旅の空色
2009年 4月号
「もう少しだからかんばれ!がんばれ!」。何度みんなで励ましの言葉をかけ合った
だろうか。坂は段々と急になり、周りの視界の広がりから頂上は近いと感じたが、
曲がりくねった登山路は意地悪くゴールを隠して期待と失望を交錯させていた。
毎年恒例の夏の家族旅行の大テーマは『海』、そして春の旅行は『山』と決めている。
『海』は私自身も大好きなので計画に必ず加えてきたが、近年馴染みのない『山』を
新たに加えたのは、いづれの旅行でも子供たちに普段触れることの少なくなった大自然を
体感してもらいたいからである。本当は私の柄ではないのだが、大自然の美しさや大きさ、
そして厳しさに肌で触れて、子供たちの人生観が少しでも豊かになればとの願いであった。
『山』をテーマにした家族旅行については、このコラムで以前紹介した通り2年前の
山梨県塩山ウォーキングより始まった。ゆるやかな勾配と舗装された歩きやすいコースで
あったが、距離は約9kmとたっぷりあり、小さな子供連れでは所要時間約4時間と
結構ハードな行程であった(実際には所々見所で遊んだのでおよそ5時間を要した)。
当時7才の妹の子・たっくんは途中根を上げる場面があったが、意外にも4才の我が息子は
楽しく歩き切り、最後は走る余裕までみせて、このメンバーでの足の強さに自信を持つ
結果を残した。去年は草津界隈のハイキングを計画して出かけたが、私の見識不足により
4月は当地では未だ積雪が見られ、とても歩ける状態ではなかった。
そして今年はたまたまテレビで見て箱根にある金時山登山と思い立った。おとぎ話の健児・
金太郎由来の山とのことで、子供たちのこれからの健康と飛躍の願掛けを込めた
初の本格的山登りの計画であった。テレビで知った限りでは標高1200メートル程度と
気軽に登れる紹介であったし、難所も最後の方に少しあるだけとの話であった
(登山口がもともと標高の高いところにあるため、実際の登山標高は550メートル程度で
ある)。また最近この山に登ったトレッキングを趣味とする友人の助言でも小学生の足なら
十分登れるとのことで、塩山での実績を加味し、いよいよもって金時山登頂を目指したので
あった。はたして実際に登ってみると…
山登りは全くの素人の私であるのでその評価が正しいかわからないが、登山としては
中級レベルに属するだろうか。結構急な傾斜を持つ大人でも登り甲斐のある山であった。
また前日までの雨天により所々登山路がぬかるんでいて、足への負担をさらに重くした。
今思い返せば登山口では軽装とはいえちゃんとした登山用の身なりの人が多かったのだ。
対する我々はただの観光客といったカジュアルな身なりで、登山でもっとも大事な靴も
カジュアルシューズやサンダルに毛の生えた程度と山を知る人には怒られそうな姿であった。
そんなミーハーな我々に金太郎は山のなんたるかをたっぷりとご馳走してくれたのである。
新たなる金太郎伝説
金時山登山では大きく分けて2つのコースがある。箱根仙石原近くの金時登山口より
登るコースと、御殿場方面の乙女峠から登るルートである。前者は金時山そのものに挑む道、
そして後者は乙女峠より山々の尾根伝いに頂上を目指す道である。
今回我々は、真正面から金時山の傾斜に挑む金時登山口より入山した。無料の駐車場から
すぐ入ったところにこの山を祭る金時神社があって、まずは登山の安全を全員で祈願する
(平日は駐車場を無料開放しているようだが、登山客が多い週末や祭日は周りに即席の
有料駐車場が多数現れるようだ)。メンバーは子供たち2人と私たち夫婦に加え、
私の妹(たっくんママ)の5人のパーティーである。
実は最初は我が嫁と妹は登山には乗る気ではなかった。せっかくの休日の旅行で
わざわざ疲れたくないというわけだ。しかし旅行当日、昨日までの雨が嘘のように止み、
気怠い雨雲は一掃されて真っ青な高い空が広がる下、淡い緑の雄々しい山々に迎えられ、
朝のよく冷えた清らかな空気を胸いっぱいご馳走になると、どうやら嫁や妹の気持ちは
