旅の空色


2009年 5月号




思い焦がれたそのひとは‥

 前回紹介したように私たちは慣れない山道を登り切ってついに金時山を征した。
みんなで登山の労苦を分かち合い、大自然の雄大さと不思議に触れ、そして山頂にて
金時山と富士山の両ご神体に子供たちのすこやかで飛躍ある成長を祈願するという目的も
果たすことができた実り多い経験であった。しかし実はこの金時山にはもうひとつ
その山頂に別の目的地があった。それはこの山の頂上で茶屋を営み登山客をもてなす
「金時娘」なる女性であった。金時”娘”などと紹介されると特に男性諸君は
いかような美人かなどと色が付く話となるが、山の天辺で登山客を歓待するそのひとは
もうよわい八十は超えているかと思われる老女である。当店のあるご老輩のお客様の
話によると、50年以上前に金時山に登った折にもおさげの若いその女性が山頂の茶屋で
いそいそと働いていたとのことで、その当時よりこの山の看板娘であり続けている
というわけだ。”娘”と呼ぶその面影はもうないが、昔より変わらぬであろうおさげ髪が
今もかわいらしく思えて、往時の姿を想像せずにはいられなかった。
あらかじめトレッキングが趣味の友人にこの金時娘のことを尋ねると愛想のない婆さんだよ
との冷たい評であった。果たして思い焦がれたそのひとはと茶屋を覗き込むと‥
「注文かい?注文じゃないのかい?どっちなんだい」とせっかちに捲し立てる確かに
愛想のない婆さんであった。別に気負けしたわけではないが、せっかくだからと
温かいソバを頼むとすぐに前金を取られて金勘定もしっかりしているらしい。
厨房での仕事ぶりをのぞき見るとやはりご高齢のためかソバの支度に手間取っている
ように見えたが、同時にひとりでこの店を切り盛りしている様は応援したくなる気持ちも
沸いてきて、ずいぶんと待たされたがさして苦にはならなかった(但し注文が重なったら
かなり気長に待たなければならないだろう)。この手の簡易食事処の食事はたいていの場合
即席作りの全く期待できないシロモノであるが、山の名前をつけた「金時そば」なる
金時娘のそばは山菜や岩のり、かまぼこ、油揚げなど、既製品の素材だろうがいろいろな
具材が彩りを添えていて、この猫の額ほどの山頂においては十二分なもてなしと感心した。
相変わらず金時娘は来る客来る客にぶっきら棒な受け答えで接客していたが、
こちらには子供連れだったこともあり、子供のための取り皿など忙しい仕事の合間をみては
世話を焼いてくれて、気だての良さの一面も見せた。ソバを食べながら茶屋の様子を
観察すると通い慣れた常連にはあうんの呼吸で金時娘が注文に応えているのがわかってきた。
カウンターの隅には「金時娘は芸能人ではありません。勝手な撮影等はご遠慮ください」
なる断り書きがあり、我々のような観光気分のミーハーな客が噂に聞く金時娘を
興味津々にのぞきに来るひとも多いのだろう。そう考えると私は見せ物ではないと
少々愛想が悪いのも合点がゆくというものである。山頂を離れるにあたり子供たちに
トイレで用足しするよう言いつけていると、店の奥から裏にトイレがあるよと金時娘が
声をかけてくれた。ついでに「ひとり30円だからね。ちゃんとお金入れてね」とも
念を押された。金時娘は目も耳もいいらしい。なるほどトイレの入り口に1回30円と
書かれたコイン入れが設置してあった。山頂にある簡易トイレとしては悪臭もなく
きれいになっていて、お金を払うに十分値するトイレであった。

