただ過ぎてゆくままに身を委ねて、贖罪に努めるだけの身の上となったのだ。

 「自ら進んで罪と向き合わなければ、その罪を償うことはできない」
息子に大庭要蔵の「人間失格」という英断の真意を語った後で、さらに次の様に付け加えた。
「お前に勉強しろ!勉強しろ!と周りで諭しても、どうやら無駄なようだ。
俺が『人間失格』から教わったことで言えば、お前に必要なことは、自分の物差しで
自分自身を計ってみることだ。お前の目標とするところまで自分の実力が足りているのか?
自分に必要なことは何か?自らの物差しで自分の目で見て知ることだ。そうしなければ
お前の心には到底思いは届かないことを俺は悟った」と。果たして、これぞ真理という
そんなメッセージも息子にちゃんと届いているのか‥。不安は残る。


■ 執筆後記 ■

 以上、チェーホフを絡めた太宰治の『人間失格』の
再考察をもって、私は太宰を卒業とする。
本来ならば、青年期において太宰熱病にかかる巡りであろうが、
太宰研究第一部の冒頭で触れた通りに、
太宰治には”死の臭い”がしたために、
幸か不幸か世の中にだいぶ冷めた目線となった
中年期において太宰に触れることとなった。

そんな冷めた目の中年男からすると、
太宰の作品には若者らしい”青さ”、
言い換えれば、精神的”未熟さ”を
感じてしまったように思われる。
どうやらそこら辺が、太宰作品の良さを
当初感じられなかった原因であり、
逆に太宰作品の真価を求める理由になって
このような執筆に繋がったのだった。

この”青さ”という答えをくれたのは、
日本で指折りの知識人のひとりと言われる
経済学者の岩井克人(いわい かつひと)の
「経済学の宇宙」という本の作中であった。
師に寄れば、青春時代にあれだけ熱中して読んだ
ロシア文学などの青春文学を今読み返すと、
そこに若者らしい”未熟さ”を感じたなる記述があったことだった。
まあ師に於いては、知識の巨人という大所高所の視点からで
私などとはだいぶ高度の異なる眺望となろうが、
そのような指摘に”太宰文学の真価がわからない理由”の
大いなる可能性に気付かされたわけだ。

ただそんな”大人目線”を持って、
この疑問を一掃するのも少し乱暴にも感じられ、
今後も機会があれば、太宰を始めとした青春文学を読み返して、
自身の未熟さや、青年期ならではの新鮮で傷つきやすき気持ちに
真摯に対峙してゆきたい、そう考えている。

一つ戻る