少し変わってきたようであった。私は山頂まで75分と書かれた道しるべを指して
「頂上までさほど遠くないし、これなら頂上から望む富士山は稀にみる絶景に違いないよ」と
軽く誘うとふたりともについに登る決心がついた。半ばだます結果となったが、嫁と妹には
一緒に登ってもらって本当によかった。なぜなら張り切って登山の計画をした私であるが、
自分が登るにやっとで、子供たちの面倒まで見る余裕はなかったからである。
登る途中、なるほど金太郎伝説を語るこの山の風景にたびたび出会った。
金太郎が蹴り落としたと逸話をもつ巨石、金太郎が真っ二つにわったような巨大なひとつ岩、
みんなでにぎやかな道中であったので金太郎のともだちの熊と遭遇することはなかったが、
これで熊と相撲でもとったら完璧な金太郎山であった。数々出会った大自然の不思議の中で
特に子供たちにうけたのは『山彦』であった。私もこの山の精に再会したのは小学生の時
以来、何十年ぶりである。「ヤッホー」「ヤッホー」と子供たちは飽きることなく
大声で山彦と遊んでいた。2年前の塩山での実績、そしてそれからの成長があるとは言え、
我が息子には明らかにきつい金太郎山であった。途中何度もくじけそうになったが、
みんなに励まされて細長いきゃしゃな足の歩を上げた。しかし我が子・れんくんが最後まで
登り切れた最大の理由は従兄弟のたっくんである。私は常々ふたりには兄弟として
お互い思いやるように諭しているのだがその効果は全くなく、3才の年の差があるとは言え
お互いをライバル視する仲であるのだ。どんどん先を行くたっくんを目と気持ちで追って、
結果自らの足でれんくんも頂上へ踏破することができたのである。
この日の富士山は真ん中に一本の太いスジ状の白い雲が流れ、真っ青な背景にくっきりと
稜線の浮かび上がった鮮やかな勇姿であった。子供たちも間近に望む日本一の山に大喜びで、
とりわけ苦難の末の優美な景色にはみんなひとしおの思いがあった。
登頂の記念撮影スポットには「天下の秀峰 金時山」の看板と金太郎の鉞(まさかり)の
実物大?ダミーが置いてあった。その鉞を担いでハイチーズという嗜好である。
早速たっくんとれんくんの2人を並べて、一緒に鉞を持たせて記念撮影と思いきや、
1本しかない鉞をめぐってけんかを始めた。おとぎ話の金太郎も負けず嫌いであったろうが、
このふたりもお互いライバル同士とあって一歩も譲らないすごい引っ張り合いであった。
さすが金太郎山である。最後に日本一の山を背に金太郎同士の相撲まで見物できた。
ふたりの金太郎のたくましい成長を見守りたい次第である。
一つ戻る
■ 執筆後記 ■
私は本来「山好き」ではない。
これもたびたび書いているように、
子供たちの健全な成長と豊かな体験を願っての
いちイベントである。
矛盾しているが、もし子供たちがその後
本格的な山登りを趣味としたいと言い出したら
大反対である。
そんな親不孝なことはないと説得するつもりだ。
どうも新田次郎の小説「冬山の掟」の数々の短編が
私に山の恐怖を植え付けたようだ。
読んだ時はおもしろく読めたのだが
(といってもほとんどが遭難する話で、
教訓めいた内容と受け止めたが)、
やがてじわじわと山の怖さが響いてきて、
さらに子の親となった今、
危険な冬山に向かう子供の背中を
複雑な気持ちで見送る親の姿とシンクロして、
いくら好きなことだからといっても
こんな思いを親に、とりわけ母親にさせるなんて
親不孝の極だと考えるに至ったのであった。
もっともスピルバーグの映画「ジョーズ」を見た後、
大好きな海に2年ほど入れなくなってしまった私だから、
ただただ臆病なだけかもしれないが‥。
友人に何度か「一緒にスキューバ−ダイビングをやろうよ」と
誘われたが、その度に「なんでサメに食べられるために
わざわざ海に潜らにゃいかんのだ」と断り続けてきた。
本格的にスキューバ−ダイビングに回すお金の余裕がない
のが本音であるが、昨今の温暖化による近海のサメの出現の報を聞くと、
もっともな見解のようにも見えてくる。