仙人たちの住まう山

 帰りの下りの道すがら私と嫁と妹の話題となったのは他ならぬ金時娘の話であった。
果たして彼女は普段いかなる生活をしているのであろうか?あの高齢にて山を上り下り
するのはかなりの負担になると思われるのでおそらくはあの山小屋に寝泊まりしている
のではないか。生活に必要な物資はどうしているのだろうか?昔のように強力(ごうりき)と
言われる運び屋が定期的に荷物を背負って運んでくるのだろうか?それともヘリコプターで
運んでいるのだろろうか?秘密のエレベーターでもあるんじゃなかろうか?(そんなバカな)
ひどい嵐の夜もひとりであの小屋で過ごすのだろうか?山を下りることはあるのだろうか?
意外に里に立派な豪邸を建てていたりして‥などなど金時娘についての勝手な想像話は
尽きることはなかった。
 帰りは登りと異なる御殿場方面へ下りる峰沿いのルートを辿った。登ったルートよりは
勾配は楽との話であったが、峰道を下ったり上ったりで、本当に降りているのか
不安になったりして、さほど楽には思えなかった。金時山と峰を連ねる長尾山山頂を過ぎると
あとはだらだらした長い下り道で、やがて坂のカーブの先に人家らしい屋根を見つけた
ときにはさすがにほっとした。ここが乙女峠と言われる古い山道で、屋根はこの峠の
茶屋のものであった。よく見ると屋根といってもトタンを貼り合わせた簡素なもので
一見今でも営業しているのかと疑うだいぶガタついた茶屋の建物であったが、
おそるおそる入るとひとりの静かな老人とよく遠吠えする犬が出迎えてくれた。
建物のテラスには今ではとても使えそうにないさび付いたテーブルが何卓も並んでいて
往時はここも登山客で賑わっていたことが偲ばれた。甘酒を注文すると老人はゆっくりと
丁寧に鍋でこしらえ始めた。無精ひげに何層にも年を重ねた顔のしわと深い黒い瞳を持つ
その老人が、大きくて堅そうな手でゆっくりと鍋をかき混ぜる様は、山の静寂と新緑の色の
光が差し込む中にあってまるでおとぎの国の住人のようで、時空を変えたような不思議な
時が流れていた。慣れない山登りでガタがきた体にこの甘酒がまたたまらなくうまかった。
子供たちは甘酒が初めてであったが、こんなにおいしいものがあるのかといった具合で、
見事なくらいきれいに飲み干していた。おいしい甘酒のお礼を言ってこの茶屋を去った後、
今度は乙女峠のお爺さんの話となった。あのお爺さんもあの小屋で暮らしているのか?
あの小屋は自分で建てたものだろうか?世捨て人のように自給自足の暮らしなのだろうか?
どんな人生の果てにあの地に辿り着いたのだろうか?もしや金時娘に恋して山の裾から
彼女を見守り続けているのではないだろうかという悲恋伝説まで飛び出して、無責任な
噂話は尽きることはなかった。まあそんな気を紛らわす話でもしなければやってられない
苦難の山登りでもあったのである。
 ちなみにこれは本当の話であるが、金時娘の父親は山登りの小説の開祖・新田次郎の
処女作「強力伝」の主人公のモデルとなってひとで、白馬岳山頂に重い石碑を背負って
登り切った当代屈指の強力であったそうだ。そんな山を愛した父親の意志を継いだのが
本当の金時娘の姿なのかもしれない。金時娘にしても乙女峠の老人にしてもいずれも
いかなる人生を歩んできたのかうかがい知ることはできないが、今や世俗を超えたところに
住む仙人のようなひとたちに出会えた金時山であった。

一つ戻る

■ 執筆後記 ■

 金時娘は私たちが訪れた後にまたテレビで紹介されて、
さすがの高齢に毎日山頂に通うのが大変になり、
近親者に後を任せたと聞いた。
あの山頂までを何十年も行ったり来たりしていたとは、
その脚力に驚くばかりであった。

ということで、我々は金時娘が接待してくれた
最後の方のお客のひとりとなったようだ。

金時そばをほおばる息子・錬と筆者。